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【お砂糖とスパイスと爆発的な何か】知られざるプレコード映画の世界(4)テキサス暴力セレブ娘がゲイバーを破壊する『ミス・ダイナマイト』(CallHer Savage)(北村紗衣)

Clara Bow in Call Her Savage (1932) publicity still.( wikipedia commons より)

 プレコード映画特集の4回目でとりあげるのは、1932年の映画『ミス・ダイナマイト』(Call Her Savage)です。ジョン・フランシス・ディロン監督、クララ・ボウ主演の映画で、ボウはサイレント映画時代の大スターでした。『ミス・ダイナマイト』は、超常現象を研究するフォーティアン協会創設者のひとりでもあったティファニー・セイヤーの小説の映画化です。
 
 この作品は相当な問題作で、今では考えられないような人種差別描写がある一方、ヒロインのぶっ飛び方が尋常ではありません。アクション映画でも犯罪映画でもなく、一応ロマンティック・コメディ……だと思うのですが、ボウ演じるこの映画のヒロインは、タイトルに書いたとおりの行動をとります。こんなに無意味に暴力的なヒロインは現代の映画でもそんなにはいないと思うので、プレコード映画の妙な例として興味深いと思います。

◆1時間半しかない大メロドラマ

 『ミス・ダイナマイト』のヒロインであるナサ(クララ・ボウ)はテキサスのお金持ちの令嬢です。ナサはすぐにかんしゃくを起こして暴れるため、周りの人は手を焼いており、とくに厳格な父(ウィリアム・ロバートソン)とは折り合いがよくありませんでした。ナサはプレイボーイのクロスビー(モンロー・オーズリー)と結婚します。しかし、父親に勘当され、女好きのクロスビーとも別れます。妊娠していたナサはお金もなく、シングルマザーとして赤ん坊を育てるため売春することにしますが、通りに出ている間に住んでいたアパートの火事で子どもが死んでしまいます。
 
 そんなナサをアメリカ先住民の血をひく幼なじみムーングロウ(ギルバート・ローランド)が訪ねてきて、ナサに祖父の遺産が入ったと伝えます。再び金持ちになったナサはニューヨークでセレブリティらしく豪遊しますが、荒っぽい性格のせいで新しい恋人とも破局します。母親の病気で里帰りしたナサは、そこで自分は父親の実子ではなく、母(エステル・テイラー)と
不倫相手だったアメリカ先住民のロナサ(ウェルドン・ヘイバーン)の娘だったことに気付きます(Call Her Savage「彼女を野蛮人と呼べ」というタイトルはここに引っかけてあります)。
 
 やたらといろんなことが起こる作品で、ヒロインが何人もの男性とくっついたり離れたりし、いたるところでケンカをし、夫にレイプされかけ、セレブ暮らしから極貧にあえぐシングルマザーになった後、また独身子無しセレブに戻ります。序盤にはプロローグ的な前日譚もくっついているのですが、長さは1時間半くらいしかありません。全体的に異常なエネルギーに満ちた映画です。

◆無意味な暴力

 アメリカのカルチャーにおいても女性がヒーローになるにはエクスキューズが必要とされてきました。夫や子どもが殺されたといった、「闘わなければならない理由」が必ずついてくるんです。もしくは、『ワンダーウーマン』のように女だけの島で育った神話的な最強美女戦士、という現実離れした設定か。

でも、2020年代にもなって、そういうのはもうだせぇな、って。

男性キャラはそうでなくても許されるのに、女性が力を振るうには世間が納得できる理由をいちいち持ってこないといけない。そういうのは、もういいんじゃないでしょうか。

阿部花恵「「強くてエネルギーの塊のような主人公を」作家・王谷晶が描く“シスターフッド小説”の最前線」『HUFFPOST』、2021年2月24日、王谷晶コメント

 上のコメントで作家の王谷晶が指摘しているように、アメリカ映画に出てくる強い女性はだいたい、深刻な背景を抱えていて、復讐とか自己防衛のために暴力をふるうか、正義の闘士である場合がほとんどです。あまり意味なく暴力的な女性キャラクターは少なく、いたとしても『ナチュラル・ボーン・キラーズ』(1994)のマロリー(ジュリエット・ルイス)のように犯罪者のボーイフレンドがいるなど、だいたいは一種の「ライド・オア・ダイ・チック」です。ひとりで無意味な暴力をふるうヒロインというのは珍しいと言えます。
 
