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使命とストーリー①まさかの書き直し

水曜日の朝の講座の後、思い立ってしまったので使命とストーリーを書き直していこうと思います。

読んで『スキ』を押して下さった方々申し訳ありません。

私は一番辛かったことに自分でも蓋をしてしまっていたことに気づき、でもこれを書こうかどうしようか迷ってる内に木曜の夜になってしまいました。

舞台の仕事の悲惨さは前回書いたので置いておいて、というか私がいつもどん底にたたき落され、そして立ち上がってきたのは仕事の悲惨さよりも人間関係の方でした。

小学校の頃からいじめに遭ってました。
色んな虐めがあると思います。
私の知人男性が遭った虐めは暴力で引き摺り回され、制服が黒いまま帰れた日はなかったそうです。
またメンターの一人である女性は中学の時、人気の男子と付き合ったばかりに女子生徒から陰口ばかりを言われて辛かったと。

私の場合は『無視』でした。
酷いアトピーだったせいもあるかもしれません。
まだ『アトピー』という言葉もなかった頃です。
鰐のような肌をしていつもボリボリと首や腕を掻いてる私は同級生には悍ましい存在だったに違いありません。

同級生達は私をいないものとして扱いました。でも何故か毎日学校に行きました。不登校になることはなかったので逆に苦しい日々は中学校まで続きました。
母も鰐肌で成績の悪い私を疎ましく思っていたことも辛さに拍車をかけました。そして私はお決まりですが自己肯定感とは無縁になっていったのです。

高校、大学でもびくびくしながら生きていましたし男子生徒からはまた『無視』されましたが、優しい同級生に恵まれて何となく生きていくことができました。

大学1年の時にある劇団と知り合い、その現場に夢中になり大学を辞めその劇団の本拠地である名古屋に引越しました。それは仕事的には転機になりましたが今思うと本当の転機ではありませんでした。

劇団が解散し、舞台の会社に入りましたがまたもや『無視』で悩まされることに。

会社は完全な男社会で派閥があり一番大きな派閥の長に疎まれ毎日死にたくなるような日々が続きました。

ある時大きなイベントの仕事がありました。
広い展示場の中にいくつもテナントを作る現場でした。
その時の総合チーフが私を疎んでる派閥の長だったのです。

『メンバー振り分けるから。』とチーフ。
『田中と佐藤と○○と△△はAのテナントへ。』
『鈴木と高橋と◇◇はBのテナントへ。』・・・
複数の班に分けられたのですが、私の名前はどこにもありませんでした。
仕方がないので自主的に手伝うことにしました。

A班で手伝おうとするとA班のチーフがやってきて
『お前、ここはいいから。』

B班に行ってもC班に行っても同じ事を言われ追い出されます。
結局10以上ある全部のセクションから拒絶されてしまいました。
皆、派閥の長が怖かったのでしょう。
私は設営の音や色んな声が飛び交うだだっ広い会場に立ち尽くしましたが、仕事をしていない人間が突っ立ていていい場所ではありません。クライアントに見つからないように会場の倉庫に逃げ込みました。
絶望しかありませんでした。
冷静でいようと頑張りましたが、勝手に涙が止まらなくなりました。どうやって倉庫から出たかももう覚えていません。

その上司を心から憎めたら楽だったかもしれません。
でも、その上司は判断がいつも的確で口は悪いけど絶対間違ったことは言わず言い訳もせず人のせいにもせず、密かに尊敬していたのです。
尊敬している人からのいじめは小中学校のいじめとは比べ物にならない程に心の傷になりました。
自分で言うのもなんですが、そんなに仕事が出来なかったわけではなかったですし、先輩の何人かは同じいじめの経験者でした。でも守ってくれることはありませんでした。

人生で初めて逃げていいと思いました。
その現場から半年もしない内に退社しましたが、小中学校でも逃げなかった自分にとって確実な敗北経験になりました。それが25年前です。

それから20年、フリーランスになり、毎日目の前のことにだけ集中して見たくないことは見ず只々仕事をしてきました。
恋愛もいくつかしましたがすっかり歪んだメンヘラになっていたので上手くいくことはありませんでした。
アトピーはある食事療法ですっかり治りましたが、中味はあまり変わってなかったのです。

そして5年前本当の転機が訪れたのです。

続く。






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