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大臺神楽闇夜 1章 倭 降り立つ闇5

神楽が目を覚ましたのは氷室が出て行って暫くしての事だ。ガヤガヤと煩わしい声で目を覚ます。薄ぼんやりとした視界はまだ暗い。
「まだ朝ではないぞ」
 ボソリと言って又目を閉じる。
 そして思い出したかの様に横を手で探る。いるはずの氷室がいない。神楽はゴロリと向きを変えソロリと目を開ける。
 矢張り氷室はいない。
「行きよったんか…」
 と、神楽は又目を閉じる。
 ガヤガヤと煩わしい声が耳を濁す。
 防音材等無い建物は音と言う音を部屋の中に響かせる。
「五月蝿いのぅ…。まったく、何を騒いでおるんじゃ。」
 と、神楽は体を起こし大きな伸びをした。それから暫しボンヤリしながら目を擦る。遅くまで起きていたからだろうかまだ眠い。
 両足を伸ばし体を前に倒す。上半身が足にペタリとつく。そのままゴロゴロと横に転がって行き又ゴロゴロと転がり元の位置まで戻って来る。此れに何の意味があるのか ? ハッキリと言えば何の意味も無い。神楽なりに楽しんでいる。と、言う事なのだろう。
 そして今度はつま先を伸ばした状態で体を前に倒す。其れが終われば足を百八十度広げて体を倒す。左右前と体を倒し。”プシュー”と無駄な効果音を口から出す。
 此れらを十回ずつ繰り返した後、今度は立ち上がり体を反らして行く。三子族の娘は足腰がしっかりしているので手で支える事なく体を反らす事が出来る。そのまま反らして行き股から顔を覗かせる。此れも十回繰り返し、今度は足を横に百八十度前に百八十度上げる。と、三子族の朝は体を柔らげる事から始まる。此れは何処にいても欠かさず娘達は行うのだ。
 娘達が使う岐頭術の基本が体の柔軟性を基本としているからなのだが、妖艶な舞を踊るには体の柔軟性が非常に役に立つのも本当である。
 岐頭術と言えば何かしらの体術を想像しがちだが、娘達が使う全ての行動を岐頭術としている。つまり、体術に始まり戦術、戰においての取り決めから、日常における化粧にしても紬にしても岐頭術の一部なのである。
「ほいほいほい。」
 と、神楽は前に一回転、更にもう一回。床に手をつかずにクルリと回る。直立不動の状態で回るのだから何とも奇妙である。
 そして今度は後ろに一回転、更にもう一回。今度は連続して何回も回る。そのまま前方に飛び空中で蹴りを一回、二回、三回、四回と出す。
 そして…
 ドン !
 と、大きな音を上げ乍ら戸を壊して外に出てしまった。
 壊れた戸を見やり、周りを見やる。幸いにも周りには誰もいない。神楽は高速の動きで壊れた戸を寝所に投げ入れた。
「…。いけんいけん。調子に乗ってしまいよった。」
 と、神楽はチロリと第二城門の方を見やり中に戻ると、道具箱から愛用の橙色の紬を取り出した。
「やっぱりこれじゃ。白もええんじゃが我はこの色が好きじゃぞ。」
 と、神楽は白の紬を道具箱に押し込み蓋を閉めた。
「しかし五月蝿いのぅ…」
 ブツブツ言いながら紬を着やると神楽は第二城門に向かって歩き出した。
 神楽がいた寝所から第二城門は比較的近い。此れは神楽が氷室の寝所で夜を明かしたからであって本来の神楽の寝所はもっと奥まった場所である。
 テクテクと歩いて行くうちに日が上り始め、視界を明るく彩り始める。其れと同時に夏の匂いが神楽を包む。
「ほぅ…夏じゃのぅ。」
 夏の匂いを体一杯に吸い込み神楽はご機嫌である。が、其れを打ち消してしまう耳を濁す雑音が何とも不愉快である。
「朝から何を騒いでおるのやら。」
 と、神楽は物見たさに駆け足で向かって行く。
