"THE LAST OF US PART II"に見る翻訳の難しさ
*扉絵:コグニティブ・フォートトーク、ビジョンクリエーター生成
*補稿:“THE LAST OF US PART II”における倫理と救済
*この論考には“THE LAST OF US PART II”のネタバレが含まれる。
外国語の作品を翻訳するということは、非常に難しい作業だ。特に映像作品は、字幕であれば一秒間に何文字までであるとか、吹き替えでも口が動いている間の秒数以内に言葉を収めなければならない。従って様々な制約のある中で、意味や趣旨を外さずに言葉を組まなければならない。
そういう困難さを承知した上で、しかしこの作品には首を傾げたくなる翻訳部分が幾つかあり、それらが物語の深い部分を理解する上で参照すべき箇所だと、私は考えている。以下、幾つかの点を指摘しておきたい。
まず、エリーのシアトル二日目に描かれるエリーとノラとの会話部分を取り上げる。
ノラがソルトレイク組である以上、「叫び声」の参照先には二つの可能性がある。一つは四年前のSAINT MARY'S HOSPITALで起きた殺戮であり、もう一つはアビーがなぶり殺す際に聞いたジョエルの呻きだ。原文から判断すれば明らかに「叫び声」はジョエルのものであり、ノラはアビーの復讐に関わって心に傷を負っていることがわかるが、日本語では手がかりが削ぎ落とされてしまっている。
私はそのまま〈あいつ/ヤツの悲鳴が聞こえる?〉とし、それ以降の「あいつ」を適宜変更するのがいいと考える。
次に、アビーのシアトル三日目冒頭のアビーとメルの会話を見る。
アビーは“Isaac’s top Scar killer”である。言うなれば「スカー殺しの筆頭」だ。そしてジョエルをゴルフクラブでなぶり殺しにした女だ。その残虐性を目撃してノラが心に傷を負っていることは上述した。アビーのシアトル一日目開始直後、スタジアムを抜ける道中や車が炎上してから基地までの道のりで交わされた会話の中で、うまく取り繕っているがメルはアビーを避けていたらしい様子が覗えることから、メルもアビーの復讐に関わって何らかの影響を受けていることが推察される。
従って、この場面はファイアフライ時代から関わってきたメルがアビーをどう見ているかという点で、アビーの人物像を理解する手がかりになる。その人物像として読み取るべき残虐性を発揮するアビーという部分に関して「アイザックのお気に入り」としてしまうのは一段階抽象化しすぎている感がある。アイザックが如何に残虐で狂気と紙一重かということを仄めかす場面があり、アビーがその彼のお気に入りであることは間違いない。しかし“Isaac’s top Scar killer”という直接的な言及をぼかしてしまうと、ヤーラと救い救われる関係を築いて悪夢から解放されたこの時点のアビーと、メルが見ているかつてのアビーの残虐性という対比が際立たない。
該当箇所は〈スカー殺しの筆頭が急に~〉でよいのではないか。
次に挙げる部分は、物語を理解する上では些細な部分だが、しかし和訳に理解出来ない部分がある。最初に挙げたエリーとノラの会話の後の、胞子が舞う病院階下に落ちてエリーがノラを追い詰めるシーンの会話が全く成り立っていないのだ。
胞子を吸っているにもかかわらず微動だにしていないエリーを見たノラが、エリーが例の女の子だと気づく一連の会話に続いて「アビーはどこ?」と問われ、「言ったところでどうせあたしを殺すんでしょ?」と返す。
この翻訳が成立するための条件を考えたい。まず、前提としてこの世界の人は胞子を吸った時点で感染が確定し、後はバケモノに成り果てるしかない。これは人として死んだも同然だ。治療法がないのだから助かる見込みは一切ない。しかし「言ったところでどうせあたしを殺すんでしょ?」という台詞は生き残る余地がなければ成立しない。生きる可能性があって、持っている情報を渡せば見逃してやるという条件を提示された側が、情報を渡しても相手は自分を殺すのではないかと疑う構図だ。これは前提と相容れない。
実際に交わされている会話は〈どうせ死ぬんだから何で情報をくれてやるのさ〉と拒否するノラに対し、「言えば楽に死ねるよ それとも… 苦しんで死にたい?」とエリーが対価を持ちかける。情報を渡してバケモノになる前に人として楽に死ぬか、吐かないのなら苦痛を味わってバケモノに成り果てるのか。「どうせ殺すんでしょ?」はこの場面の駆け引きとしては成立せず意味不明な訳になっている。
また、アビーのシアトル一日目、アリスを連れて檻から出た直後のメルとマニーの会話が原文とずれている。
