MMDの今とこれから

 『昔は熱気があってよかった』というのは良く聞く話で、当時渦中に居る人たちはその熱気に侵されて周りが見づらくなっている、所謂『恋は盲目』状態であったのは否めない。私もその渦中の中の人であったし、今振り返ればそうだったのだなと自覚できる。
 だからといって今が良くないのかといったらそうでもなく、あくまでも熱気を焦点とした相対的な話でしかない。今は今で羨ましく思う所もある(周辺ツールの高機能化やモデルの多様さ等)。
 ただ、コミュニティやジャンルとしての3DCGアニメーションツールMikuMikuDance(以下、MMDと略)を見た時に、これからまだネットワークが成長していくコミュニティ・ジャンルなのか、と問われると正直分からないし、個人的にはある意味(現時点での)成長限界的な節目の時期ではないかなと考えている。
 また一方、MMDにはまだツールとしてではなく、それを利用したコミュニティ形成等の可能性やカジュアルクリエーター育成の場としての良さというのもあるのではないかとも考えている。

 MMDが生み出されてから12年が経ち、その間にも世情やネット環境は激変といって良い程日々変化しているし、それまでも色々と事件や災害、日常生活が激変してしまう出来事も多かった。
 そんな中でもMMDを見つけ、私もやってみようという人が、よりMMDを楽しむためにはどうしたら良いのかを、「※但し、個人の感想です」を土台にして記しておこうと思う。

■ MMDは衰退したのか?

 これもまた相対的な話でしかなく、どの時点と比べて衰退したのか繁栄したのかが変わってくるので、ここで詳細を述べても意味はない。ただ単純に印象として、急成長していた時期に比べれば伸び率が鈍化している事は否めない。
 これはいくつかの要因があり、MMDコミュニティ自体の分体化、ニコニコ動画会員数の減少、YouTubeやBiliBili動画への移行、世情や労働環境の問題(余暇リソースの増減)等がある。これら一つ一つを精査するとコミュニティ形成のケーススタディとして興味深いだろうが、ここでは別話題とする。
 実際、2019年夏に行われた『MMD杯ZERO2』での入賞陣の動画再生数やマイリスト数を歴代MMD杯のそれと比較すると伸び率が悪い。また、イベントとは関係無く、製作者個人が日々上げている「MikuMikuDance」タグ動画の平均的もしくは中央値的な再生数・コメント数・マイリスト数の伸び率も鈍化はしている。
 これは、大きくは視聴母数となる会員数の減少もさることながら、先に述べた動画の出口先にも変化が現れているからだろう。
 だがそんな中でも、ニコニコ動画内での他ジャンル(例えばゲーム実況や作ってみた系)に比べれば、まだMMD動画は見られやすい傾向にある。これはMMD自体が、ニコニコ動画内でのランキングでサブカテゴリ化した影響も皆無ではないだろう(ただ、大きく影響しているかどうかは実際のデータマイニングしてみないと分からない)。
 つまり、派手さや勢いこそは無くなったが、安定して視聴される動画ジャンルの一つとして確立はされていると断言できるだろう。
 余談とはなるが、十数年前に御三家と言われた「東方」「アイマス(アイドルマスター)」「ボカロ(VOCALOID)」も同様だ。

 ツールとしてのMMDも、代替ツールソフトウェアに取って代わる事もなく、Blender等の他高機能ツールに移行した訳でもなく、十二年経った今でもカジュアルに手軽に3DCG作りを楽しめるツールとして生き残っている。
 九年ほど前に開発者の樋口氏と話した時に出てきた彼の言葉がある。

「こんな単純なソフトが数年も持つとは思わなかった。一瞬だけ盛り上がってすぐに忘れ去られると思ってた」

 彼の予想を裏切り、十二年経った今でも活用され続けているツールだ。無論MMD単体ではなく、PMXeditorやそれを取り巻く関連ツール、エフェクトスクリプトを開発・リリースしてくれるコミュニティがあるからこそ、維持できているのだろう。
 そして未だに、「手軽に・感覚的に」始められる競合的な3DCGツールが浸透しているという話は聞いていない。これは古参MMDユーザーとして喜ばしい反面、MMDの高機能化・機能追加バージョンはもうリリースされない現実を踏まえると、ツールとそれを使うユーザーの成長鈍化は避けられないだろう。
 もっとも、今は(比較的使いやすくなった)Blenderや、リアルタイムレンダリングが可能なゲームエンジン(Unreal EngineやUnity)のバージョンアップとノウハウの公表が浸透しつつあるので、次へのステップアップ先、またそのハードルは下がりつつある。

