孫娘に会いたい
孫娘に会いたい。
海外で生活する息子家族に会う機会は限られている。
ましてやコロナ禍で高齢者の行動自粛が3年以上も続き、海外旅行など予
定できなくなった。
私が古希を迎えた年(2016)に、待ちに待った孫が誕生した。
女の子。名前は「ユキ」。
日本国内ならばすぐに駆け付けていたのだが、中国深圳市の病院ではそうは簡単に出掛けられない。
息子が中国に居住して既に25年。1998年に鄭州大学に留学、その後深圳大学に進み、卒業後は自動車部品製造会社の中国担当となって、深圳市で家庭を持ち過ごしている。
私も深圳市には3度訪れている。
もちろん息子のガイド付きである。
世界が注目する先端都市のエネルギッシュな姿は、訪れるたびに変貌していた。
同様な都市は日本には存在しない。
しかし、ユキちゃんは後々この街をふるさとと呼ぶかもしれない。
だとすれば、劇的に開発の進む街と異なる、唱歌「ふるさと」に歌われた風景と日本の民家と文化を伝えたいと思い付いた。
私は利根川流域の田園地帯で生まれ育った。
だから、平らな地形ではなく起伏のある中山間地に憧れていた。
ユキちゃんの誕生に合わせて、自分の夢を実現しようと、中山間地の物件探しを始めた。
私の条件にピッタリ合った物件が見つかった。
栃木県佐野市の中山間地。家族の反対を押し切り、購入した。
ユキちゃんの1歳の誕生日(2017)を取得日にした。
山城跡のような高台に建つ古民家で、集落にある小学校の屋根が見える。
居住するまでの補修や片づけで1年以上費やし、住み始めようとした矢先に、嫁さんから電話があった。
「深圳に来てください」という。
子育てで、てんやわんやしていた時期だから、応援要請だと思った。
妻ではなく私を指名だ。私は家事が熟せるが理由である。
勇んで出掛けた。何しろユキちゃんに会いたさ一心である。
初めての1人での海外渡航といっても、香港国際空港で息子の出迎えを得ての話。
2週間一緒に過ごした。
まだ言葉はたどたどしいが、「ユキちゃん、ユキちゃん」と呼ぶと、「ジィージィ」とささやくように答える。手を握る。DNAがつながる。
2週間はあっという間に過ぎた。
嫁さんに抱かれたユキちゃんは、パパの朝のお見送りと同じ表情。
嫁さんの「また来てくださいね」に、涙がでた。
帰国してから、さらに夢が膨らみ始めた。
古民家の補修に力を入れ、今まで収集した日本の美術品を飾った。
ところが、とんでもない事態が発生した。
新型コロナウイルスの感染拡大だ。
3年以上も続き、現在でもワクチン接種を受けながら過ごしている。
この間、行動自粛が日常的になり、人ごみに出かけることが億劫になった。また、喜寿を迎えてみれば、体力の低下も進んだ。
もう海外渡航は難しい。となると息子家族の帰国を待つしかない。
ユキちゃんも昨年小学生になった。
成長過程は、息子から送られてくる写真や動画で確認できている。
だが、体温は伝わらない。
準備は万端整っている。
海外往来の環境も改善されてきている。
古民家で、ユキちゃんを待つ。
今年こそ実現することを願っている。
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