「お天気姉ちゃん」と一緒にいたマニーをからかいながら彼女が何をしていたのかと問うメルが、その彼女について「戦う必要がないのは羨ましいな」と言い、マニーは「戦うのが嫌ならな」と返すやり取りなのだが、実際にはそんなことは言っていない。メルの〈(マニーが)戦闘からは離れるようになったみたいね〉に対し、からかわれたお返しとばかりにマニーは〈ああ、そう思いたいんならな〉と返す。続いてメルの台詞が〈私は喜んでじっとしてると思う。みんなを診ながらね〉である。こうしたやり取りの上でマニーは「スカー殺しが恋しくなるぜ」と言うのだ。メルは自分の推測が外れて相変わらずのマニーであったことに〈そうは思わないわ〉と苦笑いをしながら応え、そこでマニーが「俺には耐えらんねぇ」と来る。医者のメルが好戦的なマニーを少々からかって、彼が落ち着いたのかと思いきや相変わらずであったという場面である。
この他、アビーのシアトル三日目の、アビーがヤーラと島に上陸した直後の会話にも不可解な点がある。高架に上がってアビーがWLFの吊された密偵を目撃する場面だ。咄嗟に「ひっど」と言ったアビーに対して「知ってる人?」とヤーラが問う。「顔見知り」と応えたアビーに、ヤーラが「友達… 怒らせちゃったね」と言う。“I’m sorry… About your friends.”〈友達のことは…残念だわ〉というのが「怒らせちゃったね」になるのは、そう解釈することはあり得るかも知れない。しかし実際にはそう言っていない以上、“Fuck.”が「ひっど」になっている点も含めてやり過ぎだろう。
他に、アビーのシアトル三日目の最後、アビーとレブが劇場を襲撃してトミーの後ろを取った場面で、トミーは「ひと思いに殺しゃいいだろ」と言う。しかし実際は“You gonna kill me like a coward?”だ。西部劇でよく描かれるように、「名誉の文化」“Culture of Honor”の文脈では後ろから撃つということは歓迎されない。やれば村八分かそれ以上の「臆病者」という烙印が押される。そういう文脈で、トミーは〈(お前は)後ろから撃つ臆病者か?〉とアビーを挑発しているのだ。それを「ひと思いに殺せ」というのはどうにも理解が出来ない。
そしてこの後に続く場面に重要な箇所がある。エリーが銃を捨てて言う台詞が“I know why you killed Joel. He did what he did to save me.”だ。しかし和訳は「ジョエルのせいじゃないの あたしを守ろうとしただけ」となっている。エリーは〈(あんたが)何故ジョエルを殺したか知ってる〉とはっきり言っているにもかかわらず、その言及を無かったことにするのは如何なものかと思う。発言の間隔がかなりキツいので語句を収めるのが非常に難しい部分だが、エリーの認識としてアビーに復讐を果たす理由があると受け止めていることを明示するかしないかは、物語の終盤にエリーがアビーを押さえつけている手を離す部分を理解する際に関わってくると、私は考える。
他にも重要な部分がある。エリーが納屋でパニックに陥る部分だ。エリーをなだめるディーナが“Haven’t had any excitement in a while, hmm?”と言うのだが、「最近…何も刺激なかったし」となっている。“any excitement”はフラッシュバックで引き起こされる「発作」のことだろう。
ここまでは首を傾げる場所のみを挙げてきたが、突っ込み処しか無いのかというと、そうではない。一つ目に指摘したエリーとノラの会話の中で“Maybe you should have.”を省き“Or maybe you should’ve~”に集約させているように、この作品の中では収まりきらないものを削ぎ落として整合性を保つ作業がそこかしこで成立している。
また、西の病院でノラがアビーを解放する場面では、ノラが言う“I never thought I’d see you on Isaac’s bad side.”を「まさかあんたがアイザックの機嫌を損ねるとはね」とうまく纏めている。だたこれは“Isaac’s top Scar killer”を「アイザックのお気に入り」とした部分と対になっているようにも取れるので、なんとも言い難い。
他に和訳で非常にいい対比を演出している部分がある。ジャクソンの農場にトミーが来た場面で、トミーがアビーとレブの情報を伝えるもエリーの反応が鈍く「いいか、俺は行けない」と畳みかける。これに対するのはサンタバーバラに発つ直前のエリーとディーナの会話で、引き留める殺し文句としてディーナが言う「私はもう行けない」だ。「行けない」と言って行かせようとするトミーに対し、引き留めようとするディーナという構図は英語では見えてこない。トミーの言う“Well, I can’t go.”に対してディーナの“I’m not gonna do this again.”だ。日本語の対比は非常に効果的だろう。
