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新鋭短歌シリーズを読む 第四回 伊豆みつ「うれしいお墓」

2013年から今を詠う歌人のエッセンスを届けてきた新鋭短歌シリーズ。10月に最新刊が刊行されたほか、『夜にあやまってくれ』『コンビニに生まれかわってしまっても』『エモーショナルきりん大全』の重版が決定するなど、盛り上がりを見せています。
本連載「新鋭短歌シリーズを読む」では、新鋭短歌シリーズから歌集を上梓した歌人たちが、同シリーズの歌集を読み繋いでいきます。
第四回は『鍵盤のことば』の伊豆みつさんが、藤宮若菜さんの『まばたきで消えていく』を読みます。どうぞおたのしみください!

53藤宮若菜書影

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うれしいお墓って何だろう。

まばたきで夜のひかりをかき集めうれしいお墓をつくりたかった
/「しゃんぐりら」

 まばたきで集めたひかりは写真のフラッシュのようなあざやかさだ。「夜のひかりをかき集め」てつくるお墓は、それはそれは明るいだろう。石という重い固体でつくられたお墓ではないのだ。
 一般的な固いの墓石の重さからは暗さ、静かさが連想され、それは死者の眠りや死そのもののイメージにつながる。でもひかりのお墓だ。この人は誰かの死を(おそらくは親密な相手の死を)あざやかな明るさの中に置きたいのだ。暗い眠りの中ではなく。だからうれしいお墓。でも、つくり「たかった」という独白は実際につくったことを意味しない。

 『まばたきで消えていく』は不思議な歌集だ。死のイメージがさまざまに姿を変えながら登場する。そして表裏一体に、生のイメージも常にある。その対象は人間、蠅、魚、などの生身の生命だけにとどまらない。

ほんとうはそう思ってた。ベランダでしずかに燃やす花火のことも
/「そのみずうみに浮かぶものたち」

内覧のときまであった本屋さんきれいな土になって花冷え
/「三月の双子素数」

 花火や本屋さんといった無生物の終焉が描かれるのも、この歌集における生や死のイメージをより豊かにしているだろう。線香花火のような、しずかに燃える花火。少し前には確かに存在していた本屋さんが、花冷えの季節にはつぶれて建物すら無くなってしまった、その更地の土。
 「ほんとうはそう思ってた」の「そう」が何を表すのかは明示されない。直前の歌を読んでみても、なんだかそれではない気がする。たぶん、答えはこの主人公の中にしかないのだろう。それでも勝手に推量するならば、儚いと思っていた、ということなのだと私は思う。
 本屋さんにどんな事情があったのかもはっきりとはわからない。内覧のときすでに経営状態が良くなかったのかもしれないし、急な異変があったのかもしれない。それでも春になって近くに越してきたら「きれいな土」になっていたという事実は同じだ。「花冷え」の語が効いている。「きれいな土」を見て、私たちの温度も下がる。

ゆめぎわだ 永久歯ってうそみたいな名前だねってあなたが笑う
/「あおい火葬場」

 生きていても状態が悪ければ抜けたり欠けたりしてしまう歯、まして持ち主が死んだら歯では無くなってしまう歯。たしかに「永久」の語本来が持つ時間の長さには全然及ばないだろう。そのおかしさに、夢に出てきた「あなた」は笑う。


すごい雨。ってきみがわらう 明日だって明後日だってわたしがすごい雨になるからわらって
/「夏が終わったら起こしてね」

 愛しい人の笑う姿を思うことは、主人公の祈りだと思う。死や生が重要なテーマの歌集ではあるけれど、その根底に流れているのは切々たる愛だ。あなたを、きみを、人を、愛しこいねがうからこそ生まれた歌が、私たちの内面にひたと迫るのだ。この歌集自体が「うれしいお墓」のひとつなのかもしれない。

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【執筆者プロフィール】
伊豆みつ(いづ・みつ)
石川県生まれ。上智大学文学部国文学科卒業。2014年、未来短歌会に入会。黒瀬珂瀾に師事。2021年、『鍵盤のことば』(書肆侃侃房)を上梓。

新鋭短歌シリーズ52『鍵盤のことば』

52伊豆みつ書影


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