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私はどこまで私なのか

森だより10月号に書いた書評です。

 地元6年生の学習で森に出掛けて保全作業をする前に「森を守ってなんになる」というお話をしました。

 最初の導入では「私はどこまで私なのか」を考えることにしました。例としてウンコは自分か他人かを聞いたところ、どっちかわからないという返事が多数でした。子どもたちから逆に爪はどうだろうかという問いかけもあり一緒に考えてみました。それまでまぎれもなく自分の一部だったものが、そうでなくなる感覚は誰しも経験しているものの、それについて考える機会はあまりないのかも知れません。話はそこから動的平衡と流域思考を経て、田んぼをみて将来の自分だと思うか、そして森はという風に進みました。

 ウンコの話をしたのはその直前のコンビニで「うんこドリル」を目にしたからですが、ウンコという存在を人文科学的に取り扱っている本が最近出版されたことを知り早速読んでみました。

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 人文地理学ならぬ人糞地理学をうたう本書は「食べること」と「ウンコをすることは」いずれも私たちの中で完結するものでなく、外の世界に開かれ、様々な「いのち」の受け渡しの環の中に位置づけられる行為であり人糞地理学は人間学であると同時に、環境学でもあると指摘します。さらにレヴィ=ストロースの「人文科学の究極目的は人間を構成することではなく人間を溶解することである。」という言葉を引き、人間中心ではなく世界や宇宙の一環に人間をなじませ、分解し、溶かし込むように位置づけてこそ見える景色についての対話が必要と説きます。

 ところで、先の子どもたちへの話の途中で「そういうことか!」と何かに気づいている子がいました。それは答えの発見ではなく、問いの発見の喜びの声に感じました。問題を解決するという知性の働かせ方ももちろん大切ですが、この本がそうであるように問いを発見するという知性も大切にしたいと感じます。(橋本勘)

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