 近づくにつれ伊都瀬の大きなガミガミ声が何とも興味を掻き立てる。神楽はワクワクし乍その場に着くとニンマリと笑みを浮かべ皆を見やった。
「神楽…おはようじゃぁ。」
 ひょっこり現れた神楽を見やり吼玖利が声を掛けて来た。
「おぅ、吼玖利おはようじゃぁ。所で伊都瀬は何をガミガミ言うておるんじゃ ?」
 と、興味津々である。
「我等は今から迂駕耶じゃ。」
「迂駕耶 ? もぅ行きよるんか。」
「そうじゃ。」
「其れで何で伊都瀬がガミガミ言うておる ?」
「其れは又別じゃぁ。」
「…。我は其の別を聞いておるんじゃ。」
 と、ジトリと吼玖利を見やる。
「なんじゃぁ、神楽は我と離れよるんはどうでもええんか。」
 と、吼玖利が睨めつける。
「どうでもええとは言うておらん。言うておらんが我はガミガミの方が気になりよる。」
「ガミガミはあれじゃぁ…。」
 と、吼玖利はムスッと膨れた表情で昨日の事を神楽に説明した。
 吼玖利の話はこうである。
 神楽が演劇を見に出て行った後、どうやら吼玖利達は本当に三千人の三子を探しに行ったのだそうだ。が、既に其の大半は男と何処かにしけ込んだのか見つける事が出来なかったらしいのだ。
 見つける事が出来たのは、雑草を擦り潰していた娘数人、かっぱらった品物を売っていた娘数人、男と食事していた娘数人、演劇を観ていた娘数十人なのだそうだ。
 で、その娘達に西第一城門に陣を張る様に伝え、吼玖利達も其処に向かったのだそうだ。要するに吼玖利達は直ぐに探すのを諦めたのだ。しかも、陣を張るには何とも少ない人数だったので結局陣は張らず他国の陣にお邪魔したのだそうだ。
 其れから日が暮れる迄、飯を食い酒を飲み舞を披露し乍ら楽しい時間を過ごして今なのだと言う事なのだ。
「…つまりあれじゃか。子作りを終えた三子が何処に行けば良いか分からず、此処に集まりよったわけじゃか。」
「じゃよ。」
「じゃかぁ…」
 と、神楽は伊都瀬を見やる。
「まぁ良い。兎に角若倭根子日子毘々大神は既に西第一城門においでじゃ。我等も直ぐに移動じゃ。」
 伊都瀬は第二城門に集まっている娘達に指示を出し榊と吼玖利を見やった。
「榊、吼玖利、神楽…は別に良いが、今からはしっかり気を引き締めねばいけんぞ。此処を出よれば其方らが頼りなんじゃ。秦が今すぐに攻めて来よるとは思えよらんが、万が一がありよる。」
「じゃよ…。榊に吼玖利がおれば何とかなりよる。じゃがたるんだままじゃと全滅じゃ。」
 水豆菜が言った。
「分かっておる。いかだに乗った気持ちでおればよい。」
 自信満々に榊が言った。
「いかだじゃか…」
 神楽がボソリ。
「不安しかないぞ。」
 吼玖利もボソリ。
「流石榊じゃ。頼みよったぞ。」
 爽やかな笑顔で水豆菜が言った。どうやら水豆菜にはナイスだったらしい。
「ドントこいじゃ。」
 と、二人は西第一城門に向かって歩き始めた。
「不安じゃ…。」
 歩いて行く二人を見やり乍ら伊都瀬が言った。
「全くじゃ…」
 神楽が言う。
「所で其方はどうするんじゃ ?」
 神楽を見やり伊都瀬が問うた。
「何がじゃ ?」
「若倭根子日子毘々大神の話を聞きに行きよるんか ?」
「我は行きよらんぞ。用事がありよる。」
「なんじゃぁ、神楽は行きよらんのか。」
 残念そうに吼玖利が言った。
「我は行かんぞ。」
「やけにあっさりじゃな。暫くあえんのじゃぞ。」
 伊都瀬が言う。
「ほんまじゃよ。我は一年も迂駕耶じゃ。」
「心配せんで良い。偶に会いに行きよる。」
 と、神楽はギュッと吼玖利を抱きしめる。
「何を言うておる。其方には其方の仕事があるであろう。」
 と、言って伊都瀬も西第一城門に向かって歩いて行った。
「はぁぁ…。我も行かねば。」
