かんぽう|恋薬《こいやく》第一話『約束の日』

■かんぽう恋薬こいやく


第一話『約束の日』
夜更けのキッチンであたしは小さな声で呟き続ける。それはいにしえの世から伝わる怪しくも尊く崇高な呪文。そして唱えるあたしは・・・

「サチュロス・ヴォルグ・ギルブ・サチュロス・ヴォルグ・ギルブ・サチュロス・ヴォルグ・ギルブ・・・・・・」

・・・とは言った物の、はぁ、あたしゃいったい何をやってるんだろう。

呪文を書いたメモ用紙を見詰めて、あたしは溜め息をついた。そして沸騰している鍋を見詰め、中身をシナモンスティックで掻きまわしながらしみじみと思った。則子のりこ、効かないってこんなおまじないなんか。

今日は週末金曜日深夜。明日は土曜日と言うのに午前中は授業が有るから早いとこ寝ないと朝一の授業に響く。いや、授業なんかはどうでも良い、問題は私のお肌だ、バキバキの肌で学校行きたくないんだよ!!

うげっ、まずい!!早くしないと日付が変わってしまう。こいつは日付が変わる前に作ってしまわないと効力が無くなってしまうらしいから手早く素早く慎重に、という事で火力アップ!!

あちゃあちゃ!シナモンスティックが短いからガスの火の熱さがもろに手に伝わってくる。

だけど、だけどだ、良く考えて見れば何であたしがこんな事する羽目になったんだ?

何が『イシュタルの秘密の惚れ薬』だ。

しかも作り方の出元がインターネットの『それ系』サイト。それに材料が比較的手に入り易かったからこの手を使ってるんだけどね。なんつってもカマキリの黒焼きだのタツノオトシゴの黒焼きだのよりはバニラビーンズの方が遙かに手に入り易いもんな。でも、ネットの内容によれば、ピュアな恋愛には向かないらしいぞこれは。

この程度の材料なら、ちょっとしたお菓子材料屋さんで手に入るし、もし無かったら通販って手も有る。全く、お手軽になったなぁ、おまじないって言う奴も。これで恋が成就出来るんなら何でも出来そうじゃ無い。直接コクった方が早いよ。

全く納得行かないなぁ。何しろこれは自分の為じゃ無くて、クラスメートの則子の為だって処が全く持って納得出来ない。あの子高望みし過ぎるんだよ。選んだ男子の競争率分かってるのか?容姿端麗、成績優秀、スポーツマンで性格良くて男子にすら信頼されてて、なんで生徒会長に立候補しないのか不思議がられてる存在だぞ。則子、あんたと彼じゃ『月とすっぽん』、『兎と亀』、『瓢箪ひょうたんと背比べ』、『A mouse in front of a lion』だ。高望みもいい加減にしやがれ!!己を見ろ己を・・・って、良く々考えて見ればけ仕掛けたのはあたしか・・・そーか、あたしが悪いのか、彼女をそんな気にさせてしまったのはあたしの煽りか。沸き上がる後悔と共にあたしは昼間の彼女との会話を思い出す。

「ねえ、貴子たかこ、あんたの家系って確か魔法使い系だって言ってた事有ったよね」
「え・・・あぁ、魔法使いって言うか、お爺ちゃんのお父さんが呪術師見たいな事やってたってお父さんが言ってたのを、ちらっと聞いた事が有るだけなんだけど」
「じゃぁ、じゃあさ、恋愛の呪文か何か知らない?」
「恋愛?どうした?好きな人でも出来たか?」
「え、うんまぁ、ちょっとね」

教室の隅で私は半分腐れ縁みたいになってる則子から、好きな人が出来たから何とかならなかっ言う相談を受けた。頬を上気させて何だか可愛くいう物だから、つい口が滑って惚れ薬でも使って見るかいなどと軽率にに言ってしまったもんだから則子は瞳のきらきらをパワーアップさせて、私にすがるみたいににじり寄って来た。

