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ZANGEこたつうさぎ㊳三日坊主’s


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そこまでは知りませんのでね


道が春でほくほくしました
朝ごはん
夜ごはん



今日はお休みでした

来週から怒涛の(?)「6連勤のち1日休×3set」というインターバル走が待っているので、今日は心して春を満喫しようと思って過ごしました

ごはんを食べているとなんだか
あとからあとから悲しくなってくる
これはなんでかと考えると
思い出があるからなんですね
春の感傷かと思いきや
春夏秋冬そうなんですね

それは食によってのみ
親と繋がっていられたからなんですね

一人暮らしを始めてから電子ピアノを買いました。小さい頃やりたかったからという理由です。でも、今日ふと、買ってから結局あんまり弾いていないピアノを見て気づいたことがありまして、それはなにかというと、自分は別にピアノを心底やりたかったんじゃないなということ、ピアノをやりたいと言ってそれを親に受け入れてもらいたかったんだろう、ということでした。

現に自分はピアノをそこまで熱心に弾いてない。こんな高い買い物して、買って1年半くらい経って、ようやくそれに気がついて、なんだかなという気持ちになりました。

自分の家は物理的に役にたつものしか存在を許されない感じでした。そうです。サラ金で金利20%近い時代に作った借金があったり、その理由もパチンコとか、あとは母が作った借金の保証人にいつの間にかなっていたとか、病気があるとか、代々続く貧困の問題とか、暴力、軽犯罪と隣り合わせであったりなどによって、必然とそういう雰囲気になります。超現実の前では美しいとか、優しいとかが無力です。

でも食だけはどうにかしてもらえた。

基本どんな料理にも鬼殺し入ってたり、そうでなくとも酔っ払ってるのがひどいと生煮え・生焼けで何作ろうとしたの?みたいな日が多々あったりしたけど、特に小学校のころは連日そういう感じだったけど、でもごはん抜きってことはなくて、どんなに酔っ払って血まみれになって帰ってきても、父はごはんを作ってくれたんです。本当にありがたいですね。そして自分自身も、父にフレンチトーストを作ったり、お酒じゃなくてコーヒー飲めば?と言ってコーヒーを淹れたり、お年玉でお菓子を焼くのにハマってそれを食べてもらったりと、自分がされて嬉しかったことをお返ししようと子供なりにしてたんですね。

食によって繋がってる感じがしていたから、食がすごく大事だった。

本当はもっといろんな部分で繋がっていたかったけど、音楽とか絵とか景色とか文章とか共有できる文化的なものは家に一切なくて、あってもエロ本、それはひん曲がった性的価値観を植え付けられただけ、習い事は贅沢品、給食費すら滞納してるのに。パチンコとか競馬とかの前では教養も意味をなさない。テストで100点とっても意味ないわけです。酔っ払ってゴミの中で寝ている人に、100点のテストは紙ペラです。それでも往生際悪く、高校卒業までは勉強に関して「今度こそパパがお酒やめてくれるかも」みたいな気持ちで必死こいて全教科100点とる気でやるのですが

塾とか予備校行ってる同級生に、滑り止め受けられる同級生に負けるかみたいな、大学行くわけでもないのに無駄にセンター模試受けたりとか虚しかったけど

小学校の頃は特に一番荒れてたので、毎日
帰ったら家にパパはいるのかな?
いなかったら帰ってくるのかな?
今日こそ救急車から電話が来るかもしれない、あなたのお父さんは死にましたと。そういう気持ちで過ごしていました

人は弱いのでしょうがないのかな?とか、そもそも弱くなってしまう原因はなにかな?とか、その原因に対して自分ができることは何かな?とか、散々ずっと考えてきたのに、「じゃあ根本的に世の中を変えたり困ってる人を直接助ける仕事に就こう」「政治家になろう」「お医者さんになろう」とは思えなかった。
それは自分の弱さ
怠けと捉えられても仕方ないかもしれません

医療とか福祉とかが介入しないと助けられないところにいる家族を前に自分はのんきに一体何をしているんだろう?と思うのに、好きなものを好きでいるのをやめられない。やめられないのに突き抜けられるわけでもない。どんどんそのまま大人になった。

自分の好きなことが家族に理解されないのはしょうがない、だって家族だって他人だし。そもそも他人と文化的なものを共有したいという気持ち自体が贅沢とされる環境だった。大人になって、家族とも離れて、自分で暮らせるようになった今でも、好きなものは贅沢品だと思う部分が根強くあります。

ただ、インターネットのおかげで、新しい出会いがあって、そのおかげでそういった狭い世界を広げてもらった気がします。仮に贅沢品だとしても、贅沢なものを好きでもいいと多少思えるようになりました。

食は大事。食べ物が自分をつくる。鬼殺し入りのごはんも自分を作ってるから、そのころ含めてなければよかった思い出は一個もないと思いたい。根性論みたいだけど、押し付けがましいかもしれないけど、自分の記憶を整理することが今の生活を整理することにつながると思います。

ごはんを食べて元気でごきげんでいるようにつとめます。ここまで読んでくださった方も、今の生活がどうか健やかなものでありますように。

おやすみなさい。

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