My life

~誕生・幼少の頃~
 long time ago I was born in YAMAGATA,then I grew up in Tokyo ,those day I could have a lovery day.

『突然のいじめ勃発』
~逆らえなかったいじめ~
小2の時担任に執拗にいじめられクラス中に総スカンをくらった。
病欠した次の日登校すると宿題を集めていた。休んでた私は放課後担任の所へ来るよう言われたので行ったが無視された。次の日宿題の事を聞かれ私が事実を伝えると、屁理屈だと言われベランダに授業中ずっと立たされた。
またある日は授業で使うものを忘れ借りたところお礼を言わずに返したとイチャモンをつけられ立たされた。ことある度にいじめられ、私は抵抗する勇気も反抗する元気もなくなっていった。両親ですら私の話を真剣に聞いてくれなかった。たった1人幼なじみだけが仲良くしてくれそれだけが救いだった。

~意味不明ないじめ~
中3時のいじめはもっと陰湿だった。
クラスの中のあるグループが私の陰口をあることない事言っては誹謗中傷しこれ見よがしに薄ら笑いやバカ笑いをするのだ。
また仲良くしてたグループのあるふたりには、私が大事にしてる物をとりあげられふざけてからかってるだけのつもりだったみたいだが私には屈辱だった。
~My Happiness memory~
In a high school I studied English lots of time in a week ,and I homestayed in England,and I blessed good friends and good teacher, I think high school years were most happiness time in my life
After high school I promoted to institute of foreign language school I studyed hard and I homestayed in America  that was wonderful experience for me after all I finded employment
at business hotel

『発症への核心へ』
~幸せからどん底へ~
元旦那と出会い結婚→出産→離婚
なぜ離婚したかと言うと、元旦那が子供の出産と同時に豹変し酒乱、子供にも手を出す、生活費入れないと散々な目に会い出産後半年で離婚を決意

~天国から地獄へ~
友達探しのサイトで知り合った男性と半年近くメールのやり取りをして、クリスマスの日に会おうってことになり、息子連れで会いに行った。
彼はメールの印象通り温厚で人見知りせずに、息子ともすぐに仲良くなって遊んでくれた。
月に何度も子連れデートや2人きりのデートを重ねるうち結婚したいという願望が芽生えてきた頃、急に彼の仕事が縮小され半ば強制的に金沢に戻され、な
かなか会えなくなり電話もメールも途切れがちになり自然消滅

~鬱病発症~
息子が小学校に上がることになり一緒にいる時間が短くなることへの焦燥感、ずっと信頼して頼っていた彼との別れ、仕事の責任過多による過労から自暴自棄になり自殺を図って、裏山に駆け込んだが、死にきれず自力で帰宅し、様子を見ることにしたが、何日経っても何を見ても聞いても意欲は湧いてこなかった。そこで両親と共に精神科に初めて受診することにした。

~入院時の話~
私はこれまでに3回入院を経験している。
これからその壮絶な入院経験について話そうと思う。
入院はただただカルチャーショックの1言に尽きる。患者の扱いは刑務所といったところだ。
起床時間食事時間入浴時間就寝時間が細かく決められており遅れたら食事抜きなどと脅かされた。入浴は次から次と人が入ってくるのでカラスの行水状態、食事もお世辞にも美味しいとは言い難いものをぎゅうぎゅう詰めできつく身動きすら取れない椅子に座り窮屈に話をすることも無く監視の元でした。
保護室に入れられたことは私の中で一番辛く情けない気持ちになったものである。便器とベッドだけ置かれた質素で味気ない部屋に入れられ誰とも話せず昼夜問わず別の保護室に入れられてる患者の叫び声泣き声怒声うめき声が聞こえてきて私は治療に来てるのか悪化させるために来たのかわからなくなった。私はただ正直に素直に真っ直ぐ優しい気持ちを持って人と接してきたつもりなのに何が悪かったのと自問自答しては泣き叫び怒り狂気に沈んだ。10日後ようやく落ち着いた私は保護室から解放され一般病棟に移った。
しかし、保護室でよかった面もある。自分を見つめなおす時間ができ、自己分析・冷静になることができた。
またOTでは様々な症状を持った方と一緒に過ごすことで社会性が磨かれた。
そして男女混合の病棟で過ごすことにより異性への恐怖や感じていた壁がなくなった。
なお自分で自分のことができるようにする訓練や社会性を持った人・目標を持つ人になる(SST)訓練も受けた。
それでも入院生活で唯一の楽しみは息子との交換日記そして息子のアルバムだった。
息子の丁寧に書けてるお手紙や上手に書けてる絵、成長が記録されたアルバムは辛いだけの入院生活に癒しを与えてくれたたった一つの宝物だ。その癒しを胸に早く会いたい気持ちで病気と格闘し、ようやく退院が決まった。その時は母と抱き合って喜び帰宅した。

『私がしたいこと』
~退院後から現在~

過去の経験を活かして、これからよくなる自分をイメージしてみる
自然のパワーを取り込みながら心を澄ませてみる、季節を感じる。精神状態にプラスに働く行動を意識して実行する
自分を本当に大切にしてくれる人達と出逢いお互い尊重しあって成長することを目標に励まし合う。精神的に振り回されることなく安心して生活ができている自分、人間関係が上手くいき仕事(ミニカフェ併設のキッズ英会話教室)(希望)も頑張っている自分、静かだけど毎日が幸せで楽しい、そういう近い将来をイメージし紙に書き、思考を定着させ、イメージを目標に変え実現したい。

Okay, that's all 
Thank you very much for your silently listening.

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