「で、でも文献も何も残って無いし薬の作り方何か知らないわよ」
「そんなのネットで調べりゃいいじゃん、AIにでも聞けば一発よ」
「そ、そんな安易なもんで良いのか法子」
「お願い貴子、一生のお願いだから調べてよ、私の人生あんたに丸々預けるからさ!!」

則子に拝み倒されて、私は下校後、家に戻るとネットの検索エンジンで恋に効きそうな、呪文や薬の類を検索してみた。

引っ掛かった件数は意外と少なくて、その中でも実現できそうなのが、いま作ってるイシュタルの秘密の惚れ薬でこれ以外は、材料が集められそうになかったり体に害が有りそうだったり使用方法が難しかったりでどうにもこうにも実現出来そうに無い物ばかりだった。これなら体に塗って、意中の相手の前を通り過ぎる程度で効果が有るらしいので一番作り易いし使いやすそうだった。

鍋の中身が段々と煮詰まって行く。薔薇の香りや、シナモンスティックやバニラビーンズお香りが台所中に漂う。確かに匂いは悪くない。此れを付ければ女性向けの甘ったるい匂いがするコロンか何か付けてる感じで、好みが合えば、ひょっとしたら、意中の相手が自分の方向を向いてくれるかも知れないとあたしは思った。

鍋の中身が冷えたのを見計らってそれを、化粧品用の小瓶に詰める。これで完成。あぁやっとこさ眠れる。則子にはこの代償に何を要求しようか?ハンバーガー一個なんてケチな代償じゃすまないからな、覚悟してろよ則子!

そんな事を考えながら私は台所の後片付けを始めたその瞬間だった・・・

「まったく、今の若い者は、そんな外国の呪術しか使えんのか?」

心臓が確実に止まったのを私は感じた。そして、体は完全に固った。

「だ・・・だれ?」

そう言葉を出すのが精一杯だった。少なく共今聞こえた声は家族の声では無い。あたしの家は両親と弟と私の4人暮らしで今聞こえた声は父親よりも、もっと歳を取った老人のしわがれた声、その主に該当者は居ない。

この頃、世間では物騒な事件も多い。あたしの家が有るのは良く有る住宅街で、この家も建て売りの25年ローンとか父親が言ってた。だからそれが今の声とどう関係が有るのかは全然見当がつかない。特に、安い訳あり物件だともいわくの有る土地だとかも聞いた覚えは無い。

「どれ、その瓶を貸してごらん」

あたしは金縛り状態の体に思い切り力を入れ、油切れのロボットみたいに首だけ何とか声の方向に向ける事に成功した。人間努力だ、根性だ。そして、視線に入って来たのは、床に付きそうなくらいの長い白髪を後ろで束ねて白い長い鬚を蓄え、眼の下当たり迄伸びた白くて長い眉毛。その性で眼の動きが良く分らない表情が良く分らない一言で表すと真っ白な和服姿の老人だった。

「あ・・・あは・・・あはは・・・」

実体を確認したあたしは目の前の爺さんのテーマカラーの様に頭の中が真っ白になった。一言で言えば『出た』という感じだろうか。この時点で気を失うだけの精神力が有れば良かったんだけど、生憎にもあたしの精神力は結構頼りに成る奴だったらしい。

「どれ、いいからちょっと貸してご覧」

老人はあたしから今作ったばかりの薬が入った瓶をするりと取り上げると額にそれを当てがってほんの少しの時間、何か念みたいな物を込めてからあたしに返してよこした。

「うむ、これでこの薬は完成じゃ。但し、効果は次の金曜までじゃぞ」

あたしは受け取った瓶を胸に抱きながらこくこくと頷いた。

「宜しい、じゃぁそういう訳じゃ、何か有ったらいつでも呼ぶが良い。では又合おう、バイビ~~~」

老人はそう言うと、あたしの前から、ふっと姿を消した。同時にあたしは油切れロボット状態から解き放たれて、逆に全身から汗がまさに滝の様に額から背中から胸の谷間からどばっと噴き出した。

「な・・・な・・・なに・・・今のは・・・」

確かに見た、あたしは見た、夢じゃ無い、幻でもなく現実ホントにそう、そうだ現実だよ。紛れも無く。!!

