見出し画像

たまちゃんの背中

2019年から定期的に、たまちゃんについて1000字程度の文章を書いています。書きたくなるのは、不思議といつも木々の葉っぱが落ちてから。今日は4回目の、手紙のような日記のような文章を書いてみようと思います。

5年ほど前に、「同じ会社の先輩と後輩」として出会った私たちですが、
たまちゃんのことを「後輩」だと思ったことはほとんどありません。
特に会社員時代はたまちゃんの背中を見ていたような感じで、時に背中を押すことはあっても、導くようにしてあげられたことはあまりない。友だちとも、後輩とも言い切れない、「たまちゃん」というポジションにずっといてくれる。そういう不思議で、特別で、大切な存在です。

限りなく同じ方向をみてものづくりをしていたはずだけど、すべてを共有し合えたわけではありません。衝突ではまったくないのだけど、わからないなぁと思ったことはそれなりにあって。

でもそこから数年経ったときに、「あのときたまちゃんが言ってたの、こういうことかぁ」とわかることが何度もあって。具体的にどんなことかと聞かれたら、ぱっと答えられないのがもどかしいのですが。

後に続いているわけじゃない。だけどいつも遠くに、たまちゃんの背中が見える。そういう感覚がずっとずっとありました。先を見せてくれてありがとうって、いつもこっそり思っていました。伝えたことも、あったかも。

私にとってたまちゃんは、「自分が見せたい世界を、見せたい色で表現できる人」です。それは、表現するための工夫をたくさん重ねてきたからこそできることだと思います。

たまちゃんは、やさしい。そして年々、やわらかくなっていく。それはきっと、私の知らないところで、いろんなものを受け取って、乗り越えて、そうやって得たやわらかさなんじゃないかと思います。使い込むほど風合いの増すリネン、のようなことですね。

ある春、カタクリ畑とたまちゃん。

ここ数年、私は迷子になりがちで。ある夜は、「つづけてもいい、諦めてもいい、そこに理由はなくてもいい」と話してくれました。また別の夜は、「それでも、かんなさんの文章が好きですよ」と伝えてくれました。

心の底から感謝しているけど、その言葉があったからと言うつもりはありません。それは、自分の道を決めてもらったことになるから。それはある意味で、無責任だと思うからです。

私は私で、たまちゃんはたまちゃんで、お互い自分で選んだ道を歩いています。少なくとも私は)どうにかこうにか選んでいるという感じで、明確な意志とか目標を持っていたわけではなく、全然かっこよくなかったけど。どうにかこうにか、今日も健やかに生きています。

近くにいながら、ずっと遠くの背中を見ているような日々だったけど。今なら、隣を歩けるような気がします。教えてあげられるものは、あの頃よりさらに少なくなりました。どんな気持ちも変わりません。

ただ私が、前より迷子にならなくなった。だからもしもたまちゃんがこまったり、くよくよしたり、元気がなくなったりしたとき、前よりもちょっぴり早く隣に駆けつけて、背中を押すことができる気がする。進みたくないときは押さずに、ただ隣で一緒にぼーっとするようにするね。


ある秋、ピクニックするたまちゃん。

どこに行っても、何があっても、私はたまちゃんのファンだし、尊敬してるし信じています。

親愛なるたまちゃんへ。冬至の日に、インターネットのお手紙を送ります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?