「じゃな…。じゃぁ言いよっても心配ないぞ。赤粉(あかこ)が上がりよったら我は何をしよっても飛んで行きよる。」
 赤粉とは赤い狼煙の事である。八重が支配する国には高見台つまり見張り台が設けられている。この高見台には常時兵が駐屯しているのだが、卑国が常に目を張り巡らせている以上謀反等の為に設けられているのではない。
 高見台の役目は渡来人が来た事を知らせる為の物である。一つ狼煙が上がれば無数に設けられた高見台から順次狼煙が上がる。初めは迂駕耶より更に沖、おのごろ島、高天原。更に沖にある孤島から狼煙が上がる。
 孤島から上がる狼煙は決まって黄色である。此れは敵か味方か分からぬ何かが来た事を知らせているからである。
 次いでその渡来人が敵であれば赤い狼煙が上がる。赤い狼煙が上がればその狼煙は瞬く間に迂駕耶全土から上がり始め、其れを見た出雲の見張りが赤い狼煙を上げるのである。
 赤粉が上がれば出雲六国は全兵力を迂駕耶に送る。勿論卑国も例に漏れず正子の兵を迂駕耶に送る事になるのだ。
「何を言うておるんじゃ。上がらん方がええに決まっておるぞ。」
「じゃな…。上がらんでも会いに行きよる。」
「待っておる…。」
 と、吼玖利は今一度神楽を強く抱きしめると、神楽も答える様に吼玖利を強く抱きしめた。
「行って来よる。」
「おぅじゃ。」
 神楽が答えると吼玖利は神楽から離れ西第一城門に向かって歩いて行った。神楽は吼玖利の姿が見えなくなる迄黙って見送った。
 寂しく無い訳ではない。あっさりしているでもない。ただ別れを惜しめば何かあった時悲しさが倍増すると神楽は思っている。
 行ってらっしゃいのただいまではないのだ。出国から迂駕耶迄の道のりは順調に行って三月。しかも、出雲から迂駕耶に行くには船に乗らなければならない。船は沈むと神楽は思っている。旅の道中は危険ばかりだと確信している。
 無事に帰って来られるのが当たり前では無いのだ。一つ間違えれば命を落とす。其れが旅なのだ…。
 其れにどれだけ逢いたいと願った所で、一度離れてしまえば声を聞く事さえも叶わない。出来る事はただ相手の事を想うだけなのだ。
「行ってしまいよったか…」
 吼玖利の姿が見えなくなると神楽はチロリと町を見やり寝所に戻って行った。
 テクテクと朝の匂いを嗅ぎながら取り敢えず氷室の寝所に向かう。大切な道具箱を置きっぱなしだからである。
 テクテク、
 テクテクと歩き神楽は氷室の寝所の前でピタリと歩みを止め首を傾げた。
 閉まっているはずの戸が開いているのだ。神楽は今一度思い返す。そして更に首を傾げる。
「確かに我は閉めよったはずじゃ。」
 閉めたと言うのは戸の事である。
「閉めた戸がなんで開いておるんじゃ ?」
 と、神楽はソロリソロリと入り口に向かう。そして其の刹那神楽は身構えた。戸が蹴破られていたからだ。
「な、なんじゃこれは…」
 と、神楽は周りを見やる。辺りは静と静まりかえっている。誰かがいる様子もない。確認の為ハリを見やるが矢張り人の気配はない。
「我を狙うての事ではありよらんか…。なら、此れはなんじゃ…。ま、まさか…」
 と、神楽は道具箱を見やる。紐で縛っていたはずの道具箱の紐が解かれているではないか。慌てて道具箱の蓋を開け神楽は仰天した。
「た、大変じゃぁ ! 盗人じゃぁ ! 盗人が来よったんじゃぁ !」
 と、声を荒げ大慌てである。其処にちょうどやって来た香久耶が神楽に何があったのか問いかけた。
「盗人じゃ。盗人が来よったんじゃ。」
「盗人じゃか…。」
 と香久耶は首を傾げる。
「何を呑気にしておるんじゃ。衛兵じゃ。衛兵じゃ。」
 と、神楽は大騒ぎである。