 『ミス・ダイナマイト』のナサは、こうした意味で稀なヒロインです。何しろナサは、馬を乗り回して叫びながら登場し、その直後にただ軽く笑われたというだけの理由で親友であるムーングロウを乗馬用のムチでめちゃくちゃにぶん殴ります。ここでナサがふるう暴力は現代の感覚だとドン引きするレベルです(私は『グッドフェローズ』でジョー・ペシが演じたやたらキレやすいトミーを思い出しました)。
 
 ところが大人しくて心の広いムーングロウはなぜか怒らず、ナサを笑ったことを謝ります。ナサはすぐ後悔し、自分はしょっちゅう怒って自らをコントロールできなくなってしまうがこれは困ったことで、自分は他の女性と違いすぎる……とムーングロウに謝罪の気持ちを示します。
 
 この箇所は、女性はすぐに怒ったり暴力をふるったりしてはいけないが、ナサはそういう社会的規範に従えない反逆的な女性なのだ……ということを示していますが、現代の観客からするとナサはアンガーマネジメントのセラピーを受けたほうがいいような状態に見えます。
 
 アンガーマネジメントというのは日本では「怒るのは良くないのでそれをなくすためのマネジメント」というような単純な形で誤解されがちですが、本来は怒りが制御できずに暴力行為やハラスメントをしてしまって日常生活に支障が出ているとか、自己嫌悪に陥るので精神衛生に悪影響が出ているとか、そうした深刻な状況に対応するためのマネジメント手法です。女性は怒ってはいけない、というようなことを言うのは性差別的な規範の押しつけですし、そもそも女性は不当に扱われたと思った時にはもっと怒ったほうがいいと私は思っているのですが、そんな私でもさすがにナサにはアンガーマネジメントが必要だと思います。ナサの怒りはけっこう無意味に暴発して大きな被害をもたらす上、本人が後で自己嫌悪に陥っているので、なんらかの介入が必要です。
 
 ナサは腕っ節は強いのですが世渡りの知恵みたいなものは全くなく、「ここでこう暴力を使ったほうが効果的では」みたいな判断もせず無計画に暴れます。ナサの暴力はエスカレートし、中盤ではクロスビーをめぐって恋敵サニー(セルマ・トッド)とパーティの最中に派手なキャットファイトをします。
 
 終盤ではナサがグリニッジ・ヴィレッジのゲイバーを破壊する場面があるのですが、ここはおそらくトーキー映画にゲイバー(ゲイでなくても入れる店で、芸術家や政治活動家のたまり場になっているようですが)が最初に出てきた事例ではないか……と思われます。この場面では、ナサと連れのジェイ(アンソニー・ジョウィット)のほうにまず食器が投げつけられ、ナサが何かの余興だと思って面白がって皿をぶん投げはじめた後、ジェイと他の客との間で本格的にもめごとが起こり、ナサが椅子で他人を殴るなど、周りの人を巻き込んで大乱闘が発生する展開になっています。
 
 この場面でのナサは明らかに暴力を楽しんでいて、自分をコントロールできないことに対する自責の念があまりないように見えます。他にもナサが暴発する場面はあり、ロマコメというより暴力が見せ場の映画では……と思えてきます。

◆人種差別的なとんでもない結末

 こんなとんでもないヒロインのナサですが、前回とりあげた『フィメール
』同様、『ミス・ダイナマイト』にはヒロインのヤバさを強引に回収する結末がついています。ナサが暴力的なのは父がアメリカ先住民だから……ということで、アメリカ先住民は野蛮でコントロールができない人々であり、その血を引いている人間は片親が白人でも乱暴なのだ、という人種的なステレオタイプが示唆されてオチがつきます。
 
