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タモリ倶楽部

タモリ倶楽部のディレクターをやっていた。20年くらい前、まだフリーだった頃。
大阪でテレビマンとしてスタートし、30歳で上京後はフジテレビで番組を作ることが多かった。なので【大阪的なバラエティー】や【フジテレビ流バラエティー】は身についていた。しかしタモリ倶楽部は全く未知の世界…前衛的でサブカルの先端を走っているイメージ。ベタの王道を歩んだ俺が通用するのか?
何よりあのタモリと仕事ができることに昂ったのを覚えている。

タモリ倶楽部に出演された方はご存知だと思うが、あそこでのタモリさんは
さほど気も使われず自由。まずそれに驚いた。そこにビッグ3の大御所感はなく
いい意味でほったらかし。あの飄々とした空気を身にまとい
収録の風景として収まっている。低予算番組なので都内のハウススタジオを
毎週転々とするのだがセットの片隅にフワッと佇んでいた。余談だが
タモリはおそらく都内のハウススタジオを一番知っているタレントだ。40年も流浪しているのだから。

タモリ倶楽部の会議はくだらない。
ずっと雑談してる時もあるし、ダジャレでゲラゲラ笑っていたりする。
会話のテンポが早くインテリジェンスに飛んでいて、下品だけどアカデミック
だったり。そこに食らいつくのが大変。自分なりのキャラを作り、パスが
きたら確実に笑いのゴールを決めなければならない。ただの会議なんだけど
楽しくて疲れる時間だった。今でも自分の参加する会議の理想型。
最後は演出の山田さんと作家の海老さんでざっくり方向性を決めていた。

当時はずーっとタモリ倶楽部の企画を考えていたような気がする。感度高めのアンテナを張り常にインプットする。何かないか?
子供と公園に行き草野球を見てる時に「この人たちの人間関係が分かれば面白いなぁ」という視点から“人間関係草野球”を企画したり、GPSで目黒区にタモリの大きな似顔絵を描いたり…。他にも
*ピカピカの泥団子を作る
*都内をバスで走って地図を作る
*プラモデルに占領された家をレポート
*刑務所の中の臭い飯を食べる
*八百屋で呑む(豆腐屋も)etc.
8年で120本ぐらい担当させてもらった。
もっとバカバカしいのも、ここに書けないお色気回もたくさんある。
ちなみに空耳アワーのVTRは一本も撮っていない。撮らせてもらえなかった笑。
撮れと言われても困ったはずだが。

「優香のマネージャーが鉄オタで面白いから会ってよ」
と言われてあったのがホリプロ南田氏。喋り方や動きが独特で確かに面白い。
すぐに出てもらった。おそらく初めてのテレビ出演だろう。
そこから始まったのが【タモリ電車クラブ】
スタッフで一番の電車好きだったこともあり立ち上げた。原田芳雄や岸田繁らと京急を貸し切って久里浜まで行ったのは忘れられない。大宮の鉄道博物館の開館時もロケしたし、工事中の渋谷駅の地下にも潜入した。

そもそもタモリ倶楽部のタモリのスタンスは【巻き込まれ】
オープニングで毎回連れ去られていく形なのだ。
これがいわゆるハードルを下げる効果になっている。
タモリが能動的にやりたいのではなく、あくまでも受け身。
しょうがないからやってやるか…から少しずつ反応し
タモリのテンションが上がっていくのが定番だった。
視聴者に近いタモリが共に興味を示していくスタイル。とても見やすい。
が、電車クラブ辺りから徐々に自らのフィールドに寄っていく。鉄道企画などは嬉々として参加するように。鉄オタと同じ目線で喜んだり張り合ったり積極的になる。鉄道以外にも地図や古墳、音楽や料理に発展。俯瞰や客観の視点から年を重ねて主観に変わっていった。前のめりのタモさんもまた面白い。

ついに最終回を迎えるタモリ倶楽部。40年…気が遠くなる年月。お疲れ様でした!
いつかまた担当したいなぁと勝手に思ってましたがそれは叶いません。帰るべき母港を失った艦船というか…うーん何かやっぱり寂しい。
ここをベースとして多くのディレクターが旅立っています。それぞれがタモリ倶楽部精神を受け継ぎ、形を変えて番組になっているはず。ゲームセンターCXにもその要素は埋め込まれている。

フリーの時代、他で仕事をする時に聞かれます。何の番組を担当しているの?
【タモリ倶楽部です】この名刺はとっても効きました。バックボーンのないフリー
ディレクターにとてつもない信用と実績を与えてくれたのです。バラエティー界最強のパスポート。
ありがたかったなぁ〜感謝しかありません。ディレクターとして大阪で生まれ育ち、フジテレビで鍛えられそしてタモリ倶楽部で幅が広がった。3/31の最終回楽しみです。きっとあっさり終わるんだろうけど。

(敬称略)


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