そしてエリーが最後に回想する場面のエリーの発言は意味深となる。エリーは“I was supposed to die in that hospital. My life would’ve fucking mattered. But you took that from me.”とジョエルに言う。和訳は「あたしはあの病院で死ぬはずだった 生きたって証を残せたのに それを奪ったんだよ」となる。エリーはホモセクシャルであり、彼女が子供を産まないと決めていたとしても何ら不思議では無い。ヘテロセクシャルの女性にとって、望んで子供を産むことは自分が生きた証を残すこととして捉えられるだろうが、そうではないエリーが「生きた証」として「自分の免疫に何らかの意味を求めていた」と考えることも出来る。英語では「生きた証」という明示は無い。字面としては〈自分の人生がとんでもなく重要な意味を持った筈なのに〉程度であることを考えると、翻訳は深く読めるようになっている。
ただ、ここには同時に奇妙な部分が存在する。ジョエルが言う“I’d like that.”の解釈だ。和訳は「それでいい」となっているが、この場面の「それ」についてジョエルは良し悪しを判断する筋合いではない。この部分は声優の演技が絡むことで尚更ちぐはぐなものとなっているように見受けられる。ここでいう「それ」つまり“that”はその直前のエリーの発言である“Yeah… I just… I don’t think I can forgive you for that. But I would like to try.”を指している。
ジョエルはエリーを欺いてきた。二年前に真相を知ったエリーは、ジョエルに絶交を宣告する。そして恐らく二年ぶりに、パーディーで揉め事が起きた際、不本意な形で言葉を交わした後、ぎこちなくまともな会話を交わしているわけだ。ジョエルはエリーが絶交を宣言するだけの背景を十分に理解しており、許しを請う側である。投げられたボールはエリーの側にあって、そのボールがジョエルに返ってきたのだ。そのような状況で、ジョエルがエリーの姿勢について良いとか悪いとかを言う筋合いではない。
ジョエルの声優であるTroy Bakerの演技を聴くと、この場面でジョエルの鼻息は震え、泣きそうな絞り出すような声で対話をしている。エリーに何と言われても文句が言えない状況で、もし二度目のチャンスがあったとしても同じことをすると伝えた直後の応答が“Yeah… I just...”の下りだ。エリーは、許せるとは思えないが許したいとは思っているという前向きな回答をする。そこでジョエルが今にも泣きそうな声で“I’d like that.”を絞り出す。
しかし吹き替えの山寺宏一が「それでいい」と言ってしまうと、筋違いのことを言っている違和感となる。これは氏の演技の問題ではなく、台詞と演出の問題だろう。ジョエルにとっては、二年間の空白の後に突発的な接触、それもエリーの逆ギレという形で言葉を交わすこととなり、その後でエリーが来てくれたのだ。お互い探るように会話をし、話が核心部分に行き着いてしまったその中で、ジョエルの告白をエリーが受け止めてくれたわけだ。二人の関係には先が見込める。時間はかかるかも知れないが、終わりではない。ジョエルはエリーの彼に対する姿勢を受け入れる。そこに評価など入りようがない。〈そうか/そうだったか〉と受け入れるのが妥当だろう。
以上に述べた通り、この作品の翻訳には咬み合っている部分と共に、些細な齟齬から危うい齟齬までがあることを提示した。しかし、以下に述べる部分は物語を解釈する上で決定的にオリジナルとは異なった方向へと導く誤訳である。
該当箇所は、島に上陸した直後のアビーとヤーラの会話で、上述したヤーラが言う「怒らせちゃったね」の直後の会話だ。ヤーラはアビーに「何で助けてくれるの?」と問う。アビーはレブにも同じ事を問われたと答えた上で「だって こんなの間違ってるし それに… 自分の… ためでもある」と言う。この「自分のためでもある」という台詞は極めて問題であり、この物語を通して貫く背景と深く関わる。従って詳細は別稿にて述べるが、端的に言って原文ではそう述べられていない。当該箇所は“I guess… You don’t deserve it. But also… I needed to. I had to.”〈する必要があった。やらねばならなかった〉である。
様々な制約がある翻訳作業において、元の言語が持つ意味構造を壊さずに他の言語に移植するということは至難の業と言える。従って過不足無く変換されることはないということを弁えつつも、主に整合性のつかない部分について述べた。
11/1 エリーとノラの会話が不成立の部分を加筆。
11/17 アビーとヤーラの会話部分を加筆。
11/19 マニーとメルの会話部分、決定的な誤訳の部分を加筆。
11/30 エリーとノラの会話が不成立の部分、マニーとメルの会話部分の会話
表追加とそれに伴う本文修正。
8/7 冒頭の関連稿に関する構成変更と会話表の調整。
8/8 アメリカ的マッチョイズムや体面→「名誉の文化」“Culture of Honor”
〈私訳〉と「公式訳」の区別を明確化、漢字訂正。
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