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怖くて壊れそうです…

実は先月の半ば過ぎくらいにネットカフェの椅子で転倒してしまい脊椎を骨折してしまいました。
脊椎といっても首下くらいの上のほうで現在歩くことは出来ます。
ネットカフェの滑車付きの椅子で創作中床が硬いツルツルの床面であった為滑ってしまい床に椅子ごと投げ出されるようにして私は叩きつけられました。

激痛の嵐の中荷物をまとめて這うように廊下へ出ると店員さんを呼び救急車で運ばれたのですが、あの激痛は恐ろしかったけれど今月になってもしぶとく続き今もベッドの起き臥しがとても時間がかかって大変です。
一泊2日の入院はさせていただいたものの基本的には手術がすぐにでも必要な人でなければ骨折では入院は許可されず痛み止めを出されて退院を余儀なくされました。
それ以来痛みと恐怖と不安と悲しみの中に棲んでいるかのような状態が続いてしまっています。
骨折はそれでも治ってゆくことと思いますが私が今とても怖いのは骨折のCTの結果、他の臓器の部分も映っていた為に医師から告げられたことは肺に影があり、検査の必要があるということ、 
骨折が現在あまりにも生活すら困るほどの(とはいえ仕方無いので買い物も自炊もしています)激痛を伴うためにその痛みがある程度までに引いてから検査をしましょう(細胞を採る検査である為に体力が必要なので)との医師の判断にて現在はまだ検査待ちですが、
今日医師から電話があり、わざわざ腫瘍が1、5㌢ほどで肺の出来物ではあるものの良性悪性の可能性としては五分五分と言われました。
25日にはもうそのことを告げられて知ってはいたものの私の中ではまだ良性と信じたい思いが現在もずっとあるため敢えてnoteに何か打ち明けるということもしなかったものの、(これからも書かずにいこうと思っていた)具体的な腫瘍の大きさやいろいろなことを電話で聴かされて骨折で痛む身体に(神経が繋がっているために一見関係ないとこまで痛む)更に打撃を受けながらも「きっと良性だと思おうそれでないととてとじゃないけれどまともな神経でいられない」と思弁してきました。
ですが改めて電話でもう一度詳細に教えられると先月から抑え込んできた恐怖がキャパシティを越えた私という坏を超えて溢れ伝い、今は(信じられない、ここから先も長く書いていたのがちょっとした隙に下書きが例により飛んで無くなり、また書き直しています、大切なnoteですがnoteのこういうところは本当に私は怖いです)ただただ抜け出すことの出来ない恐怖という狭い檻に閉じ込められてしまったかのような思いでいます。
良性悪性の可能性五分五分とはいえ私はここ数年本当のことを言って体調が酷かったのです。
今はネットで調べることも出来、背中が痛かったのも肺癌であったからだろうかとさえ今になって思いますが、背中だけでなく兎に角あまり具体的には書きたくありませんが体調は酷かったのです、
その為に難病を疑い、京都の有名な病院で検査を受けたり専門医を訪ねたりもしていたもののそうではなくて私は内心数年間独りでとても悩み、苦しんできました。

そこの医師から「血液検査も大丈夫だけどそんなにしんどいなんてもしかしたらどっか癌にでもなってるんじゃないの?」と言われ、恐怖の打撃に打ちのめされて、独りで帰った暗い道を今もよく覚えています。
あの時の私は呆れられてしまいそうですが、猫がまだおり、とてもとてもそのことを心配していました。
同時に猫を私の代わりに終生可愛がり大切にしてくれるとこなど数、日本全国で探したのですが1頭最低で60万円で引き受けますという施設や、200万円のところや私にはどうにも太刀打ち出来ませんでした。
安易にもし貴女に何かあった場合は猫ちゃん引き受けるわよ大切に最期まで面倒見ますよと言ってくれたもののその舌の根も乾かぬうちにあのことやっぱり無しにしてねと明るく言い放つ人や京都ではない関西圏の動物愛護団体関連の女性が我が愛猫の(私に何かあった時の)必ず受け皿になる、心配しないでねとの言葉に安堵したのはもう何年前のことだろう…
コロナなど全然無かった頃でした、体調が悪すぎることを悩んでいながらも誰にも打ち明けられず、気持ちが不安や恐怖で壊れそうなのに猫を案ずる気持は私の中でどうにもならなくてまだ幼い子供のいるシングルマザーの心地というと、不適切でしょうか…
夜、恐怖や不安感が支配する中、寝つけず、朝目覚めると同時に恐怖と心細さに涙が流れるという日々をずっと送ってきました。
動物愛護団体関連の女性へその後、1週間か十日くらい経った頃電話をするとその女性の電話番号はこの電話番号は現在使われておりませんというアナウンスと共に意味のないものと化してしまいました。
同じようなことを何回も繰り返すうち絶望した私はその中で、私が最期までなんとかして頑張らねばならない、犠牲にしたくないという気持ちを真っ暗な思いの中で、独りで歯牙むように決める以外無かったのです。
無論、猫が悪いのではなく私が何度となく与えられてはバックレるように消え去った希望らしきものが幾度となく繰り返された後、
私が決めたことなのでどうしようもありませんし、誰が悪いわけでもありません、
苦しかった時いつも「まだ死ねない、この子がいるんだから」と言い聞かせてきたものの、いろんな検査をしてもしても判明しなかった為にこの苦しみはずっと続くかのような気がしていました。
でも周りは恐らく気がついては名がら同時に気がついていなかったと思います。
とても辛そうに時折しているのを
見るけど大丈夫?と言いながらも「でもいつも綺麗にきちんとしているから大丈夫よね」と言われてしまう…