「じゃぁ言いよってもお姉ちゃん此処は第二城門の中じゃぞ。其れに何を盗まれよったんじゃ ?」
「紬じゃ。我の大事な橙色の紬を盗みよったんじゃ。ほれ、見てみい。」
 と、神楽は道具箱を指さす。確かに橙色の紬は其処に無く代わりに無造作に押し込められた白の紬が入っていた。
「我の紬を盗みよるとは、不届な奴じゃ。」
「橙色の紬じゃか。」
 と、香久耶はジッと神楽を見やる。
「じゃよ。」
「お姉ちゃん…。」
 と、香久耶は神楽を指さす。
「なんじゃぁ、我がどうしたんじゃ。」
「お姉ちゃん着ておる。」
 と、香久耶が言うと神楽は自分の袖をチロリと見やる。確かに着ている。どう言うこっちゃと、神楽は今一度考え思い返す。
 そして道具箱をガサゴソと漁り、金袋を取り出すと袖の中にヒョイっと閉まった。
「さて、我はちと用事がありよる。」
 取り敢えず全て無かった事にと言う事である。
「お姉ちゃん何処に行きよるんじゃ ?」
 香久耶も神楽の性格を知っているので其れ以上の追求はしない。神楽は自分の大ポカを責められるのが大嫌いなのである。
「これじゃ…。」
 と、神楽は札を捲る仕草を見せる。
「博打じゃか。我も行きたいぞ。」
「ほぅ、香久耶も博打に興味を持つ年になりよったか。良い良いついて来ると良いぞ。我が色々教えてやりよる。」
 と、神楽は上機嫌で寝所から出て行った。外に出ると顔をパンパンに腫らした男がいたので神楽はジッと其の男を見やり首を傾げた。
「神楽殿…。私です。」
 男が言った。神楽は再度ジッと見やりもう一度首を傾げる。
「誰じゃか…。」
「もぅ、お姉ちゃんは…。貞重則殿じゃ。」
 戸口で香久耶が言った。
「さ…。」
 と、更に更に神楽は貞重則を見やると“何やら顔の形が変わっておらんか ?”と言った。
「え、まぁ…。色々激しかったもので…。」
 と、貞重則が言うと、”い、いらん事を言わんで良い。”と香久耶が嗜めた。
「しかし…。いくらなんでもやり過ぎじゃぞ。」
 チロチロと貞重則の顔を見やり乍ら言う。
「し、仕方ないじゃろ。痛かったんじゃ。」
「其れは分かりよる。初めては痛いんじゃ。我は死ぬか思いよったぞ。」
「じゃよ。我はずっと泣いておったぞ。」
「泣いてこれじゃか…。」
「じゃよ。」
 と、二人は貞重則を見やる。
「あ、いや、私は大丈夫ですよ。」
 と、言ってはいるが顔の腫れは相当なものである。力一杯何発も殴られたのは明白なのだが、此処は男として弱音は吐けないと言った所なのだろう。
「じゃかぁ…。」
 二人が言う。
「所で神楽殿は何方へ ?」
「我はこれじゃ。」
 と、神楽は札を捲る仕草を見せる。
「博打ですか。」
「じゃよ。貞重則殿も来よるか ?」
「あ、いや、私は少し顔を冷やしに行って来ます。」
 と、貞重則が言ったので神楽はジッと貞重則の顔を見やり、”賢明な判断じゃ。”と答えた。
「貞重則殿は来よらんのか…。残念じゃ。」
 香久耶が言う。
「ええ又今度ご一緒に…。」
「じゃかぁ…。仕方ないのぅ。それじゃぁ又じゃ。」
「はい。…あ、又会って貰えるんですよね。」
 と、貞重則が言うと神楽は驚いた様に目を丸く見開き、”変態じゃか。”と、言った。
「え…。変態…ですか。」
「変態じゃか…。そんなポコスカ殴りよる娘に惚れるは変態じゃぞ。」
「ちょ…。お姉ちゃん変な事言わんで。ええからほら行こ。」
 と、香久耶は神楽の袖を引っ張る。
「じゃぁ、じゃぁ言いよっても此れは姉としてハッキリさせねばいけん事ぞ。」
「もぅ、ええから。其れじゃまたの。」
 と、香久耶は神楽の手を引っ張って第二城門の方に向かって走り出した。