 他の批評でも指摘されていますが、ナサが一番問題を抱えていたのはお父さんとの関係なので、ここをきちんと解決しないといけないはずなのですが、そこに思いもよらないような形で人種差別が盛り込まれつつ「折り合いの悪い父は実父ではありませんでした」という強引な解決が導入されるわけです。無意味に暴力をふるうヒロインはけっこう新鮮で面白いのですが、このしょうもない理由付けはがっかりする上、現代の観客にとっては大変、居心地が悪いものです。
 
 しかしながらちょっとおかしいのは、この映画に出てくるアメリカ先住民のキャラクターは別に全然乱暴ではない、ということです。プロローグの戦闘場面は別として、名前のある登場人物として出てくるアメリカ先住民男性であるムーングロウやロナサはいずれも責任感と忍耐がある落ち着いた男性です(この映画ではムーングロウやロナサ役は白人の俳優がメイクで演じており、これも現在の観点では居心地が悪いところです)。
 
 この映画ではおおむね粗野だったり、狡猾だったりする白人男性に比べると、ムーングロウやロナサははるかに白人女性にとって魅力的です。最後の場面では、ムーングロウとナサがいい雰囲気になって終わります。自分をぶん殴った女と一緒になろうとしているムーングロウが心配になるところですが、男性は白人女性を誘惑するエキゾティックな恋人、女性はとんでもない乱暴者……というアメリカ先住民の描き方は、通常の人種差別的なステレオタイプの現れ方に比べると若干、複雑かもしれません(だからといってもちろん是認できるわけではありませんが)。この映画が女性映画であることを考えると、この人種差別描写の裏には社会規範の抑圧を逃れつつ、エキゾティックな相手と恋愛をしたいという女性観客の性的ファンタジーが潜んでいるのかもしれません。

◆暴力ヒロインの後継者

 ナサのような暴力的なロマコメヒロインというのはめったにいませんが、子孫がいないわけではありません。おそらく一番、近いのは韓国映画『猟奇的な彼女』(2001)のヒロイン(チョン・ジヒョン)です。この映画もだいぶ規範を逸脱した女性がヒロインだったので公開当時は話題になりましたが、既に70年近く前のプレコードの時代のハリウッドにも似たヒロインがいたということになります。

 無意味に暴力をふるうヒロインが出てくるのは、ロマコメよりはむしろエクスプロイテーション映画です。ヒロインではなく脇役であることがほとんどですが、1970年代頃に作られた女囚映画(女子刑務所を舞台にした娯楽映画)にはやたらとケンカっぱやい女性がわりと登場します。また、ボッカチオの『デカメロン』を原作とするナンスプロイテーション映画(女子修道院での暴力やセックスを描くジャンル)風なコメディである『天使たちのビッチ・ナイト』(2017)にはカッとなってすぐ暴力をふるう修道女が出てきます。小説ですが、前述した王谷晶による『ババヤガの夜』(河出書房新社、2020)はエクスプロイテーション映画風味の暴力ヒロインものです。さすがに『ミス・ダイナマイト』はとんでもなさすぎ、人種差別的でもありますが、こういう無意味に暴力的なヒロインが出てくる映画がちょっとはあってもよいと思います。

参考文献
Thomas Patrick Doherty, Pre-Code Hollywood: Sex, Immorality, and Insurrection in
American Cinema 1930–1934, Columbia University Press, 1999.

初出:wezzy(株式会社サイゾー)

プロフィール
北村紗衣(きたむら・さえ)

北海道士別市出身。東京大学で学士号・修士号取得後、キングズ・カレッジ・ロンドンでPhDを取得。武蔵大学人文学部英語英米文化学科教授。専門はシェイクスピア・舞台芸術史・フェミニスト批評。
twitter:@Cristoforou
ブログ:Commentarius Saevus

著書『お砂糖とスパイスと爆発的な何か 不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門(書肆侃侃房)


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