叫びそうになったあたしはその時、胸に抱いた薬瓶が一度だけほんわりと光った事に気が付いた。やっぱり夢じゃ無い現実だ。あたしは見た、いや、見えてはイケない物を見た。どうしよう・・・どうにも成らない、無かった事にも出来ない。しょうが無い受け止めよう。

そしてあたしはこの夜が、爺との約束の日になる事をこの時気付く事が出来なかった、って言うよりこの状態で気付けたら大したもんだと後から思う羽目になるのだ。

★★★

目が覚めて一番に部屋の窓を開いたら曇天だった。なんか裏切られた気がする。まぁ、春の天気だから気象庁も予想しづらいんだろう。事情は分かるが、昨日のテレビではきっぱり、すっきりとした晴れと言っていたじゃない。

なんて文句を言って居る暇は無い、朝は忙しいのだ。あたしはかく、ベッドから這い出して制服に着替えると、ぼさぼさの髪の毛で、一階の洗面所に向った。と、丁度弟が鼻歌交じりに歯を磨いて居た。快晴な訳でも無いのに朝から明るい奴だ。

「まだぁ?」

あたしは、ブッチョウ面でちょっと不機嫌そうな素振りを見せつつ弟に圧力を掛ける。

「ふぁだふぁよ…」

『まだだよ』と言いたいんだろうが歯を磨きながら喋るな。意味が良く分らんと言ってやりたい処だったが、どうやらあたしの威圧は全然効いてないらしい。小さい頃はホントに素直で姉思いの可愛い奴だったのに・・・

今やあたしより身長もでかいし腕っ節も良い。腕相撲でも負けなかったのに今は両手で立ち向かっても勝てない。その頃は殴り合いの喧嘩をした物だが、ある日を境に弟はあたしにされるがままになった。少しは大人しくなったのかと思ったら、どうやら腕力の差が歴然としてしまったので、弟はあたしと殴り合うのを止めたらしい。あたしが、何をしても黙ってされるがままにされている。うん、ある意味良い奴に育ったと言う事か。

あたしは自分のコップに刺してあった歯ブラシと歯磨き粉を取ると弟の横で歯を磨き始める。まったく弟のくせに、私より大きくなりやがって生意気な。この前聞いたら、身長が178センチとか言ってた。しかも更に許せないのはどうやら彼女が居るらしい。姉が一人身で寂しい毎日を送っている挙句に友達の為に、訳の分からない薬迄作ってその上・・・その上訳が分からない物が・・・出た。

・・・そうだ、出たんだ。

わちゃー、思い出しちゃったよ。そうだ、そうだ、出たんだよ、見ちゃイケない物が出ちゃったんだよ。あたしの気持は一気に朝の爽やかさ(曇天だが)から、ダダ降りの雨の中で傘も射さずに渋谷のハチ公前で一人待ち合わせ見たいな心境に、ど~んと落とされてしまった気分だ。

でも、そんな事言ってる場合では無い。あたしは一応真面目な女学生で通してるんだ、この程度の事で学校休んだりサボったりしちゃいけないんだ。メゲちゃダメだ、貴子ファイトよ!

