えむのこと ~最後の一週間のこと 5/27~

5/27

輸液をやろうかやめようか死ぬほど悩んでいた日だった。
ふらふらとトイレに行って倒れこむように寝る。大きな悲しい切ない声で泣き出したのもこのころ。お水を張ったボウルがビリビリ言うほど大きな声だった。

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近くに来たり部屋の隅っこで寝たり。不安だけどひとりでいたいような、複雑そうだった。

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でも目はしっかりしてる。

踏ん張って踏ん張って最後のうんちをしていた。姿をみているだけで「これが最後なんだな」とわかった。どうしてもお尻についたまま砂に落とすことができず力み疲れて倒れこんでしまった。凄く悲しくて切なかったけど、かっこよかった。愛おしかった。濡れたコットンで拭きとったうんちをよくよく見たらネフガードでまっくろのいつも通りのうんちにしらすが一匹未消化でくっついていた。えむが食べていた黒缶はしらす入りかつお。そのしらすが出てきた。ちょっと笑ってしまった。

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お手洗いのために目を離しているすきにガタン!という大きな音がして慌てて様子を見に行ったらケージの二階に上がっていた。

あんなにふらふらだったのに。本当にびっくりした。


2時間くらいケージで寝ていたと思う。なんだかんだでケージも気に入ってくれていたんだなとうれしかった。

えむのプライドがあるのでケージから降りる瞬間も見守っていた。けどケガは怖いのでひやひやものだった。それでも自力で降りてまた大きな声で鳴いた。

今しかないなと思って「お願い最後にもう一回一緒にベッドで寝ようよ」と言って抱っこしてベッドに上げた。

最初は嫌だって顔してたけどお願いと言ったらしぶしぶ、いつも通り腕枕で寝てくれた。毎日毎日この姿勢で一緒に寝た。ここでえむの体温がいつもより低いことに気が付いた。
たった5分くらいの時間だったけど切ないような満たされたような、そんな気持ちだった。

悩みに悩んで輸液をやった。
なんとなく「これで最後だろうなあ」と思っていた。

いつも通り湯たんぽで冷蔵庫にいれていた輸液を温める。でもいつもより体が冷たいえむにいつも通りの人肌温度は熱く感じるだろうと思って常温程度で温めるのをやめた。

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この時えむの姿勢はたまたまやりやすい姿勢だったので失敗もなく順調にやることができた。相変わずなんの保定もいらない。
思えば昨年の年末のお休みを利用して1日置きに病院に通い3回練習をして1/1から自宅で独り立ちして輸液をやってきた。わたし一人で成し得たことではなくえむの協力があってできたこと。闘病は共同作業という意味がここにきてよく分かった。輸液も投薬もわたし一人の努力じゃなくてなによりえむが受け入れてくれたからできたこと。

食べなくなっても夜にカプセルに詰めたセレニアだけは飲ませていたけどこの日からやめた。痛い口を開けさせて飲ませることが怖かった。砕いて水に溶いてシリンジで飲まることも考えたけどセレニアはとっても苦いとネットで読んだのでそれもやめた。お口泡ぶくで蟹みたいにさせるのはかわいそうだ。

いままでは「えむが」わたしに甘えていたけど、「わたしが」えむにたくさん甘えた。優しいえむだから拒否するようなことは全くなかった。名前を呼べばしっぽで答えてくれた。しっぽを触ればうっとうしそうにぺしぺししてくれた。

この日は輸液をしたという安心感から比較的一緒によく眠れたと思う。

ふらふらとトイレに向かいトイレの縁をまたぐえむの足元に手のひらを差し出し踏み台を作る。降りるときは体を支えてあげる。おしっこを終えてまたふらふらと、途中休憩をはさみながらも自分の足でベッドに戻り大きな声で鳴く。「行けたぞ!」と泣いているような、ふらつく自分にイラついているような、複雑な鳴き声だった。
このころからわたしもさすがに疲れが出てきて寝ているのか気を失っているのかよくわからない睡眠をとりながらも、不思議とえむがトイレに向かう際はどんな夜中でも飛び起きて支えた。もちろん支えるときは中腰である。全身の筋肉が疲れというものを忘れていた。あれがいわゆる「アドレナリンが出ている」という現象だったんだな。


寝たきりになることを見据えて買ったマットが届いた。これも欲しいものリストからいただいたギフトカードを使って購入させていただきました。

これが本当に良かった。

Mサイズは大きすぎたかと思ったけれど、半分のところで鋏を入れて半分はタオルを掛けてえむの下。半分はわたしの肩から腰までに当てて横になった。わたしはこれで全身の痛みから解放された。えむはどうだったかな。気に入ってくれたかな。

通気性もよく床ずれが防げるそう。粗相があったとしても丸洗いしてすぐ乾くと思うのでお勧め。





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