 ただ、所謂ガチプロ(プロフェッショナルを目指す人)ではなく、DIY的な感じで趣味としての3DCGクリエイトや、趣味の延長線上の副職としての3DCG制作をする人達にとっては、高機能化や表現の幅を広げるより先に「脳内イメージをいかに早く具現化するか」という手軽さとレスポンススピード重視となると、やはりまだ古くともMMDというツールはかなり有用である。

 流氷が育ち大きくなると、水面下の面積の比率が大きくなり、水面上の面積は小さくなるようなものである。
 極論、精神論的な話であるが、自分自身が盛り上がっていれば、衰退はしない。但し、疲れた時は一旦距離を置く事も大事ではある。

■ これからのMMDライフ

 人によってMMDとの付き合い方はそれぞれなので断言はしないが、少なくとも自分が創ったものを人の目に触れさせたい場合、MMD以外にもやらなければならい事はある。

■ 夢を見つつ、夢に向かって飛ぶのではなく、着実に歩いていけ
(土台もないのに飛べる訳がない)
■ 常に何かを見て聞いて、常に何かを感じとり、常に考える(ストックする)
■ 程良い自己顕示は悪ではない(何事も程度やバランスの問題)
■ 必ず区切りをつける
■ 継続と数は力そのものだよ、同志


 当たり前の事ではあるように聞こえるだろうが、この当たり前が万人にできたら「クリエーター職」なんてものは存在しない。ただ、どうせ苦労して時間も割いてMMDで何かを創ったのであれば、片手間でも良いので上記を意識して活動するだけでも、少しづつではあるが変わってくる。

■ 夢を見つつ、夢に向かって飛ぶのではなく、着実に歩いていけ

 歴史上、どんな天才でも蓄積があってこそ飛躍するものである。表面上、いきなり頭角を表したように見えても、それまでに造り上げた土台や経験があってこそ、具現化されるのだ。
 比較的多くの人は「私も自分でこんな感じのものを創ってみたい」から創作欲が出てくると思われる。だが、そこをゴールと設定するのは良いが、いきなりそこに瞬間移動できる訳でもない。何事も地道に積み重ねていくしかない。
 ただ、その積み重ねのノウハウというのは得てして、スキルとして獲得しにくいものではある。ゴールを目指すにあたって、何がスキルとして必要なのか、どういう知識が必要なのか、どういうアプローチが最適なのか……。
 このループに陥る前に活用すべきなのが、コミュニティである。幸い、MMDには大なり小なりネット上にコミュニティが存在する。勇気を振り絞り、聞いてみる事ができるかどうかで、このループから抜け出せるかどうかが決まるといっても過言ではない。
 創作というのは孤独な行程(実際の作業自体は孤独だが)に思われがちだが、歴史や他人、果ては視聴者の考えや思いが「組み合わせの妙」を生み出していくものだ。無からは何も生まれない……ようなものである。

 ただ、人に尋ねる時にもいくつかのルールに従わないと、望んだ結果は得辛くなる。

・自分が目指したいものを他人げ見れる・聞ける状態で提示する事
・今、自分がやってるアプローチや「ここまでは理解している」という事を提示する事
・ある程度の自分のリソース(制作にかけられる時間や環境)を提示する

「言葉にしなくても分かってよね!」というのはファンタジーであり、浪漫ではあるが、現実には則さない。しかもネット経由であれば顔や身振りといった大事な「ニュアンスを伝えるキーワード」が無いので、余計に伝わり辛い。文字だけで伝わり辛いのであれば、せめてボイスチャットなどの活用をお奨めする。
 そういったコミュニティの活用をする為にも、創作活動するにあたって「友人」はつくった方が良い。ただ、何でも言えるが相手にも生活があるので、距離感は大事にしよう。

