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きみはとってもきれいな色だよ、チエルアルコめぐるの話

アイドルマスターシャイニーカラーズに先日された【チエルアルコは流星の】八宮めぐるがやばいのでちょっと話をさせてください。
ネタバレだらけなので注意です。

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めぐるは明るくてクラスの人気者でいろんな部活の助っ人をしていて、といういかにも元気っ子なキャラクターです。
そのめぐるが、決まっていた役を失うところからコミュは始まります。アイマスって割とマイナスなことが起きてもなんとか元通りやれました、やったね!が多い中で、ただ役を失うだけのコミュが出てきたことにまず驚きました。選択肢によっては普通に落ち込んだまま終わります。トゥルーのコミュではプロデューサーのかけあいにより、別の役をやることになるのですが、その2つの間に挟まれた、一見すると関連性のないアクアリウムショップでのやりとりと相まって、全体がとても情緒あふれるものになっています。

暗喩、でもそれだけじゃない

コミュでは「青い目の女の子」と「一匹だけ色の違う魚」が登場します。これらがめぐるの暗喩であり、彼女も過去にこうした周囲から浮く経験を経ていまがあるのだと読むことは間違いではないでしょう。実際、ハーフという属性を持っためぐるが、小学校や中学校での同調圧力の強い中で周囲から浮く経験をしなかったとは言い切れないですし、その中でいまの友達との付き合い方を獲得していったのだと考えることも不自然でないと思います。
ただ私は、暗喩だったね、で終わらせると「この魚の気持ちはこの魚にしかわからない」と言っためぐるの優しさを見落とすように思います。

めぐるは青い目の女の子になる機会を永遠に失いますし、魚とは水槽で隔てられています。同じような立場にいる人を、私達はそれだけですべて理解できるような気がしてしまいます。けれど、どんなに境遇が似ていても他人は他人で、自分は自分。他者を本当に理解することは誰にもできません。めぐると重ね合わせられるような女の子や魚だって、他者であるとめぐるは自覚しています。
私は「分かりあえないけどそばにいられる」という関係性や思想が好きなのですが、めぐるはそれに近い思想の持ち主なのだと思います。(めぐるは、と書きましたがこれはシャニマス全体の意識のような気もします。とても呼吸がしやすい。すきです。)

自分を重ねているからではなく、過去の自分を救うためではなく、ただ魚のことを思って「きみの色はとってもきれいだよ」と声をかけていることが大事だと思うんですよね。それはめぐるの優しさと賢さと真摯さであり、真乃や灯織への態度に繋がっていくものでもあります。
めぐるはイルミネーションスターズのコミュでたびたびふたりを救う言葉や事態が好転するきっかけになる言葉を発します。それらが快活なキャラによくある「馬鹿だけど核心をつく」ものではなく、めぐるの思案や優しさから生まれているのだと確信を持てるようになりました。それがとても嬉しいです。

ただ隣にいる優しさ、力ずくで救う優しさ

シャニマスにはめぐるのほかにもう一人、明るく他者を照らすようなキャラクターがいます。月岡恋鐘です。(果穂ちゃんもその系譜なのですが、彼女の無邪気さには子供であることが大きな要因としてあるのでいったんは除外させてください)
めぐると恋鐘は多数のヒロインがいるコンテンツにに1人2人いる太陽のように明るいキャラだと思っていて、ただシャニマスは「太陽キャラ」という記号として象徴や宗教的な解釈することを良しとしません。象徴や宗教的な解釈というのは、キャラクターの人間としての弱さなどの側面を無視して「神様」として扱うことを指します。めぐるも恋鐘も、宗教視されるだけの強度はなく、そこにいるのは普通の優しくて賢くて弱いところもある、どこまでも生身の女の子です。

めぐると恋鐘はどちらもユニットの中でほかのメンバーの救いになるような動きをしますが、描かれ方は大きく異なっています。
例えば、めぐるは「この魚の気持ちはこの魚にしかわからない」「真乃の気持ちはわからない」といいますが、恋鐘は「泥んこで大丈夫って言っても駄目、絶対大丈夫じゃない」というんですよね。
これがイルミネーションスターズとアンティーカの大きな違いで、イルミネにはめぐるが必要だし、アンティーカには恋鐘が必要な答えなのだと思います。イルミネに恋鐘がいたら、踏み込む際に真乃や灯織を傷つけてしまうこともあるかもしれないですし、アンティーカにめぐるがいたら、ほかのみんなと同じように優しく距離をとってしまうでしょう。(といいつつも、シャニマスの書き方とやさしさなら全然平気な気もしますが、今とバランスは異なっているだろうなと思います)

浮遊と無重力、見える世界が違っても

コミュのタイトルで使われる「浮遊」と「無重力」。
「浮遊」という言葉には一般的な「うかびただようこと」のほかに「居所が定まらないこと」のような意味合いがあります。今回のコミュでは、青い目(異邦人)の内気な女の子が役として描かれますが、おそらくこの浮遊は、周囲から浮いている、などのマイナスなイメージとして使われた言葉でしょう。
trueでは同じ「浮いていること」が「無重力」という「重力から開放された状態」として表現されます。女の子にかける言葉が見つかった、新しい役を手に入れた、というコミュの内容からしても、「無重力」はプラスの印象で使われていると思います。
浮遊も無重力も宙に浮いた状態であることにはかわらないのですが、イメージが反転しています。それは無重力のウテナでめぐるの語った「色って、心で見てるんだねー」という言葉そのままです。

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2つ目のコミュで気にしていた寝癖を、トゥルーのめぐるは気にしません。気になっていたことだって、ほんの少し気持ちが変わるだけで全然気にならなくなります。
そしてめぐるは、気持ちの変化で感じた鮮やかな空を、ほかの人にも見せたいと願います。同じ空を見ていても、それを美しいと思うか恨めしく思うかは人それぞれです。分かり合えない他者ではあるけれど、それでも誰かとかかわることで見方を変えることはあるかもしれない。プロデューサーとかかわって変わっためぐるのように。それが、めぐるの望むアイドル像なのでしょう。

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チエルアルコは流星の

1つめのコミュでめぐるは「青い目の女の子」にかける言葉が見つからないと言いました。2つ目のコミュでは魚に「きみの色はとってもきれいだよ」と語りかけ、色の見え方は心次第だと気付いたトゥルーでは「かけてあげる言葉が見つかった」といいます。
ただ、異邦人には異邦人の言葉があり、魚には魚の言葉があります。彼らはめぐるではなく、めぐるは彼らではありません。「かけてあげたい言葉」が見つかったところで、きちんと伝わるのかわかりません。
ところで、世界には「共通の母語を持たないさまざまな国の人達の意思疎通」を夢見て作られた言語があります。
エスペラント語と呼ばれているその言語で、チエルアルコは「虹」を意味します。色とその感じ方や見え方を主題に置いたこのコミュにおいて、さまざまな色を持つ存在である「虹」は、それらの色をつなぐものであり、架け橋であり、それがさらに世界共通語を夢見たエスペラント語で表されます。
だから、きっと、めぐるの思いは伝わるんでしょう。私はそう願ってやみません。

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