 貞重則は二人の姿が見えなくなる迄見送った後その場にへたり込んだ。顔が痛くて堪らなかったのだ。一応腫れに効くと言って香久耶が薬草を塗ってはくれたのだが残念な事に効果はない様だ。其処らの雑草を擦り潰して塗ったのだから当然と言えば当然である。
 さて、第二城門を抜けた二人は賭場が開かれている場所まで駆けていく。
 賭場にしても何にしてもだが、其れらは日の出と共に始まり、日が沈むと同時に終わりをむかえる。
 夜になると焚き火を焚いて其処に人が集まるのだが、其れも其れ程遅く迄は行われない。未来の時刻にして19時頃でお開きになる。其れ以降もいるにはいるが、ひつこいだけの飲んだくれが数人残っている程度である。其の者達は決まってその場でそのまま寝てしまうか誰かの家で朝を迎えるのだが…。
 まぁ、迷惑な話である。
 と、話は逸れたが神楽と香久耶は演劇場がある中央広場を抜け、商店が密集する場所に向かって行く。
 商店と言っても御座の上に野菜や食料、壺や食器が無造作に置いてあるだけと言うのが基本である。少しマシな店は数本の柱を軸に屋根があったりもするが、陳列棚の様な物がある店は皆無である。だから雨の日は自分の家に商品を置き飽きないをするのが主流となっている。
 つまり竪穴式住居の様な建造物は一昔も二昔も前の話なのだ。と、言えば聞こえは良いが、竪穴式住居は現在も現役バリバリである。竪穴式住居が存在しない場所は出国であれば第一城門内だけなのだ。出国が治める周辺集落の殆どは未だに竪穴式住居が主流なのだ。
 神楽と香久耶は商店に着くと其処から更に奥まった場所に入って行く。香久耶は初めて見る風景に心を躍らせるのだがどうにもズキズキする。
 昨日が初めての日なのだ…。
 まだ、お股が痛い。
 神楽はそんな事気にする事なく駆ける。
 早く博打がしたい。演劇と博打が大好きな神楽の気持ちは良く分かる。だが、どうにも堪らない。
「お姉ちゃん。ちょっとたんま。」
 そう言って香久耶が歩みを止める。
「なんじゃぁ、つかれよったんか ?」
 と、神楽も歩みを止め言った。
「違うんじゃけど、少しお股が…。」
 と、香久耶は股を押さえる。
「シッコじゃか。」
「違いよる。痛いんじゃ…。」
 と、香久耶が言うと神楽は首を傾げ、”あぁぁぁぁ…。そうであった。”とキョロキョロと周りを見渡し手頃な雑草を見つけ其れを抜きに行った。
「あ、お姉ちゃん我は良いよ。」
「何を言うておる。痛いには此れが良う効きよる。」
 勿論効くわけなど無い。だが、神楽は本気で効くと信じている。
「我は大丈夫じゃ。其れより博打じゃ。」
「痛いのではないんか ?」
「其れは痛いぞ。痛いんじゃが歩くのは平気じゃ。」
「じゃかぁ…。」
 と、神楽は雑草をポイっと捨てると又テクテクと歩き出した。
「所で賭場はまだじゃか ?」
 神楽に付いて行きながら香久耶が問う。
「もう少しじゃ…。おぉぉ、あそこじゃ。」
 と、神楽が指を指す。香久耶は神楽が指さす方を見やり愕然とした。其処は何と先程通り過ぎた商店がたち並んでいる場所なのだ。
 神楽は無駄に商店がたち並ぶ場所を通り過ぎ、無駄に奥まった場所に入り込んでグルっと回ってから又商店がたち並ぶ場所に戻って来たのだ。 
 香久耶は忘れていた。否、無駄に信用していたのである。好きな場所なのだから間違うはずはないと…。
 簡単に考えていたのだ。
 方向音痴の怖さを…。
「ほれほれ、もう少しじゃ。」
 と、神楽はご機嫌である。だが、香久耶はゲンナリである。何故なら其処は一度通った場所だからである。
 神楽は目の前に賭場があるのに気付かず通り過ぎた。つまりはそう言う事なのだ。
「ほれほれ、我が指南してやるぞ。」
「お、おうじゃ…。じゃぁ、じゃぁお姉ちゃん。何で一回通り過ぎよったんじゃ ?」
 無駄に香久耶が問う。