■ 常に何かを見て聞いて、常に何かを感じとり、常に考える

 観察、蓄積、反映。この3つのステップを常日頃からやっているかどうかで大きく違う。
 ただ見るのではなく、きちんと記憶・記録し、車輪の再発明だろうと人の真似だろうと気にする前に、ひとまず形(具現化)する……という作業を繰り返し行えるかどうかだ。
 ひとつの例として「歩きモーション」を挙げる。
 歩きというのは足が動いて人体が移動する事なので、まず足から(MMDの場合、足IKから)動かそうとするだろう。だが、よく実際の人間の歩く動作を観察して欲しい。動いているのは足だけだろうか? よく見ると腰も大きく動いている、しかも男女で動く幅と軸が違う、これは骨格の差異だろうか? そしてそれに連動して上半身も……というように、歩くという動作だけでも身体全体でバランスをとって移動している事がわかるだろう。
 人によってアプローチは異なるだろうが、歩きモーションを作るにあたり、足IKからではなく、まず腰の回転でアタリをつけてから……という方法もある。
 このような事を観察・蓄積・反映させつつ、前項で言った人に尋ねると合せ技で行う事で、膨大な土台の蓄積となっていく。最初はふんわりした土台かもしれないが、重ねれば重ねる程、下の土台は強固なものとなっていく。
 慣れてくれば少ないキーフレームで歩き動作を手早く作成する事もできるようになる。また、練習用のキーフレームもMMDであればvmd(MMDのモーションデータフォーマット)として保存しておくと良いだろう。後々、自分の成長具合を確認できる。

■ 程良い自己顕示は悪ではない

 極論に聞こえるかもしれないが、「観測できないものは存在しない」というのは事実である。少なくとも顔の見えない視聴者にとってはそうだ。
 その人が見てくれるかどうかは次の問題であり、まずは存在を示さねば意味がない。奥ゆかしさも美徳ではあるが、程度(バランス)の問題であり、まったく為さないのであれば、存在しないのと同義となる。
 自分を中心としたコミュニティ形成は時間と共に蓄積・成長していくものである。コミュニティフォロアーが膨大な人でも、最初はゼロや1からのスタートだ。小さな動きかもしれないが、やり続ける事で育っていく。

 次に見てくれるかどうか、だ。これは悩ましい問題であり、さらに正確な答えが無い事でもある。
 分かりやすい例でいえば、広告業界でも言われている「女・子ども・動物」や、YouTuberがやっている刺激的な短い文面をサムネイルに大きく載せる、などのノウハウは色々ある。だがこれらが、自分が作る動画内容とマッチするかどうか、は悩ましい所だ。
 いっそ割り切って「サムネ詐欺」というように、サムネイルと内容をマッチさせないままに広報しても良いし、伸び率が悪くてもよいから少数の同志を集める為に地味にするのも方法のひとつだ。
 ただ、いずれにしろ「どの層の人に見てもらいたいか」を中間目標として自分の中で定めるかどうかで、今後の(メンタル的にも)創作活動に影響してくる。特に、思ったよりも反応があった・無かった、意外な所で反応があった等、これらの情報は貴重なフィードバックであるし、中間目標があると、このフィードバックをどう活かせるかが変わってくる。
 中間目標を定める事によりサムネイル選択や作品タイトルなども選択の幅を狭められるのでお奨めだ、

 さらに、見られた後の視聴者の反応だが、これは最初から期待しない方が良い。視聴者の反応があったのなら、それは貴重なものである、と認識しよう。反応があって当たり前というのはごく恵まれた(もしくは既に環境が整っている)一部のものだ。
 ただ不思議な事に、まったくの無反応というのもまた事例として少ない。認識し辛いかもしれないが、些細な反応があったり、時間が経ってから反応があったりするものだ。
 幸いな事にネットではデータが一定時間蓄積される。数年前に出した動画にコメントがついたりLikeがついたりする事が稀によくある。そういった意味でも、反応は即座に得られるという希望は最初から持たない方が良い。
 反応がなければ作る意味が無い?
 そういう思いの人もいらっしゃるだろうが、そこは自分との戦いである。「自分が見たいから作る」「つい勢いで」「何となくやってみた」等のカジュアルな考えの方が、視聴反応に対して緩く考えられる。
 マーフィーの法則ではないが、得てして力作を創った時に得られる(自身の希望の)反応は、労力に対して内容も量も反比例する。
 見られる事を前提として作品作りをするのであれば、「見られる為のノウハウの蓄積」が無ければ成立しない。その蓄積がない時期は、気軽に数をこなす方が長続きする。
 むしろ、下らない小ネタを連発した方が、作る方も見る方も手軽に楽しめて反応が良かったりするのも、皮肉的ではあるが世の常である。

