新鋭短歌シリーズを読む 第七回 木下侑介「新しくて懐かしい」
2013年から今を詠う歌人のエッセンスを届けてきた新鋭短歌シリーズ。『夜にあやまってくれ』『コンビニに生まれかわってしまっても』『エモーショナルきりん大全』の重版が決定、『水の聖歌隊』が現代歌人集会賞を受賞するなど盛り上がりを見せています。
本連載「新鋭短歌シリーズを読む」では、新鋭短歌シリーズから歌集を上梓した歌人たちが、同シリーズの歌集を読み繋いでいきます。
第七回は『君が走っていったんだろう』の木下侑介さんが、上篠翔さんの『エモーショナルきりん大全』を読みます。どうぞおたのしみください!
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エモーショナルきりん大全は新しい。
でも、なぜか懐かしい。
その相反するはずの感情はどこから来るのだろう?
鉄の火の降る小説の読点は小雨としては失格である
鉄の火の降る小説という壮大なイメージの中にも、失格となるような小雨を見てしまうような不全感。そして、それとは裏腹の何かを願ってしまうような息苦しいまでの希求。絵画のような構成に作者の確かな力量を感じる。
読み終えた後に、「そう言えば、そんな気持ちが僕にもあった」と思う。
上篠さんの短歌の特徴の一つに、こうした普遍的な青春詠というのがあると思う。
でも、それだけだったら、新しさをここまで感じずに懐かしさだけで終わっているはずだ。そうだ、上篠さんの短歌は新しいのだ。
では、どこが新しいのだろうか?
どこに僕は新しさを感じたのだろうか?
ひかるほしいいな わたしの膵臓の字が気に入らんから水臓にする
だってぼくがやらなきゃだれもやらないからこうして充たす水と回廊
みなそこのまにえりすむ、ゆがむまりあ、わたしを拾えば花の名になる
この奔放なイメージと表裏一体のリズミカルさ。
これらの短歌は、書かれているというよりも、脳内で鳴っているなと思ってしまう。
そう、上篠さんの短歌は文字を読むというより、まるで音楽のように、ロックンロールのサビのように頭に鳴り響くのだ。
そのような効果を生む力の源泉は、もしかしたらインターネットにあるのではないだろうか。
書くことと話すことの間で書かれていくインターネットの文章は、書こうとすることと書かれていく事のタイムラグが限りなく短い。
その短さが速さを生み、だからこそこんなに鳴っているのかもしれない。
そして、そうした短歌が向かう先は僕でもあり、あなたでもあり、そのどちらでもなく、またどちらでもある。
この歌集を誰に読んでほしいのか?
僕はそう聞かれたらこういうだろう。
「音楽が好きで、君と僕にとって大事な音楽があって、それを聴きながら夜明けを待っていて、でもいつになったら夜が明けるかわからなくって、それでも生きていきたいと思ってしまうような君だ」と。
そして、それは僕でもある。
この歌集は君にとって、大事な歌が詰まっていると僕は思う。
君にも馴染みのある音楽の名前も歌集に散りばめられているというだけじゃない。
インターネットという感情と自意識しかない夜の中で、テキストを身体にしながらロックンロールを鳴らしてきた僕でもあり、君のためでもある短歌がここにあるのだ。
涙が出るほど懐かしいのに、圧倒的に新しく、どこまでも優しくて、心に突き刺さる歌たちだ。
ぜひ、一人でも多くの人に読んでほしい歌集だ。
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【執筆者プロフィール】
木下侑介(きのした・ゆうすけ)
1985 年、横浜生まれ。
穂村弘氏の「短歌という爆弾」を読んでから作歌を始める。
2021年10月に『君が走っていったんだろう』上梓。
刊行後に、枡野浩一氏のYouTube「枡野と短歌の時間」にゲスト出演、東郷雄二氏の短歌評論サイト「橄欖追放」に書評が掲載、週間新潮の俵万智氏連載「新々句歌歳時記」で1首が引用されるなど多方面で話題を呼んでいる。
新鋭短歌シリーズ55『君が走っていったんだろう』
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