あたしは朝から傍目から見たら訳の分からない気合いを入れて歯を磨いた。この異変に気付けよ弟よ。花歌なんか歌ってる場合じゃないんだ、この家は意外とヤバいんだぞ。

いかん、そんな事を考えている場合ではない。早く朝ごはん食べて学校行かないと。時間厳守が私の主義だ、時間を守らない奴は出世運を取り逃がしてしまうのだ、あたしは運を味方に付けた女なのだ。

★★★

校門の前で持ち物検査なんかやって無いかどうかを確認してあたしは校門を潜った。何時もの朝の光景だけど昨日の出来事が尾を引いて居るのかどうも本調子じゃない。首が痛いし節々もギシギシしている感じがするのはただ単に寝違えたからでは無い筈だ。あたしは自分で肩を揉みながらゆっくりと校門を潜って玄関までの意外と長い道のりをとぼとぼと歩き始めた。

「おす、貴子!!」

ボスンと威勢良く肩を叩かれて、あたしはその方向に振り返った。こんな挨拶をするのは、昨日薬を頼まれた友達の則子しか居ない。あたしは、則子の明るさとは正反対に、顔の右半分にすだれでも掛けた様な表情を作って見せるとおどろおどろしい口調で挨拶して見せる。

「おーはーよー」

その表情がリアルだったかどうなのか知れないが、則子はあたしの顔を見ながら肩を叩いた格好のまま困った様な笑顔を張り付けてそのまま固まっていた。

「た・・・貴子・・・何?、何か有ったの?」

何か有ったのって、あんただよ、あんたのせいだ、あんたの。則子が変な頼み事をしなければこんな身も凍る様な体験をする必要なんて無かったんだ。

「有ったとしたら…」

 あたしは簾笑顔を張り付けて則子にゆらりと顔を近付けた。

「あ、うまく行ったんだ。あんたがそういうリアクションする時は対外上手く行ってるものね!」

則子はあたしに明るく言い放つと同時に右手も差し出して来る。あたしとしてはあんな思いをしたんだから簡単に渡すにはちょっと抵抗が有る。とは、言ってもこれを持ってると永久に不幸が降り掛って来そうな気がするので、とっとと薬を渡してしまう事にした。

「ほら、約束の薬、大事に使うんだよ。でも、効果は次の金曜日迄だから、早めに使って」

あたしはそう言うと薬が入った化粧品の瓶を則子に渡した。

「貴子、さんきゅ!」

則子は嬉しそうに瓶を鞄に仕舞うと、あたしに向ってにっこり微笑んだ。おそらくこれさえあれば意中の人も自分の物だと思っているのだろうな。ふっふっふ、可愛い奴だ。もし、この薬を使って恋が成就したら薬を作った時のエピソードを力いっぱい話してやろう。二人がどんな顔をするか今から楽しみだ。早く使え使え、へっへっへってなもんだ。

「もしもうまく行ったら、彼の友達を紹介して貰える様に頼んであげるね」

い、要らない!あんな思いをした薬繋がりの人脈なんか、あたしは欲しくない。どうせならもっと別の人脈の人が良い・・・ってそれならそんな薬を友達に渡すのは止めろよと自分で自分に突っ込みを入れてみる。

「べ、別にいいよぉ、あたしは今の状態で十分だからさ」

そう言って遠回しにお断りを申し上げた。とにかく、この薬に長い時間関わってるのはヤバい気がするから早いとこ自分の手から離してしまわないとどんな役債が降り掛かるか分かったもんじゃない。

「貴子ってば何遠慮してるのよこの手の話、ノリ良いじゃ無い。別に遠慮する必要なんて無いんだよ」
「うにゃ、別にノリとかそう言うんじゃないんだよ、ね・・・」

あたしは出来るだけ遠回しにかつ巧妙に不自然さを見せず則子の話を煙に巻こうと脳みそをフル回転させる。そして、微妙な笑顔を浮かべて雰囲気だけで誤魔化す事を試みる。

「ま、良いわ。お礼に何でも奢るわ。それで良いでしょ貴子」
「え~まぁそれで良いか、いや、それで良い、いな、それが良い」

あたしは心をちくちくと、まち針で刺されている様な錯覚に陥りながら、図画工作が苦手な小学生が描いたお母さんの似顔絵みたいな笑顔を張り付けて則子に向ってちらりと視線を送って見せる。が、今に至って両親が呵責かしゃくさいなまれる。

