見出し画像

君が代は


君が代(古今和歌集巻第七(京都大学貴重資料デジタル・アーカイブスから引用))

「我が君(君が代)は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」
 (愛しき君の世が、千年も幾千年もの間、小さな砂がさざれ石のように、やがて大きな盤石となって、苔が生じるほど長い間栄えていきますように)
 私の知人の中には、「おどろおどろした旋律で、気味が悪い。どうしてこんな暗い歌が我が国の国歌なのだろう?」と首を傾げる者もいるが、曲調は日本独自の雅楽をルーツとしているためで、暗いというのは、ロックとラップに染まった現代歌謡界では致し方ない評価といえよう。しかし、詩の方は、1000年以上前の和歌であるにもかかわらず、現代アーティストでもなかなか生み出せない、コンパクトにして壮大なものである。
 「君が代」の「君」について、原文において「わが君」とあるため、天皇制の明治体制化においては、天皇、もしくは天皇の国そのものを指しており、軍国主義当時は、その長久安泰を願うものとして崇められたため、当時を知る人々にとっては、ドイツ軍のハーケンクロイツ(鉤十字)と同様に忌み嫌う人も多い。
 しかし、古今和歌集を研究する学者の定説としては、原文のわが君の時点から、個人的に愛しき人か親しき人を指していると考えられ、これを壮大にも、その愛しき人の存する世の長久安寧を願ったものに改変されたと解されている。
 我が事ではなく、他人の世の長久安寧を願う心を、日本人ならではの、傑出したワードセンスで表現している。特定のやんごとなき人の詩ではなく、「読み人知らず」から選出というのもSo Coolである。
 これが国家に相応しいかどうかを論じる前に、我が国こそが、この精神を標榜する国家として相応しいかどうかを考えたほうが良いのではないだろうか?

1 全力少年
 「われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。(日本国憲法前文より引用)」。何度聞いても、これほど力強いマニュフェストがあろうかと、感心する。
 残念ながら、日本国憲法前文においては、GHQ草案に既に組み込まれており、GHQ押付論者に言わせれば、守る義務のない宣言ではあるのだが、まあ読んで下さいよ。そして、君が代に謳われた日本人の心と付き合わせてくださいよ。

🎶「あの頃の僕らはきっと、全力で少年だった。世界を開くのは誰だ?」🎶
 太平洋戦争で、日本という国は、色々悪いこともしたと非難されているが、あの頃の日本はきっと、全力で少年だったのではないか?
 GHQ草案の起草者の大半は、民生局の女性職員。如何にアメリカの高級官僚に仕える人々だったといえども、当時の男女格差等を鑑みれば、平民の中でも下の方という表現を使っても差し支えのない人々だ。そんな彼女たちが、これだけ立派なマニュフェストをアジアの小国、しかも昨日まで敵であり、全国焦土と化した惨めな敗戦国に授けたのはなぜか?
 GHQ押付論者の方々に対し、格別にもう一度言う。このマニュフェストは、当時の平民の下の方の人が考えた物で、それを難しい事は抜きにして、日本に託した。その事実はむしろ、当時の日本の政治家が格好をつけたとか、GHQのお偉いさんが、無理難題を押し付けたのとは訳が違うと言うことを指している。
 彼女たちは信じていたのではないか?250年の鎖国から目覚めたと同時に、臥竜が天に昇るが如く全力で駆け抜けていく少年のようなこの国を見て、一敗地に塗れども、彼らならやってくれるのではと。

