巫蠱(ふこ)第二十三巻【小説】
《草笠クシロと之墓簪①》
シズカとクシロは来た道をたどって帰途につく。赤泉院から宍中に戻り、十我の家に泊めてもらったあとで例の森を抜けるのだ。ここでの案内役は之墓簪。「クシロさんは泉の底で人骨を見たはずなのに平気そうだね」「驚きはしたよ。でも不思議と、違和感がなかったんだ」
《之墓簪⑥》
歩いているあいだ、簪は無難な話題を提示し続けた。露骨と思われないよう注意しながら。(ここで核心にふれる質問をされてシズカさんに真実を見抜かれたら、わたしの責任で全てが無駄になる。もう踏み込まないで。一歩間違えば、お客さんたち消されてたんだよ)
《茶々利シズカと之墓簪①》
「質問には答えられないけど、骨に事件性はないから」そんな簪の証言に、クシロに限らずシズカもうなずく。(草笠が泉にもぐったことだけでなく、俺が嘘を分かることについても情報共有は済んでいると見ていいな。今朝の食事のときよりも簪の警戒心が強まっている)
《茶々利シズカ⑥》
(いや待て。今朝、簪は初対面の俺たちの食事も用意していた。この時点で俺のことを知らされていたはず。彼女の変化の原因は別にある。……あの部屋の隣室に誰かいた。きょうは途中でふたりに増えたようだった。加わった者が、万一の場合の刺客だったとすれば……)
《茶々利シズカと宍中十我⑥》
十我の家の前に戻ってきたとき、そのそばにたたずむ家主へとシズカはこうべを垂れた。「感謝を」「あなたを人質に指定した張本人に言いますか」「それが、かえってよかったようにも思われまして。草笠への予行演習や虫占いにしても」「全て自分たちの利益のためです」
《之墓簪と館④》
家のなかでは、あいかわらず小さな影が不可思議な絵をかいていた。「あ、お姉ちゃん」そう呼ばれた簪は利き手を伸ばし、妹の館のあたま……いや髪を撫でるのだった。もう片方の手で絵を指差す。「この灰色の影は誰」「そとの人」「そう」簪は指をゆっくり引っ込めた。
《茶々利シズカと草笠クシロ⑮》
あっさりした帰途だった。十我の家で一泊したのち簪に連れられ、宍中をあとにする。巫蠱の地を囲む森を抜け、街道の石畳に足を付ける。葛湯香の天幕が張られていた荒れ地の近くに出たようだ。「シズカさん、馬車でも拾いますか」「その前に深呼吸でもしよう。草笠もな」
《巫蠱の地⑥》
密集する木々に目を向けるシズカ。簪の姿はすでにない。「俺たちは行きも帰りもあの森をとおった。草笠は気付いたか、往路と復路で道のかたちが変わっていたことに。出入り口は同じだが木の配置が違っていた。人為的なものだ。きょうの道も、もうたどれないだろう」
《茶々利シズカと草笠クシロ⑯》
ふたりは帰りの馬車に揺られる。「今回の訪問でいろいろな人に会えました」「本当にな。ところで俺は野暮用を済ませて帰るから、おまえは先に戻って善知鳥に報告しといてくれ。それと」シズカはあえて街道沿いの景色に視線を投げてそっと言った。「よく頑張ってくれた」
《草笠クシロ⑧》
シズカと別れたクシロは馬車を利用しつつ街道を北西にたどる。隣国に近づく道のりだが、進めば進むほど人がまばらになる。国境にはまだ少し距離があるところで徒歩に切り替え、街道から外れる。そこに広がる草原に、ひっそりたたずむ建物がある。その戸をたたく。
《善知鳥カラタと草笠クシロ①》
建物内の一室で上司の善知鳥は待っていた。以前、雲なき雨の翌日にシズカも交えた三人で話をした部屋にクシロは入る。「……口頭での報告は以上です。のちほど書面にまとめます」「ご苦労だった。あとで茶々利にも確認する」「質問はありますか」「赤泉院蓍をどう思った」
《善知鳥カラタと草笠クシロ②》
「自分は彼女の似顔絵も、かこうとしてみました」「楼塔皇のときは罪悪感に阻まれたのだったな」「筆頭巫女をえがけない理由は違います。外見などを描写しようと筆をとっても『それで理解した気になるな』と登場人物から嘲笑され結局筆をおく、そんな小説家の気分です」
《善知鳥カラタと草笠クシロ③》
「それも、とびきりか」「とびきりです」「ほかの巫蠱の似顔絵は」「無理でした。蠱女は罪悪感により。巫女は劣等感により。館はあどけないとか鯨歯は背が高いとか、その程度なら描写可能ですが」「ありがとう。そちらから質問は」「善知鳥さんと筆頭巫女の関係について」