やっぱり話しておいた方が良いかな、則子に全てを押し付けようとしているあたしの心に刺さる物がまち針から五寸釘に変わって行く様な感覚に襲われた。でも、でも頼んで来たのは則子、あんただからね。そうやって、あたしは自分を無理矢理納得させた。

「ところで、貴子…」

突然のしかも真顔での則子の問い掛けに、あたしのガラス細工の様な繊細でやわな心臓は胸から転げ落ちて粉々に砕けそうに成った。

「この薬…どうやって使うの?」
「え?」
「あ…あぁ、使い方ね。簡単よ。香水とかコロンと同じ。手首とか耳の後ろとかに付けて意中の人の前を通り過ぎれば良いのよ。その人の事を思いながらね」
「ふーん。簡単そうな、難しそうな」
「なんで?難しくなんか無いでしょ?」
「だって付けるタイミングが難しそうじゃない?変なタイミングで付けると別な人が釣れそうじゃん?」

則子様、しごくごもっともな御指摘で御座います。でもこれしか見つからなかったんだよ人体に無害と思われる方法が、さ。なんならカマキリの黒焼きとかタツノオトシゴの黒焼きに挑戦してみるかい?やるならやってやろうじゃない。あたしは何時でも挑戦を受けるぞ。

「貴子、何気張ってんの?」

則子が横からあたしの顔を覗き込んでいる。今にもあたしの目の前で掌をひらひらさせそうな雰囲気だ。

「へ?あ、いや何でも無い」

けほんと、けじめの咳払いを一つしてからあたしは則子に向き直る。

「じゃ、約束の物は渡したって事であたしの役目はこれにて終了と言う事で」

あたしはにこやかに則子に右手を振ると肩の荷と言うか憑き者が取れたと言うか晴れ晴れとした気分に成った。これで素敵な土曜の午前中を過ごしその勢いで希望溢れる日曜日を過ごすのだ。

「じゃあ、教室行こうか」

則子の声にあたしは快く心の中返事をして鼻歌でも歌いたくなりそうな上げ気分をちょっくら押さえながら彼女に付いて教室に向った。

★★★

気分が気持ちが軽くなった性か、今日の授業は、トントン拍子に進み無事、何事も無く極めて平和に放課後を迎える事が出来た。後は帰って、そして夢の日曜日を迎えるだけだ。

あたし達は高校2年で来年は受験生・・・の筈なのだが、何を間違えたのか、私立の大学付属高校に無事入学出来てエスカレーターの人生がこの時点では約束されている。その性か学校全体がのんびりしていて受験生特有のピリピリ感がまるで無い高校生活を謳歌している。

ただ、勉強に余裕が有る性か部活に随分力が入っていて男子のバスケ部もその例外では無く苦行を重ねた結果、都内ではちょっと名の通ったチームに成っているらしい。あたしは運動部に全然興味が無いので文芸部に一応席は置いてはいる。が、何かのイベントが無い限り部室に顔を出す事は先ず無い幽霊部員で実質部活は行っていないから自由時間は有り余っている。

でも則子はその男子バスケ部でマネージャーなんかやっている物だから放課後は意外と忙しいらしく、帰りはあたし一人の事が多い。何故、則子がバスケ部のマネージャーなのか?それは1学年上の部長に恋い焦がれて居るからだった。そして昨日の薬の使い道も彼の為だった。則子は彼に振り向いて欲しいが一審であたしに妙な薬を作る様に依頼してきたのだ。

あたしは、体育会系のごつい彼氏はあまり好みじゃない。幽霊部員に甘んじて居るとは言え文芸部員、どちらかと言えば線の細いはかなげな雰囲気が漂う知的な美青年が好みなのだよ。随分男にうるさいな、鏡を見ろといわれそうなのだが趣味は趣味、理想とは追い掛ける為に有る物だ。もし、それを捕まえてしまったりしたら、理想は直ぐに現実へとその身を変え夢とのギャップに悩む事になるのだよ。

うん、さすが文学部。考える事が違う。なに?考えるだけなら猿でも出来るってか?

