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禍話リライト「畑の娘」

あるサラリーマンが、地方の過疎地で訪問販売を命じられた時の話だという。


何にも成果が上がらない。そもそもどこにも人家がない。
しかも販売するノルマを課せられたのは、過疎地にはとてもニーズがあるようには思えない当時の最新機器だった。夏の盛り、朝から駆けずり回って当然ながら一つも売れていない。

「こんな田舎で買うヤツなんかいねぇよ……」

仕事とはいえ限界だった。熱中症一歩手前の体が日陰を求めて訴えている。もう倒れる一歩手前だという時、トタン屋根が据えられたバス停を見つけてベンチに座り込んだ。すっかり温くなったスポーツドリンクで喉を潤す。
ぼんやりと正面に視線を向ける。道の向こうに広がる畑には陽炎が揺らめいていた。

(何だろうな、この畑……米じゃないし、麦かな?)

とりとめのないことを考える。黄色い穂が風に揺れ、ざぁと音を立てていた。
いい加減埒が明かないので仕事を切り上げて退散しようとも思ったが、時刻表は田舎にありがちなスカスカ具合でバスはしばらくは来そうにない。時間を潰そうと目に付いた自販機に足を運んでみたが、ほとんど「売り切れ」のランプが灯っていた。悪態をつきながら辛うじて残っていたミネラルウォーターを買い、再び喉を潤す。
携帯電話のアンテナは心許なく、暇潰しに使っているとすぐに電池が尽きそうな予感がした。

「あぁ、クソッ……何なんだよ。全く」

溜息をつきながら顔を上げる。目に入るのはよく分からない畑だけ。人っ子一人いそうにない、どこまでも広がる田舎の風景のみ。

だから、もし誰かがそこに来ていたのなら気付いていたはずなのだ。

「……何だ、あれ?」

畑に広がる穂の中に、女の子の顔が浮いていた。しかも、こちらに向かって近づいてくる。
その全身が見えるほどに近付いたから分かったのだが、彼女が纏っているのは小袖や浴衣のような古めかしい和服のようだった。

(この辺りの子かなぁ……こんな田舎にもまだ小さい子がいるんだ)

幼稚園か、せいぜい小学校の中学年くらいだろう。背は少し高めだが顔にはまだあどけなさが残る。声はかけてこないものの、明確にこちらを視認して手を振っている。他にやることもないので手を振り返してやった。すると彼女は何が面白いのか、けらけらと笑い出す。よそ者を見るのが珍しいのだろうか。

やがて女の子は、揺れる穂のてっぺんをさぁと手で撫でるように動かした。

「……え?」

ふわり、と穂先が風に舞う。まるで穂は鎌で薙がれたかのように、次々と風に舞い始めた。

「何、なんで……?」

そういう植生――少し手に触れただけで落ちてしまうような植物なのかとも思ったが、そんなはずはない。そうであれば彼女に触れられる前に、風によって全て散ってしまうはずだ。
俺が状況を理解するより先に彼女は右、左と踊るように手で穂を撫でる。それに呼応するかのように、穂はどんどん風に舞っていった。

「暑さで幻覚でも見てんのかな……」

ペットボトルに残っていた水を頭から被る。しかし女の子の姿が消えるなどということはなく、そのげらげらという笑い声が明瞭に聞こえるようになっただけだった。
そして間違いなく、彼女に撫でられると穂がすっぱりと切れて風に舞っている。

限界だった。荷物を掴むと脇目も振らずに走り出す。背後を振り返ると少女もその場を離れていくところだったが、今度は両手をがむしゃらに振り回していた。やはりと言うべきか、彼女の手が触れるに従って穂は千切れ、風に乱れ飛んでいた。

――もう駄目だ、完全に熱で頭がおかしくなってんだ。

茹った頭にそんな考えがぐるぐる巡る。一心不乱に炎天下の道を走り続けていると、公民館のような建物が目に飛び込んできた。行きがけに見た時はまだ誰もいないのか閉まっているふうだったが、今は老人たちが机を並べ将棋か何かに勤しんでいる。彼らは急に姿を現した俺を見て一瞬驚いたようだったが、訝しむこともなく「どうかしましたか?」と声を掛けてきた。
「いや、暑さにやられちゃったのかな……幻覚が見えるようになってしまって。冷たい飲み物かなにかをいただけると、大変助かるんですが……」
「あぁ、それならどうぞ休んでいって下さい」
老人たちは冷蔵庫から取り出した麦茶をコップに注ぎ、俺の前に並べてくれた。
「どうしたの、熱中症?」
「いやぁ。それがあの畑のところで――」

俺は先程まで見ていた少女のことを話し始めた。
いつの間にか現れていたこと。
近くまで全く気付けなかったこと。
やけに古めかしい着物を纏っていたこと。
そして、げらげらと笑いながら撫でた穂が鎌で薙いだかのようにすっぱりと切れていたこと。

老人たちはいつの間にか、将棋の手を止めて俺の話に聞き入っていた。誰も嘘だ、冗談だなどと笑い飛ばす様子がない。麦茶を注いだコップを一度も口に運ぶことなく、完全に固まっているものもいた。
その中の一人、おそらく彼らのリーダーのような人なのだろう。彼はぼそっと、こう呟くのを聞き逃さなかった。

「でも、三十年も経っているのにまだ……」

その言い方がやけに耳に残り、とてもではないがバス停に戻る気にはなれなかった。

「……あっ、お爺さん今の2六の歩! いい一手ですねぇ!」
「えぇっ、本当かい!?」
「おい兄ちゃん、お茶こぼしちゃってるよ。カンベンしてよ全く!」

それから1時間ほど、彼らとよく知りもしない将棋に興じてバスを待った。俺も、そして老人たちも無理矢理はしゃいでいるのを隠そうともしない。そうでもしないと正気を保てないというように。
やがてバスが公民館の前に停まる。どうやら老人の一人がバス会社に連絡をして、ここに乗客がいると伝えてくれていたようだった。先程のリーダー格の老人が先に乗り込み、運転手に二言三言何かを言い聞かせている。運転手は何かに納得したように頷くと、俺を乗せると何も言わずに走り出す。
車窓から俺を見送った老人達の顔は、先ほど将棋ではしゃいでいた時とはまるで違うものに見えた。

乗客一人のみが乗ったバスは、夏日に熱せられた田舎道を延々と進む。やがて道の両側に、あの畑が現れ始めた。畑の中にあの子の姿はない。道のずっと先には、先ほどまで俺がいたバス停が見える。
バスはしだいにスピードを落とし、畑の中にあった空き地に入る。そして運転手は車体を切り返すと、元来た道を戻り始めた。路線図はあのバス停の先にもまだ続いている。だがそこを通らず戻り始めたことについて、運転手は何も言わなず、俺もわざわざ聞きはしなかった。


【出典】
禍話R 第四夜

本稿は膨大なホラー知識と実話怪談のレパートリーを揃えるかぁなっき氏が語り手の「猟奇ユニットFEAR飯」による実話怪談チャンネル「禍話」で過去に放送された内容を、若干のリライトを加えつつ文章に起こしたものです。
 現在は毎週土曜日午後11時から約一時間に亙り青空怪談(著作権フリー)が放送されています、本稿を読んで興味を持たれた方はぜひ。
【以下参考】
禍話(@magabanasi)
https://x.com/magabanasi
禍話 簡易まとめWiki(有志によるまとめWikiです)
https://wikiwiki.jp/magabanasi/

甲冑積立金にします。