《善知鳥カラタと赤泉院蓍①》
「赤泉院蓍はわたしのいとこだった。親戚ではあるが、たまに会う程度の間柄だった。しかしある日、彼女はわたしに『赤泉院の巫女試験に次席で合格した』と伝えてきた。元の名を捨て、かの地に引っ込んだ。これを隠したのは君に自分の目で彼女を見てほしかったからだ」
《善知鳥カラタ①》
「無論彼女はもう巫蠱だ。私情は混ぜない」善知鳥カラタは自身の両肩をそびやかす。彼は生まれつき怒り肩なのだが、それをさらにかどばらせた格好である。クシロに休暇を命じて部屋から退出させたあとも善知鳥はその体勢を続けた。「劣等感か。蓍は……笑うだろうな」
《善知鳥カラタと茶々利シズカ①》
クシロは休暇に入る前に今回の件を報告書にまとめて提出してくれた。善知鳥はその紙を片手でめくりながらもうひとりの部下の茶々利シズカを待つ。シズカが戻ったのはクシロが帰って来てから二日後のことだった。「茶々利もご苦労だった」「頑張ったのは草笠だよ」
《善知鳥カラタと茶々利シズカ②》
シズカからも報告を受ける善知鳥。内容はクシロに聞いたものとほぼ同一。ただし鯨歯の身の上話などシズカしか得ていない情報もあった。「そのとき草笠は筆頭巫女と話す予行演習を受けていたからな」「なるほど、その時点で蓍との会話の方向性が誘導されていたのか」
《茶々利シズカ⑦》
「十我は俺を人質に指定した。もっともな理由は付けていたが、本当は赤泉院蓍と俺を会話させたくなかったんだろう。誘導の効かなそうな俺に都合の悪い話題を投げられたら困るというわけだ。だが今回の動向調査はなにごともなく終わった。自然すぎるほど無難にな」
《茶々利シズカ⑧》
「宙宇は『死なないように』と口にした。葛湯香は俺たちの始末を要請する文言を予想して紹介状を読んだ。鯨歯は本気でいのちを懸けていた。随所に、不穏がちりばめられていた。最初から俺たちは薄氷を踏んでいた。それを踏み抜かずに済んだのは誰のおかげだと思う」
《善知鳥カラタ②》
「つまり彼女たちには暴露されたくない秘密があった。知られたら君たちを帰さないつもりだった。とはいえ軍の使者が消息を絶てば我々にせんさくのきっかけを与えるようなもの。できれば五体満足で帰還させるべき。そんな思いに君たちは守られた。違うか、茶々利」
《茶々利シズカ⑨》
「俺は草笠のおかげとも見ている。あいつは礼儀として訪問相手を信頼した。蠱女、思われる者がその思いを受けた。巫蠱という不詳の存在に対する草笠の認識が館の絵で軟化し、十我に流れた。だから『損』という占い結果も受け取れた。これがなければ死んでいたと思う」
《善知鳥カラタと茶々利シズカ③》
善知鳥は肩を上下させ、シズカを見る。「巫蠱は二十四人で世界相手に上手く立ち回る必要がある。情報の秘匿は防衛上当然だ」「隠すにしては、におわせる言動が多かった。そして筆頭巫女は御天の弱体化をわざわざ否定した。善知鳥、俺の仮説を述べていいか」「駄目だ」
《善知鳥カラタと茶々利シズカ④》
「おまえが話すなと言うならそれに従う。この可能性は俺の……いや、お互いの心にしまっておこう」ふたりはここで話を終える。背を向けるシズカに声をかける善知鳥。「しっかり休むように」対してシズカは振り返らずに応じる。「俺は国境に戻る。休暇はそのあとだ」
《そとの人間㉞》
善知鳥はシズカに全てを語らせなかった。盗み聞きされている可能性を考えたのだ。ふたりが話していた場所は建物の地下。クシロが入った部屋とは別室。音を通さない壁で囲われた空間。分厚い扉の前には信頼できる見張りが三人。普通なら話を聞かれる心配はないのだが。
《刃域宙宇⑧》
巫蠱を思えば絶対的な安心はない。「大丈夫だろう」という甘い思いを、簡単に上回ってきそうなのだ。事実、会話は盗み聞きされていた。(確かにカラタくんは有能な上司だ。内容次第では処理するつもりだったが、この程度なら手が出せない)刃域宙宇が、聞いていた。
▼次回の話
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