なんて事を考えていたら遠くから聞こえてくる男の声、しかも聞き覚えの有る奴だ。更に言えば幼馴染で幼稚園からこの高校に至るまで腐れ縁の様に付き合ってきた奴の声だから間違い用が無い。あたしはその声に方向に体の向きを変えてそいつに向けて視線を向ける。

「貴子さ~~~~ん!!」

小柄でひょろひょろでぼさぼさの髪の毛を更に振り乱してそいつは必死の形相を張り付けて全速力でこちらに向けて駆けて来る。その必死の形相の意味するところが如何なるかを貴子は察している。そして、そいつは私の前でぴたりと止まると膝に両手を当てて上半身を90度に曲げ大きく肩を揺らしながらはぁはぁと荒い息をする。

「・・・どうした、さち

彼が何を言いたいのかを熟知していながらも貴子はあえてこの『田中幸男たなかさちお』に用件を尋ねる。

「お、お願いが有ります、貴子さん」
「断る」

あたしは胸の前で大きく腕を組み、要件を秒で終わらせ楽しい日曜日に突入する為に容赦の無い言葉を投げかける。

「そ、そんな、まだ要件を言ってませんけど」
「そんな物は言わんでも分かる、つうかこの前言ってただろ、廃部になりそうだから科学部に入部してくれって、その話でしょ?」

そこまであたしが言ったところで幸はゆっくりと上半身を起こして半泣きの表情をあたしに向ける。しかし、あたしはマリア様の様な穏やかな微笑みを湛えながら慈愛に満ちた否定を投げつける。

「そ、そんな、貴子さん、私にはこの学校の伝統ある科学部の未来を後世にバトンタッチしなければならないと言う重大な使命が有るんです」
「そんな危ない未来などお前の代で断ち切ってしまえ」
「あ、危ないって」
「当たり前だ、平気で校舎を得体のしれない爆発で吹き飛ばしたり正体不明の生物を生み出したり敷地ごと異世界に転生させそうになる様な部などこの世に存在する必要は無い!!」

往々にして優秀な科学者やエンジニアには人事に関する才能は皆無だ。こいつもその例に漏れず、マッドサイエンティスト的な鋭い感性と才能を持つものの人集めと言う組織を維持するための基本的な能力を兼ね備えていない。春の部員集めに失敗してこいつが所属する科学部の部員は幸一人になってしまい、部の存続に苦労しているのだ。しかし、そんな事あたしには全く持って関係は無い、いくら腐れ縁的に幼馴染として幼稚園の頃から付き合って来たとしてもだ。

「じゃぁな幸、まぁ、頑張れや、検討だけは祈るぞ」
「そ、そんあぁ、貴子さぁぁぁぁん・・・」

あたしはくるりと踵を返しひらひらと手を振りながら幸に別れを告げた。そして、響き渡る幸の遠吠えを聞きながら学校の門を出たのである。

★★★

「なに・・・効いた?」

普段はLINEかメールでしか連絡をよこさない則子が興奮気味に音声通話で連絡をよこしたのだ。

「そうなの貴子、凄いよホントに凄い、あの薬使ったらとんとん拍子に話が進んで明日彼とデートが決定よ」
「・・・・・・はぁ」

彼女の能天気なはしゃぎ声を聞きながらあたしの心には相対的に不安の雲がもくもくと垂れこめる、そしてそれは大騒ぎの現実となりあたしの運命を大きく方向転換させてしまう事などこの時は知る由も無かったのだ。


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