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記憶と反復 バー鳥渡にて開催中の、雪の上、ブナの落ち葉、足の裏の肉球が弾む 5 (~5/24高円寺)に寄せて。

 東北に越してから九回目の春を迎えた。本展示の写真は先月の、かれこれ八年目の春熊猟で撮ったものとなる。初めて行った年は、頭領のたけしさんが、稲葉さんから代替わりしたてだった。たけしさんは、いつもエースで、ブッパの頭だった。昨年、忌中である健さんは、山に入らなかった。熊は見つけれど、獲れなかった。喪が開けた今年、健さんは「なにがなんでも、自分がとってやろうと思わなくなったもんな」と初めて口にした。三年前に、「七十でやめる」と言っていた年が今年だった。昨年の冬が良く降った為、今年は開始がいつもより一週遅かった。しかし、気候は、三月暖かい陽気が続き、小国の山岳地帯の中では低地である沖庭地区、健さん達の見て回る山は、見る見る雪が融け、例年に無く、四月の最終週を待たず猟の終わりが決まった。つまり、例年一ヶ月ある猟期が二週短かった。小国町の中で六班あった班も一部合併し、隣の班の山衆が、沖庭班に合流したため、人数は十名程度を保っていた。

 人といると時間を感じる。

 僕は、今年の猟期中、平日は近くの牛小屋の解体に詰めていた。健さんより、十歳年上の大工、辰雄親方といた。辰雄親方の段取りは、鬼を越えて仏の様であった。

 さらに、トウ上の、イワンチャが炭焼きの親方である、小屋の修繕に、五十年前に作られ辰雄親方によって解かれた牛小屋の古材を使いまわす計画だった。連休中わたしは、くぎ抜きをしていた。垂木とベニアで二日、柱と梁で二日だった。それから布基礎の為の穴掘りを二日、山石40を0.5立米、栗石200を0.5立米、山石12を0.5立米、いちにちづつ運び据えた。どすこいと呼ばれる締固めの道具で、ドスンどすんドスンと締め固めた。

 今日から日々の炭小屋の屋根作りの日記を書く。
会期中に熊猟と炭小屋のつながりを考えてみる。

先月の写真を高円寺のバー鳥渡@barchottoの壁で見ることができます。

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