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ペスト(アルベールカミュ)を読んで

山門水源の森を次の世代に引き継ぐ会の皆さんへの会報森だより5月号に寄せた「ペスト」の感想文です。

2 か月に1 度行っている読書会の課題図書となり拝読。
1940 年代のアルジェリアでペストが蔓延し、都市封鎖になったという設定のフィクション。ドキュメンタリータッチの群像劇の形をとり生存を脅かす不条理の中で人はどう混乱しどう立ち向かうのかを描いている。出版は1947年で1945年に終わった第二次世界大戦、ナチスや戦争をペストに例えて書かれていると言われているが、新型コロナウイルス感染拡大による都市封鎖をロックダウンと呼ぶことになれた現実世界から見るとにわかにリアリティを感じる。登場人物のタルーは「誰でもめいめい自分のうちにペストを持っているんだ。なぜかといえば、誰一人、全くこの世に誰一人、その病毒を免れているものはないからだ。そしてひっきりなしに自分で警戒していなければ、ちょっとうっかりした瞬間に、他の者の顔に息を吹きかけて病毒をくっ付けちまうようなことになる。自然なものというのは、病菌なのだ」と語る。

 自分のうちにペストを持っているとはどういうことだろうか。今回の新型コロナウイルスの問題で一番頭を悩ませたのは、スタンダードについてであった。2/27 休校養成、3/9 3 密を避ける目安発表、3/25 東京外出自粛要請、4/7 緊急事態宣言(7 都道府県)、4/16 緊急事態宣言(全国)、どんどん背景が変化していく中で、首尾一貫した態度を決めるのはきわめて困難
であり、仕事や家庭など場所、立場により態度を変えるダブルスタンダードならぬマルチスタンダードを採らざるを得ないストレス下に置かれることになった。しかしそれらを経て一つ言えるようになったことは「自分がうつすかも知れないし、うつされるかも知れないというためらいにもにた自覚」であった。そうすると先のタルーの言葉が現実味を帯びてくる。

 思想家の内田樹は「ためらい」を感じる倫理的感性こそ、カミュの精神の本質的な特徴と指摘し、自分が善であることを疑わず、自分の外側に悪の存在を想定して、その悪と戦うことが自分の存在を正当化すると考えるような思考パターンが「ペスト」なのだと読解している。カミュは次著「反抗的人間」でこの「ためらい」を基盤に社会理論を作ろうとしたが、それは腰抜けと評され実存主義のサルトルとの論争による致命的敗北を期した。しかし不条理の中で立ち向かう術は、正義を語り、何かを誇ろうとしたり、勇ましい発言をするのでなく、一方で卑下することでもなく「ためらい」や「躊躇」を感じる倫理的感性から出てくるのかもしれない。今だからこそ読むべき小説です。(橋本 勘) 

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