「何の話じゃ ?」
「あの賭場の前さっき通りよったぞ。」
「何を言うておるんじゃ。あの賭場とさっきの賭場は別物ぞ。其れに先の賭場はいけん。ズルしよるんじゃ。」
「じゃ、じゃかぁ…。」
「じゃよ。じゃぁ言いよっても香久耶は此処に来るのは初めてじゃ。同じに見えよっても仕方ないぞ。我も初めは迷子になりよったんじゃ。」
 と、言いながら神楽は賭場に入る。
「じゃかぁ…。」
 と、香久耶も神楽から離れず賭場に入った。
 入ったと言っても賭場にも戸口入り口があるわけではない。数本の柱を軸に屋根があるだけの場所であるのだが、意外と敷地は広く博打を打つ場所が数カ所程あるのだ。
 先ず中に入ると賭場の周りを屈強な男が数人立っているのが分かる。暴動が起きた時の警備員の様なものである。其処から少し進むと板の上に座った男が三人。この男達は博打の金を貸す者達である。本題の博打を打つ場所は其の先にあるのだ。神楽は出国に来ると必ずこの賭場に来る馴染みである。
「ごめんやっしゃぁ…。」
 と、気軽に入ると三人の内の一人が、”おぅ、神楽。そろそろだと思うておったぞ。”と、
神楽を迎え入れた。
「今日は妹も一緒じゃ。」
「そうかい。可愛い妹さんだ。」
 と、言いながら横の男に何やら合図を出す。合図を出された男はスッと立ち上がり奥に消えて行った。
「じゃよ。今日は妹も一緒に打ちよるから宜しくじゃ。」
「おうよ。今場所を空けるから少し待ってくれ。所で種はあるのかい ?」
 種とはお金の事である。
「今日は大丈夫じゃ。」
 と、神楽は金袋を取り出し見せた。
「何だ珍しい。神楽には幾らでも貸すんだ。手ぶらで来たって良いんだぜ。」
「我も偶には持ってきよるんじゃ。」
 と、神楽が言うと香久耶は心配そうな面持ちで、”お姉ちゃんお金を借りよるんか ?”と問うた。
「何を言うておる。賭場でお金を借りるは当たり前じゃぞ。」
「じゃぁ、じゃぁ言いよっても負けたらどうするんじゃ。」
「我は負けよらんぞ。いつもビシバシじゃ。」
「ビシバシじゃか…。」
「じゃよ。我は強いんじゃ。」
 と、神楽は自信満々で言う。
「おうよ。お姉ちゃんは確かに強いぞ。」
 と、男は何とも言えない表情で言った。香久耶はその表情に何とも言えない違和感を感じたのだがそれ以上は何も聞かなかった。
 其れから暫くして先程の男が戻って来た。男が戻って来ると、”お待たせした。場にご案内。”と言って神楽達を先導した。
 場に着くと長い板を囲む様に人が座っている。対面に座る男は親である。其の両横に座る男は金のやり取りをする者達である。そして、賭場の客である神楽達は親の対面に座るのが主流である。
 つまり親は決まって賭場の人であり、子は客である。
 親は一人だが子は少なくて五人、最高十人迄となっている。
 博打の内容は難しいルールなど無く札に書かれた数字と絵の組み合わせで強弱が決まる。
 数字は一〜九。絵札は草、花、木、水、月、日の絵が描かれている。
 数字の強弱は一が一番弱く九が一番強い。
 絵札の強弱は草が一番弱く日が一番強い。
 そして日は九よりも強いが一には勝てない。と言う変なルールがある。
 この札を初め二枚ずつ子に配り最後に親が二枚。配られた札を各々が手に取りいらない札を捨てる。この時いらない札は何を捨てたか分からない様に裏返して捨てる。二枚捨てても良いし一枚でも良いし、捨てなくても良い。
 次に何枚札が欲しいか親に告げる。捨てなかった者は一枚しか貰えない又は貰わなくても良い。一枚捨てた者は最高二枚迄貰える。二枚捨てた者は最高三枚迄貰える様になっている。
 一枚では勝負は出来ないが二枚からなら勝負が出来る。此れは二枚からしか役が無いからである。