2 目論見
 もし我が国が全力少年となって、紛争絶えぬ現在世界という天下を平定せんと立ち上がるのであれば、僭越ながら我に策有り。現代天下を見渡せば、万国万民、違った価値観・宗教・哲学がルツボの如く混ざり合い、互いが優位を譲ろうとしない、非常に混沌の中にあるわけだが、これを如何に治めるかと言う策である。
 2000年前、500年続いた騒乱の中、同様の混沌(いやそれ以上複雑な状況)を、一光にして平定する案を立てた者が居る。敬愛する思想家、韓非子である。
 現代では、人間が生まれながらに有する権利として「基本的人権」というものが有り、これを保持することは自然法として絶対視されているはずであるが、この自然法をも、まともに守ろうとする国の方が少ないというのだから話にならない。
 韓非子は、そんな理性的な社会より、もっと根源的に、「人間は生まれながらにして、賞を求め、罰を避ける。」という、万国万民に共通する「絶対価値」を定義した。そうすれば、賞罰の規定すなわち「法」を定めれば、人は「法」に則り、行動せざるを得なくなる。
 それが彼の主戦略であり、私の策もこれを模した物である。
 一見、単純な発想に見えるが、韓非子はこれを実現するための「法」のあり方や、これを公正に適用するための優れた行政機関の構築について語るために、五十五編もの大著作を残している。
 中でも彼は、余計な遺恨を残す可能性のある「罰」による統制よりも、統制側・被統制側、双方に利益を生み出す可能性の高い「賞」による利益誘導型の統制に重きを置き、多くを語っている。

「凡そ説の難きは、説くところの心を知り、わが説をもってこれに当つべきにあり。
 説くところ名高のためにするに出ずる者なるに、これに説くに厚利をもってすれば、すなわち下節にして卑賤に遇すとせられて、必ず棄遠せられん。
 説くところ厚利に出ずる者なるに、これに説くに名高をもってすれば、すなわち無心にして事情に遠しとせられて、必ず収められず。(説難篇)」
 名声を求めている人に、金銭的利益を示して説得しようとすれば、「この者は卑しい奴」とされ、軽蔑される。利益を求めている人に、名声を示して説得しようとすれば、「こいつはつまらん奴だな、名声で飯が食えるか?」と聞き入れてもらえない。
 相手の欲しがっているものを探り、自分の説をそれに合わせることが肝要である。
 
 では、現世界天下平定のためには、何をもって「賞」とすべきか?

 ここで私の持論を紹介させてもらう。
 現代国際社会において、各国利害を左右する大きな利得とは、「議決権」である。そして、国際化がさらに進み、途上国との格差もなくなってくるにつれ、より重要になってくるのもこの「議決権」である。
 ただ私が考える議決権は、一国一票というものではない。私の考える議決権は、「より国際平和に貢献した国には複数票を、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを行動で示している国ほど、毎年、議決権を付与していく。逆に、基本的人権を蔑ろにするような行為、隷属・従属を目的とした侵略行為、偏狭や圧迫により、他国の利益を制限したり侵したりする国は、経済制裁ではなく、国連での議決権が減らされていく仕組みを構築する。
 人権を擁護し、他国を敬い、つまらぬ紛争を起こさなければ、国連内で、強大な力を持てることになる。核兵器(現役級)を一本差し出せば、議決権と交換すると言うのも面白い。ただしこれは第二段階の話。まずは、基本的人権を守り、他国の利益を侵害しない。この当たり前のルールを守り続ける国に、より多くの議決権を与えることである。
 それで、大方の騒乱は治るだろう。

3 拒否権の壁
 私の目論見を実現するために実は大変厳しい壁が有る。
 そう、常任理事5カ国の拒否権の殲滅である。こいつが有る限り、議決権の総数に意義は無い。

 2023年1月、日本は、2年間の任期で国連安保理事国に就任した。すでにウクライナ紛争は始まっていたが、常任理事国の拒否権濫発により安保理は機能不全状態に。前非常任理事国は、この難題をいかにせんとして、すでに加盟国最多(当時11回)の選任国である日本に立候補を促し、12回目の選任国として安保理入りさせた。しかもこの年2023年、日本は、先進7カ国会議(G7)の議長国でもあった。
 しかし、言ってみればこれほど常任理事国に近い重鎮を以てしても、就任後1年半で1週間以上のまともな休戦・停戦は成し遂げられず、人道に反する戦犯行為を告発することはおろか、調査すらままならぬ状況で、結局なし得ることなく、その任期を終えようとしている。
 日本は、2023年体制の時にもっとやれることは無かったのだろうか?だって、UAE(アラブ首長国連邦)や、ブラジルも入っていたのだ。このメンバーで、何もなし得なかったというのは、まさに機能不全そのものである。
 
