宝島の話

なんやかんやで長くなりそうで、自分なりにちょっと楽しい発見みたいなことがあったのでメモ。

全くもってござさん要素でもないのです、メモです。自分的に残すやつです。
なので、ござさんのことで読もうって方向けじゃないです。すみません。独り言にしては長くなりそうなのでここに書くことにしました。

ござさんの宝島。
ござさん配信を聴き始めて初期の頃から、かっけーー!!いつかこんなふうに弾いてみたい!と憧れていた曲。

こないだのネピサマの時になんか応援動画というか、乗っかって動画撮りたいなー、夏だし、宝島は?!と甘っちょろい考えで思いつき…
その時は、ござさんが配信でたまにご厚意でしてくださる(と思ってる)、流れていく鍵盤(すみません、アレの名前がわかりません)を画面に出してくれてた回で弾いてたのを粗方写して、さらに弾けるように無理なことを端折ってなんとか何小節か弾いてみたんですが、

うーん…
やっぱりもう少しちゃんとやってみようかなーと思いまして(いつも勝手にごめんなさいです)


 で、そうそう、そもそも宝島って?

ってとこに思い至ってですね。

宝島を聴いて私はどこを何を連想するんだろう。


ござさんの宝島を聴くまでの、そもそもの私のこの曲の認知度は…
  「聴いたことある」
  「なんかBGMとかでよくかかってる」
  「メロディは知ってる」
くらいのかんじ。


曲は聴いたことあるけど、題名はわからない、なんかフュージョンぽい曲、
が、私の中にあったイメージや情報。
特に特別な接点がなかったんです。

その後、作曲者の方が近年突然に亡くなられたこと。その時はツイッターとかも騒然としていて
いろんな人が悲しみに暮れていたから
それは、なんとなく覚えている。

T-SQUAREのとか吹奏楽とかのも聴いた。
かっこいい。うん。めちゃくちゃかっこいい。
それは聴いたらもうめっちゃわかる。
みんな大好き宝島。
有名すぎるし、かっこよすぎるし、その良さはもう聴けばわかる!なわけですし。

でも自分なりの、自分の宝島のイメージは描けていなくて。

でもござさんは原曲を聴いてアレンジしてるわけですよね。おまけに吹奏楽のに至っては、ご自分も演奏されたりしてるのかもだから、とにかくめっちゃこの曲を知り尽くして弾いてるはずだから
そのござさんが聴いてるものを聴いて、それも自分なりに一旦飲み込んでからござさんのアレンジを聴いたり弾いたりしたいっ!!
などと思ったりするわけです。


それで作曲者の和泉宏隆さんもピアニストの方だし(ピアノというだけで勝手に増す親近感)、和泉さんのことを調べたりしながらまた聴いてたら、ものすごく自分にド刺さる演奏に巡りあいまして。

それが和泉さんのyoutubeにあげてくださってる、ご自身がソロで弾いてらっしゃる宝島でした。


なんだかもう聴いて涙が止まらなくて
なんかもう何十年も前に、
子どもの時にしかさわれない、
その時開けてからもう開けたことがないような不思議な感情の箱を開けたような。
懐かしい……


そもそも
宝島ってどこなんだろう。
私は見つけることができたのかな。
小さい頃はあった気がするのにな。
あれはどこだったのかな。
手のひらから砂がこぼれてゆくような。
もう戻れない。
でも悲しいんじゃなくて。
やっぱりそれは宝物で、
なくなったりはしなくて。
でもとてもとても遠いところ、
時間的にも距離的にも遠いところ。

ずっと、宝島を追いかけてる少年のような、
行くぞーー!!進めーー!!みたいな、わくわく感の曲だと思っていたけれど、
そうだった、たしかにTーSQUARE版の宝島とかは特になんだか胸をキュッとしめつけられるような切ない感じがする。
なんか泣きたくなるような気持ちがする。悲しくはないのに。
あれの正体は何かノスタルジックなものの気がする。


小さい頃なぜか思い込んでたこと。
家を出て、方角でいうと南の方角なんですけど、そっちに向かって行ったら、
きっと何かある!なんかめちゃくちゃ楽しいことがある!っていう何の根拠もないことを思ってた時期があったな。
別にそっち方面に行ったことがないわけじゃない。
親と一緒に車でも日常的に通ってた。
明確な何かは何も想像できないのに、ただひたすら絶対あっちにいったら楽しくてわくわくする!って思ってたなぁって、そんなことを思い出した。

今だってわくわくすることがゼロになったわけじゃないはずだけど。
秋の月がきれいな晩や、初夏の緑の森。
絶対なんか楽しいことがあるに違いないってなぜか心躍ることがある。
それが何なのかはぜんぜんわからないまま終わるんだけど。

でももうたぶんあの時みたいには思えないんだよね。
どこかに大人の自分もいて。
もうあんなふうに、ただただ無邪気に何かを信じたり、はしゃげないんだな。
なんか急に懐かしくて懐かしくて涙が止まらなくなった。
ああ、もう戻れないんだな、あの宝島には。
でも悲しくはないの。
たぶん宝島はきっと心の中にあって、失くしたわけではないんだろうなーって。

たぶん心の奥の奥に頑丈に鍵がかかってて、
宝島を今まで聴いても、わくわくしてもその鍵は開かなかったのに、和泉さんの温かい優しい音色がそっとそこまで連れて行ってくれたようで。

それは全てを悟ったところから私のようなちょいと聴いてみましたという人間でさえ包み込んでくれるような優しさや安心感のような、切ないのに決して悲しくはないようななんか心の奥の芯みたいな強さみたいな、言葉にできないけど。

作曲者様の演奏を聴いてそんな気持ちになれたことがまたとても嬉しくて、自分と宝島という曲とが繋がったみたいで、また何倍もこの曲が好きになって、そしてもっと素直に「好きー!!」と思っていいんだ!みたいな謎の自信を得た(?)

宝島はそれ以来、私の泣き曲。
いろーんな宝島があって、私は聴くたびにいろんな宝島に思いを馳せることができてめちゃくちゃ楽しみがまた広がった。(スタクラのオーケストラもめーっちゃ楽しくて素敵でやっぱり泣いた)

私からすると、ござさんの宝島から入ってるわけですよ、ござさんの宝島が好きー!から入った、そこが入り口だけど、それとはまた別軸で自分とその原曲とのつながりというか、そういうのがその先に広がってたー!って体験ができた時、またなんか違った喜びというか、満たされた気持ちになります。

あと、自分の中で課題的なすんごい謎なのはアドリブのところに泣かされること。
JAZZとかあんまりよくわからないけど、いやわからないからなのかもしれないけど、たまにその現象に直面するといつも「これってどういう状況?!」ってなる。
ござさんのsecret baseとかもそうなんだけど。
それが自分が好きなアドリブの分野?ってことなのかな。
和泉さんのCDにもなってるソロで弾かれてるのもあるけど、ご本人をあまり私が知らなかったのもあるかもだけど、このyoutubeのがささりました。

この曲に出逢わせてくれたござさんと素晴らしい曲を作ってくださった和泉さんに感謝と敬意を込めて。またこれからも弾かせていただきたいです。
和泉さんのも弾いてみたいな🤤


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