 役の強さは二枚役より三枚役の方が強い。勿論手に出来る額もかける二である。だが欲を出して三枚目の札を貰った場合、その札が役にならない札であったなら其れはただのハズレになってしまう。しかし、リスクは高いが三枚役ならどの二枚役よりも上になるので起死回生の一撃には持って来いなのだ。
 そして問題の賭け金は一律で決まった額を先ずは卓に置く、そして勝者が総取りになるのだが三枚役の場合は更に同じ賭け金を勝者に渡さなければならないと言う取り決めである。
 さて、場に腰を下ろした神楽にも札が配られると神楽はさっそく其の札を見やりあからさまに嫌な表情を浮かべ親を睨め付けた。
 香久耶は取り敢えず神楽の後ろに座り見物である。
「出だしから最悪じゃか…。」
 と、神楽が言うと香久耶は神楽の札を見やり首を傾げた。
「まったく全部交換じゃ。」
 と、言う神楽に、”え、ちょっと待ってお姉ちゃん。”と、札を捨てようとする神楽を止めた。
「なんじゃ。」
「な、何で捨てよるんじゃ ?」
「要りよらんからじゃ。」
 と、言った神楽の札は日が二枚である。
「いけん、いけん。捨ててはいけんぞ。」
「良い。香久耶は黙って見ておればええんじゃ。」
「いや、駄目じゃ。捨ててはいけん。其れで勝負じゃ。」
 と、引き下がらぬ香久耶に、”分かりよった。其方の顔を立ててやりよる。”と言った後”一枚じゃ。”と親に言った。
「あいよ。神楽一枚。」
 と、親は神楽に札を一枚渡す。
「え…? 一枚…。二枚で勝負じゃか。」
「何を言うておる。二枚では勝てんじゃろ。」
 と、神楽は親が渡した札を見やりニンマリと笑みを浮かべた。
「ありゃまぁ…。三枚揃いよった。」
 と、香久耶がボソリ。
「さあ、さあ、御一同様宜しいか。」
 と、親は子を見やる。
 「其れでは勝負。」
 と、先ずは親が札を見せる。次いで子が札を見せて誰の札が一番強いかを競う。今回は日の札を三枚持っている神楽の大勝である。
「な、なんと。日が三枚 !」
「はぁぁ、勝負師やのぅ。三枚目を行きよるか…。」
 と、子達から驚きと賛辞の言葉が届く。
「やったのじゃ。流石お姉ちゃんじゃ。」
 と、香久耶も大はしゃぎである。
「何を言うておる。今回の勝ちは香久耶のおかげじゃぞ。我が思うに香久耶には博打の才能がありよる。ちと打ってみるが良い。」
 と、言った神楽の顔は満遍の笑みである。
「え、ええんか。」
「良い。我は今ので大勝ちじゃ。じゃから、気にせず打つと良い。」
 と、神楽は上機嫌で香久耶に席を譲ってやった。が、此れは神楽が優しいのでは無い。基本的に神楽は大勝ちすると直ぐにやめるのだ。大量に得たお金を次の勝負で減らしてしまうのがいやなのである。要するに神楽はケチなのだ。だが、今回は今の勝負で得た益で打たせるのだから妹思いである事は確かなようである。
 さて、席を変わり初めての賭場での博打をする事になった香久耶なのだが、神楽は不安でハラハラしながら其れを見やる。
 出された札を後ろから見やり乍らうっとかあっとか偶には口を挟んだりするのだが、”お姉ちゃん黙ってて”と香久耶に言われムッとし乍もあっ、うっ、あぁぁぁ…。と、声を漏らしながら、おぉぉぉ…。と、神楽は後ろで大忙しである。結局香久耶は勝ったり勝ったり負けたり勝ったりで最終は大勝ちで終わった。 香久耶は大喜びで神楽も香久耶の大勝ちに喜んだ。
 香久耶の大勝ちに大層上機嫌の神楽は自分が勝った分のお金の三分のニを香久耶にあげた。金袋をポンポン上に投げながら帰り道をテクテク歩く。
 神楽と香久耶は上機嫌。博打の話で帰り道に花が咲く。二人はケラケラと笑いながらテクテク歩く。
「お姉ちゃんちょっと待って。」