■ 必ず区切りをつける

 創作活動は自分との戦いであり、かつ自身が満足できる画作りが死ぬまでにできるかどうかのチキンレースである……というのは極論かもしれないが、私自身、満足したものが出来たら創作欲が消失するだろうとは思っている。
 そういう意味でも、創作活動というのは続けようとおもえばいくらでも続けられるし、ある意味勝利の見えない百年戦争のようなものだ。これでは何時になっても作品を挙げられない。
 MMD杯をはじめとした動画イベントの最大の良い所は、こういった締切などの区切りを他動的に得られるところだ。自発的に区切りや締切が付けられる精神的強者は比較的少ないだろう。もしくは、ゲーム感覚のように「縛りゲー」のように自己ルールを定めるのも良いだろう。
 今回作る作品で、今までの自分を全て盛り込もうとすると多くは挫折するので、「今回はこれができたらアップしよう」という区切りをつける事をお薦めする。
 余談だが、恐らく全力を出し切ると、魂的に死を迎える可能性があり、抜け殻の人生は色即是空な世界に成りかねないのではないかと想像する。そうならない為にも、常に外的刺激というのは重要だ。

 有りていに言えば、ダラダラ続けない。割り切って一旦区切る。
 土台を固めるのは大事だが、背中に背負ったままでは荷物が重くなるだけだ。

■ 継続と数は力そのものだよ、同志

 闇雲ではなく、道筋や中間目標をクリアしつつ続けていく。継続する事、そして数をこなす事は何よりの近道だ。
 自分自身に課す事も大事であるが、コミュニティから刺激を貰いつつ、意欲を維持するのが重要である。
 また、継続するというのは日常の一部でもあるので、生活維持はことさら大事となる。世情は常に変化し「平穏な生活」というのがある意味贅沢なものになりつつあるが、衣・食・住・通信はいずれにしろ維持しなければならない。
 特に作業やコミュニケーションに熱中しすぎて、食に関してはお座成りに成りやすいので、程よい運動、程よい食事は非常に重要だ。MMDや創作技術だけではなく、コミュニティを活用してこの辺りの情報を共有するのは、非常に有用である。
 小見出しと内容がずれたようにも思われるかもしれないが、創作活動においては非常に重要な要素である事を明記しておく。

■ つまり

 クリエイティブにおいて天才は居ても独高の存在というのは有り得ない。なぜならば、少なからず創造物というのは消費(視聴)する人間が居て初めて存在が維持できるからだ。
 故に、プロであれ趣味であれ、クリエイティブ活動の天敵は孤独だ。
 モチベーションの低減やマンネリ化というのは、孤独が生み出していると私は考えている。妄想する時は独りが良いが、具現化する為には人独りの力には限界がある。だからこそ人は社会的動物であり、共感が得られる他人は大事な存在だ。

 個人的にはMMDが衰退しているという意見には否定的ではあるが、全面的に否定はできない。それはMMDコミュニティが分散・縮小化している現状があり、自由に動けるネットワークがあっても横のつながりが得にくい環境になっている部分があるからだ。
 以前はニコニコ動画というポータル的な場所があったが、今は比較的仲間探しに出るのに、どこへ行けば良いのか分かり辛くなっている。
 Google検索やTwitterのハッシュタグ検索で見回るのも手段の一つであるが、「話が通じる相手」探しは(言うなれば昔からそうではあるが)難しい。これこそ本質的な根気と自分との戦いとも言える。

 オフ会などで顔を合わせれば、勢いもあって仲良くなる事もあるだろう。Twitterで何気に「FF外より失礼します」から始めて仲良くなる事もあるかもしれない。だが現実としては、その一歩がなかなか踏み出せない、踏み出す理由が希薄な人の方が比較的多いのではないだろうか。
 ただ、躊躇しつつコミュニケーションを後回しにし、自分がスランプや煮詰まった時にそういう相手を欲しても、その時にはもう遅いし間に合わないだろう。
 だからこそ、本心ではやや面倒だと思っていても、普段からコミュニティの活用、コミュニケーションの維持に少しづつでも良いから時間や気持ちといったリソースを投資する事ができるかどうかで、創造活動の幅が変わってくる。


 あなたの周りに神はたくさん居る。
 だが礼拝(普段からの会話)がなければ、祈りは届かない。
 時折、神と共に祭り殊をするのも良いだろう。

 気がつけば、貴方自身が神の一柱になっているかもしれない。



 皆様のMMDライフに幸多からん事を祈って。

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かんな@バーチャルJC
どこにでも居るバーチャルJC MMDユーザーの一人。 MMDアニメーター、動画制作・編集、VTuber関連制作などを行っているただのJC。