ネットカフェでキャスター椅子で滑って転んで骨折をし、そのCTやレントゲンにて腫瘍がこんなに数年後判明するとは夢にも思わないことでした、
本当のこと言ってもうこのまま知りたくはありませんでした。
内心私は長生きは恐らく出来ないなとずっと思ってきていたからです。
ですが五分五分なので良性の可能性も勿論、五分あります
私はその五分を今も信じています。私はハッキリ申して発達障害ゆえに随分辛い人生でもありましたが、現在こうしてnoteで執筆、創作するという生きる喜びも頂いています。

私はまだ生きたい、
誰がまだ死ねましょうか
何故ならば…書きたいのです!!
ただ書きたいのです。

エミリーキャットは特に完遂させたい
他の作品も一編一編が私にはとても大切な魂の欠片です。

このことを書くつもりはずっと無かったのですが、書かないともう長年耐えてきたこの途方も無い独りで味わう怖ろしさに、これ以上は耐えることが出来ません

肺癌の可能性だなんて煙草など吸えない私が何故とも思いますが、今はひたすらに良性という光を信じています。

いろいろ書きましたが、また相当な体調不良や痛みを抱えてはきたものの良性の腫瘍であっても体調不良はあるやもしれないので、とにかく悪いほうへは考えないよう努めてはいます。
ですが独りきりの夜がくると叫び出したい恐怖に締めつけられ、ただただ今は怖くて不安で人生ごと壊れそうな気持ちでいっぱいでいます…

検査をするのはいつかはここには書きません、アポは取っていますが良性の腫瘍であれば、翼猫無事でした、との喜びの報告必ずさせて頂きます。
仮に悪性であった場合はもう何も言わずこのままいこうと思います。
その進行の度合いにも依ると思いますが、場合によっては自然のままに任せる可能性もあります。
エミリーキャットにしてもあまりのしんどさにもう駄目かも、書けなくなるかもと何度も思いながら書き続けてきましたが、もう一体どうしたらいいのか今の私には解りません…

とはいえ書きたいのです
私は楽しくて書いてるばかりではない、書かないと生きられない人間だと自分自身のことを痛感します、

書くことは呼吸すること、食べること、飲むこと、と同じ、
いやそれ以上なのです、

だから生きて元気に書き続けたい、
私は良性と信じていますしこんなに図太い悪性なんてあるかなと思うので、そうだと思っています。
どうかnoteの皆様も翼猫の腫瘍が悪性ではなく良性であることを祈って下さい、

良性であった時は必ず告知するのでみんなで共に喜んでね
その時を楽しみに待っています。

と同時に仮に悪性であっても書けるまで私は書き続けます。
どこまでそれが出来るか、想像もつきません
怖くて怖くてならない、
誰かに抱きしめられたいような孤独に押しつぶされそうですが
嫌でも朝はやってくるのです

悪性であれば何も書きませんが、良性だったよ万歳と書けることを待っていて下さいね
私の作品は人気があまり無いので、読んでくれている人は少ないと自分では思っているものの、
作品は私の命そのものです。

どう出たにせよ私は書きます
書くことは生きることそのものだからです。
今風にもっとゆるく軽やかに生きられたならもっと楽だったかもしれない、
でも自閉症域の人間は気がつけば無自覚のうちに自分を燃やすように、懸命に疾走するかのように、生きてしまっています…
そうしようとそうしてなんかいないのに、

どうやってみんなのように生きられるのかむしろそちらのほうが私には難しく理解が出来ないのです。
でも私の左の肺が私の信じる良性であれば、これからはその軽やかに生きる新しいリズム、その新鮮な音感を新しく身につけたい、
発達障害、特にASD、自閉症スペクトラム障害の人間にはそうとう努力して自覚しながらその技法を会得しないとならないのですが、きっとその価値はあると思う

文章が部分的に支離滅裂なところがありますが、このままで載せます。
場合によってはあとから下げる場合もありますが、

親愛なるnoteの住人の皆様、コメントは敢えてどうか今回はご遠慮ください


こんな事書いてごめんなさい、
でも独りで抱え切れなくなりました。でも昨年、愛猫を二十歳で看取れてある意味安心はしています。

でも私の、私のための人生はこれから始まるのだと信じています。だからきっと大丈夫


2024年
7月9日

翼っち頑張りまぁすっ♡



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