「同じ」と「違う」はなし

藤田一照さんの仏教塾『 Institute of Dogen&Lifedesign:道元からライフデザインへ』特別イベントin京都 に初めて参加しました。

Screenshot_2019-12-22 『 Institute of Dogen Lifedesign:道元からライフデザインへ』特別イベントin京都 – 藤田一照 公式サイト

今回は藤田さんと桶職人の中川周士さんとの対談でした。中川さんのプラスチックのケロリンの桶が一気に増えて、木の桶が減ったという話を聞きながら、「ピュアで閉ざされた世界」と「汚染された複合的な世界」について思いめぐらせました。前者は「同じ」ことを後者は「違う」ことを前提としていると言えるんじゃないかと思います。

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ケロリンの桶が均一につくられた(人の認識レベルでの)同じものであるのに対して、木の桶はその材料の性質からも一つ一つが違っています。同じものはピュアで閉じられており、拡大大量生産を得意としますが、一つ一つが違うものである木の桶は職人が手間暇をかけて作るため拡大大量生産には向いていません。

中川さんは曲がった木で作るフォークも紹介されていました。曲がっている繊維を曲線部に使うことで強度の強いフォークを作ることができるということでした。しかも昔は、使えない材として焚きものになっていた部分が、それを個性として生かした作品になる。これはまさに「違う」ものです。

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この「同じ」と「違う」の境界線、どこに焦点をあわせるか、精度の細かさを変化せていくと違った世界が見えてくるのも面白いことです。

たとえば、桜の代表であるソメイヨシノはクローンで増えたことがよく知られており、その意味では「同じ」ものといえます。しかし1本1本の樹形は異なり、土壌や日照などの環境によって、その成長や花の咲き具合もかわります。その点では「違う」ものです。

どこに焦点をあわせるか、

時代の流れのなかで世の中は「違う」から「同じ」への方向が大きくシフトしていきました。それは「同じ」という幻想が安心であり、「違う」が想定外であり怖いものという背後にある認識が影響してたんだろうと思います。

ときどき流れが逆になることも見えます。今年のM1グランプリで優勝した「ミルクボーイ」がネタにしていました。生産者の顔が浮かぶ食べ物と、誰に感謝していいかわからないコーンフレークもその例なのかも知れません。

「マツタケ 不確定な時代を生きる術」という本はこの「違う」を象徴するものとして「マツタケ」を取り上げています。マツタケという存在は、単独では存在できない、人が開拓し原野と化した土地に生えるアカマツの根に共生する形生えてきます。人が開拓しすぎてアスファルトのようなところには生えず、かといって放っておかれた原生林のようなところには生えない、ほどほどに手が入った土地が必要であり、しかもアカマツの根が菌と共生しどちらが根か菌かわからないほど互いに入り合って、まさに不確定な存在ともいえます。そんなマツタケをとりまく事物から、思考を研ぎほぐしていこうとう異色の本です。


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