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ちいさいきみちゃん(ơ ᴗ ơ

私は50年程前に3650gでこの世に生を受けた。3つ下の弟が4200gだった為、自分は小ぶりな赤ちゃんだとずっと思っていた。しかし後に息子と娘を授かり2750g 2430gで産み落とし「私デカくないか?」と初めて気が付いた。そんな きみちゃんの幼稚園でのお話。

年少ひよこ組

今でこそ3年保育は主流だが、その当時は2年保育が一般的だった時代。教育熱心だった母(周りの親や先生がそう言っていた)は私が同い歳の子よりも小さくて大人しいのを危惧して3年保育に通わせる事にした。身体は小さくても早生まれでは無かったのでオムツも外れていたし、私は母親ベッタリな子供でも無かったので異論は無かった。近所の人にお金が勿体ないと言われても母は気にしなかった。
しかし入園準備で問題が生じる。私の小さな身体に合う制服が無かったのだ。業者さんが私に合わせた小さなサイズでブレザーやスカート、ブラウスをセミオーダーで作ってくれる事となり一安心したものの…
新たな問題発生!小さいきみちゃんは足も当然小さい。上履きのサイズが無かった。流石に靴は作って貰えず園側と母が考えた結果、新品の外履きのスニーカーで代用する事になった。「私だけ赤ちゃんみたいじゃん!!」とてもとても悲しかった。生まれて初めての絶望感だった。

年中すみれ組

健やかにひよこ組での1年間を過し私は年中に進級した。そこでユミちゃん(仮名)と出会う事となる。
ユミちゃんは身体の大きいテキパキした女の子だった。彼女はひとりっ子で弟や妹という存在に強い憧れがあり、すみれ組で見つけた小さい小さいきみちゃんにロックオンした。
翌日、登園すると下駄箱の前でユミちゃんが待機していた。「きみちゃん おはよう!」ユミちゃんは下駄箱から私の上履き(スニーカー)を出し、脱いだ靴とサッと入れ替える。教室に入っても着替えを甲斐甲斐しく手伝ってくる。
私は小さいけれど幼稚園2年目の言わばベテラン。入園仕立てのユミちゃんよりセンパイ。内心はオイオイ!と思ったがユミちゃんが嬉しそうに私の世話をしてくるので黙ってされるがままにしていた。すみれ組の先生が母に「きみちゃんホントは何でも自分で出来るんですけどね…」と申し訳なさそうに話していたのを覚えている。ユミちゃんのお母さんは身体が弱く「もう子供が産めないから弟も妹も無理なのよ。」とこぼしていたので母も先生も事を荒らげずにユミちゃんの姉妹ごっこを黙認していた。

年長つくし組

当然の如く年長はユミちゃんと違うクラスになった。ユミちゃんは呆然として泣いていた。対する私は解放感でいっぱいになった。ひとりってなんて気楽!しばらくユミちゃんは私のクラスに通っていたけれど先生にやんわりと諌められ自分のクラスに新たなターゲットを見付けていた。(そして嫌がられていた笑)
年長となり念願の上履きデビューを果たす。そうは言ってもこの様に皆より小さかった。
私の幼稚園は㈪給食 ㈫弁当 ㈬半日保育 ㈭パン ㈮給食だった。私は好き嫌いが多く食も細かったので給食はデザートの小さいゼリーしか食べなかった。食べた風を装う為に箸でつつき回して偽装していたが、そんな事は先生にバレバレで母は「お家でいつも何を食べさせてるんですか?」と先生に呆れられていた。
㈫のお弁当はアニメ コロボックルの絵がついたアルマイトの弁当箱だった。冬になると教室の達磨ストーブの上に大きな網を乗せてその上に先生が私達のお弁当を乗せてくれた。ほんのり温かいお弁当は美味しかった。
㈭パンの日は近所のパン屋さんから焼きたての渦巻きパンが届いた。バターの効いた渦巻きパンを剥がしながら食べるのが好きだった。毎日、渦巻きパンが良かった。
半日保育の㈬は時々、お迎えに来た母とお友達とで駅の向こうのマクドナルドに行った。私は決まってチーズバーガーセット。ピクルスは抜いて母に渡していた。
園での1日が終わるとスモッグから制服に着替えエンジ色のベレー帽を被りカバンを背負い円陣になって座る。お帰りの歌を歌い、明日の連絡事項を聞いたらおしまい。
先生の前に1列に並ぶ。1粒の肝油ドロップを貰って口に放り込んで帰る。私の番になると「大きくなるんだよ。」と先生は呪文のように言って毎日、肝油ドロップを2粒くれた。他の子には「きみちゃんだけずるーい!」と言われていたが知ったこっちゃない。だって小さいんだから私www

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