 しかし、待って欲しい。
 これは一つのチャンスではないのか?
 逆に、2023年度のメンバーを以ってしても何もできなかったと言う事実は、常任理事国に拒否権がある限り、非常任理事国10国の平和に対する効用は無きに等しいと言うことを、ガッツリ証明したことになるのではないのか?
 日本は、これから半年、任期満了まで、「和氏の璧」の説話に出てくる、両足を切られた和氏の如く、世界に対し、慟哭し、訴え続けるのだ。「私たちが、珠玉の宝だと必死に訴えているのに、100年近く前の戦争に勝って優位に立った、時代遅れの、分からず屋達がのさばっているせいで、まるで世に出すことができない。」と。

4 国連憲章改正へ
 国連憲章第108条「この憲章の改正は、総会の構成国の3分の2の多数で採択され、且つ、安全保障理事会のすべての常任理事国を含む国際連合加盟国の3分の2によって各自の憲法上の手続に従って批准された時に、すべての国際連合加盟国に対して効力を生ずる」と言うわけで、拒否権の殲滅には、全ての常任理事国の批准が必要なわけである。従って、一般的には、論理的に不可能と解されている。
 されど我に策有り。
 まず、前述3の如く、常任理事国の拒否権の弊害を訴え、この排除に賛同する国をなるべくたくさん集める。拒否権を殲滅させた後は、3で述べた形で、議決権が増減する制度とすることを伝える。最初は一国一票としたいところではあるが、今の常任理事国には、最初から単独で議決を通さなくできる程度の(つまり今の拒否権に匹敵する程度の)議決権を配分することを約束する。ただし、その権力は、国際貢献と人権擁護を継続しないと保持できないわけだが、フランスやイギリスあたりは、乗れない条件ではないと思う。

 十分な賛同者が得られたところで、賛同者は一斉に現国連を脱退する。

 そして、即座に、Hyper United Nations(超国際連合)を立ち上げる。国連憲章の大部分を踏襲するが、常任理事国の拒否権だけは存在しない。
 アメリカ・ロシア・中国に悟られずにこのような陰謀を進行させることはまず不可能だろう。従って、この作戦は、堂々面前で展開する。幾多の妨害があるかもしれないが、そこに掲げる理念に反対する国は少ない。たとえ権威主義国家であっても、独裁国家であっても、拒否権が無い国にとっては、こちらの方がずっとマシであり、ある意味、圧迫から逃れ、地位を逆転できるチャンスでもあるのである。
 さらに、ロシア・中国・アメリカにも、フランスやイギリスと同様の条件、つまり単独で過半数以上の議決権を与えるという条件で、超国際連合に参加を呼びかける。
 いずれ転覆させられる船ならば、既得権益にしがみついていても仕方ないのである。少なくとも、これに近い権限を継承できるというなら、ロシアや中国は折れる可能性が高い。
 もし彼らが、その議決権を維持できる程度の人権意識や平和貢献を続けてくれるなら、それはありがたいことだ。どうしてもアメリカや日本に対し、優位に立ちたい彼らは、下手をすると、とんでもなく民主的で自由な国家に変貌するかもしれない。
 むしろ、最後まで頑強に粘るのはアメリカだろう。しかし、この計略が実は第一段階に過ぎず、第二、第三の計略が有ることを、密かに教えてあげれば、彼の国も堕ちる(その計略については後日投稿とする)。
 常任理事国5カ国がこの運動に白旗をあげれば、余計な脱退・新連合発足劇は不要となり、108条の改正条項に則り、常任理事国の拒否権は殲滅できるだろう。

 さて、この運動の火種は今とてつもなく大きくなっている。「日本でもできなかったことをどの国ができる?」状態なのだ。そして、この状況をバネに、この奇想天外な転覆劇を成功させる立役者がいるとしたら、他人のとこしえの安寧を願う国歌を謳う国が相応しいかと思うのですわ。
 さあ、君が代のために立ち上がりませんか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?