 と、香久耶が立ち止まる。
「どうしたんじゃ。」
「お金が重いんじゃ。」
「ふ…。欲張って大勝ちするからじゃ。」
 と、神楽はケラケラと笑う。
「お姉ちゃんが自分の勝ち分も我にくれるからじゃ。」
「これこれ、姉の施しを無碍にするでない。」
「重いのが嫌じゃっただけじゃろ。」
「そんな事は無いぞ。お金は多い方がええんじゃ。」
「一杯あっても一緒じゃか…。」
 と、香久耶が言う様にこの時代のお金には余り価値が無い。大量にお金を持っていても贅沢が悪とされている中ではその本領を発揮出来ないのである。其れにお金が無ければ無いで物々交換をすれば何かしらの物を手に入れる事は可能なのだ。だから、賭場に来る人はお金が欲しいからと言うよりは、博打を楽しみに来ていると言う方が正しい。
 其れに賭場の人間も無駄に誰かを負けさせたりはしないし、必要以上の上がりを取ったりはしないのだ。仮に大負けして返済出来ない時は物で代用する事も出来るのだ。
 だから、神楽の金払いが悪いのは、ただ単に神楽がケチだから金払いが悪いだけであって、此れはタダで手に入れたい欲望が強いからなだけである。
「まったく、文句の多い妹じゃ。そのお金で美味しい饅頭が一杯買えよるんじゃぞ。」
「饅頭じゃか…。確かにそうじゃ。」
 と、香久耶は茶店を見やる。
「ムフフ…。食べとうなってきよったんじゃな。では、ちと其処で休憩でもしようかのぅ。」
 と、神楽も茶店を見やる。

 と、その刹那…。

 何かが神楽の後ろで鳴いた。
 何とも言えぬ甲高い声で其れは鳴き喚き。脳裏に響き渡る。鴉の様で鴉でない様なその声はガァァァァ、ガァァァァと騒ぎ立てた。
 神楽は咄嗟に体を反転させ身構える。
「な、なんじゃぁ…。」
 と見やる其処には黒い何かがいた。其れが何かは神楽には分からない。ただガァァァァガァァァァと泣き叫ぶ声が脳裏に響く。
「お姉ちゃん…。どうしたんじゃ ?」
 神楽を見やり神楽が見やっている場所を香久耶は見やる。だが其処には何もない。
「お姉ちゃん…。どうしたんじゃ。お姉ちゃん。」
 と、言う香久耶の声は神楽には届かない。神楽の脳裏にはガァァァァガァァァァと叫ぶ声が響くだけである。
「なんじゃぁぁ…。其方はなんなんじゃ。」
 黒い何かに神楽は言う。だが、黒い何かは答えない。
 やがて、黒い何かはガァァァァガァァァァと鳴いた後南の空に向かって飛んでいった。
 神楽は訳わからずただ其れを目で追いかけていた。

 そして…

 カシャン。

 神楽は金袋を地面に落とした。
「お姉ちゃん…。どうしたんじゃ ? 何を見ておるんじゃ。」
 神楽の両腕を掴み香久耶が必死に問いかける。
「あ、あ…。」
 と、神楽は言葉にならない声を出す。やがて体がブルブルと震え出し鼓動が高鳴って行くのが分かる。
「た、た…大変じゃぁ ! 大変じゃぁ !」
 そして神楽は声を張り上げ叫んだ。
「なんなんじゃお姉ちゃん。なにがあったんじゃ。」
「香久耶…。大変じゃぁ ! 侵略じゃ ! 侵略じゃ ! 秦が攻めて来よったぞ !」
 叫び乍ら神楽は南の空を指差した。其れと同時に銅鐸の音が激しく鳴り響き出国、周辺集落、高見台から赤粉があがる。香久耶は慌てて南の空を見やった。
 香久耶が見た南の空はまるで真っ赤な雲に覆われた様に、赤く染まり太陽を覆い隠す。迂駕耶から無数に上がる赤粉。次いで出雲から上がり始める赤粉が全ての人を恐怖で支配しようとしていた。

大臺神楽 闇夜 一章 倭 降り立つ闇 終わり
次回、迂駕耶襲撃に続く

次のお話

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