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【お砂糖とスパイスと爆発的な何か】コンピュータに仕事を奪われなかった女性たち~『ドリーム』から『デスク・セット』へ(北村紗衣)

 今年はSTEM(“Science, Technology, Engineering and Mathematics”、つまり科学、技術、工学、数学の頭文字をとった言葉)分野におけるジェンダー
ギャップをなくすための活動をしようという動きがあります。
 
 今回の連載では、STEMに関係する「コンピュータと女性の労働」をテーマに、2016年に作られ、2017年に公開された映画『ドリーム』と、1957年の『デスク・セット』を紹介します。

◆『ドリーム』の計算手たち

 セオドア・メルフィが監督した映画『ドリーム』は1960年代にNASAのラングリー研究所で働いていたアフリカ系アメリカ人女性であるキャサリン・ゴーブル・ジョンソン、ドロシー・ヴォーン、メアリー・ジャクソンの業績を描いた作品です。
 
 こうした女性たちは実は「コンピュータ」、つまり「計算手」と呼ばれていました。つまり、今だと機械のコンピュータがやっているような計算は、昔は人間が担当していたのです。
 
 “compute”という動詞は「計算する」という意味で、“computer”というのはそれに「~する人」を示す -erがついたものです。もともと「コンピュータ」は「計算する人」を指す言葉でした。こうした計算手の仕事には相当な数の女性が雇用されていました。

 『ドリーム』の作中では、計算作業の担い手が計算手から機械コンピュータへと代わっていく様子が描かれています。NASAにIBMのメインフレーム・コンピュータが導入され、これを見たドロシー・ヴォーン(オクタヴィア・スペンサー)がこれからは人力計算ではなく機械の時代が来ると考え、コンピュータのことを学び始めます。ドロシーは自分だけではなく、同僚である他のアフリカ系アメリカ人女性計算手たちにもコンピュータについての勉強をすすめます。力量が認められたドロシーは終盤、女性たちを率いてコンピュータ室で仕事をするようになります。
 
 ドロシーの経歴は、脚色はあってもだいたい史実に沿っています。そして、初期のコンピュータ開発にはドロシーのような計算手出身の女性が多くかかわっていましたが、あまり注目されることがありませんでした。
 
 たとえば1940年代に開発されたENIACについては、ハードウェアは男性
が開発しており、こうした男性研究者が発明の立役者として賞賛されていた一方、手間のかかるプログラミングは計算手出身の女性に割り振られていました(Light, 469)。
 
 プログラミングを中心とするコンピュータに関する仕事の多くが「最初は女性の仕事だった」のですが、プログラミングが創造的な専門職と考えられるようになるにつれて、男性がつくべき仕事として考えられるようになっていったのです(Ensmenger, 121)。
 
 コンピュータの重要性が増し、プログラマーの社会的地位が上がるほど、女性が閉め出されていったと言ってもいいでしょう。
 
 こうした忘却に抗い、女性や非白人の技術者の貢献を再評価するために作られた映画が『ドリーム』です。人種差別と戦い、科学技術のパイオニアとなったドロシーやキャサリン、メアリーの活躍をさわやかに描いています。ドロシーは計算手の仕事がなくなるのを見越してコンピュータを学んだわけで、先見の明があったということになります。
 
 では、1950年代、コンピュータが登場したばかりの時代の人々は、こうした変化をどうとらえていたのでしょうか?それがわかる映画が1957年の『デスク・セット』です。この映画は女性の労働とコンピュータを描いたコメディですが、『ドリーム』とはまったく違い、コンピュータに仕事を奪われると思った女性労働者たちを描いた作品です。

◆司書は仕事を奪われる!?『デスク・セット』に登場するコンピュータ

 ウォルター・ラングが監督した『デスク・セット』は、40年代から60年代にかけて公私ともにパートナーだったキャサリン・ヘプバーンとスペンサー・トレイシーの共演作です。2人が息の合った演技を見せるロマンティック・コメディですが、一方では映画の筋にからむ形で本格的なコンピュータが登場するかなり早い例だと言えます。
 
 ヒロインであるバニー・ワトソン(キャサリン・ヘプバーン)はニューヨークの放送局にある資料調査室を束ねる、非常に優秀なレファレンスライブラリアン(参考調査業務を行う司書)です。
 
 一般企業に司書……?と思うかもしれませんが、放送局は番組を作るためにいろいろ細かい情報を確認する必要があるため、ちょっとした図書館なみの資料室とそこにフルタイムで務める職員が必要なのです。
 
 これは放送局のみならず映画会社もそうで、ハリウッドでもしっかりした考証を好む監督やスタッフは資料室を欲しがります。ドリームワークスがハリウッドきっての映画考証リサーチャーであるリリアン・マイケルソンが擁するリサーチライブラリーを獲得しようとしたいきさつが、ドキュメンタリー映画『ハロルドとリリアン ハリウッド・ラブストーリー』に詳しく描かれています。
 
 バニーは有能な女性司書たちを部下として抱えており、あらゆる部署からかかってくる質問の電話に対して、必ず正確な情報を調べて答えを返します(大学で働いている研究者としては、この放送局はろくに事前調査もせず、謝金もクレジットもなしでメールで曖昧な問い合わせをしてくる最近の日本のテレビ局とは大違いで、とてもうらやましく思えます)。
 
 ところが、そこに怪しい雰囲気のコンピュータ技師、リチャード・サムナー(スペンサー・トレイシー)がやってきます。リチャードは調査用コンピュータを資料室に入れるため雇われたということで、女性司書たちは、自分の仕事が奪われるのではないかと警戒します。バニーとリチャードはライバル同士になるわけですが、やりあううちにお互い惹かれ合っていくようになります。
 
 ネタバレになってしまいますが、この作品のオチは、コンピュータを入れるだけでは効率的な資料調査などというのは不可能であり、それを使いこなせる優秀な職員が必要だ……というものです。
 
 クビになると思ってコンピュータ導入を妨害した女性司書たちは、映画の最後で解雇の予定は全くなく、むしろ人員増強すら提案されているらしいことを知って安堵します。最近、日本維新の会が「司書の仕事は人工知能(AI)で代替可能になる」と主張して学校司書の増強に関する国会決議案提出に反対したことが話題になりましたが、そんなことはあるわけないということはすでに1957年にコメディ映画を作っていた人たちもわかっていたわけです。
 
 『デスク・セット』に出てくる資料室の司書たちが全員女性であることは、伝統的に図書館司書は女性が多い仕事だということを反映しています。アメリカ合衆国のデータだと、1930年頃は司書の92パーセントが女性、2009年頃でも83パーセントが女性です。また、1950年代には司書はほぼ白人の職業で、アフリカ系アメリカ人の司書は2パーセント程度しかいなかったそうなので、資料室が白人女性ばかりなのは時代を反映しているのかもしれません。
 
 また、リチャードの助手としてやってきてEMERAC(明らかにENIACのパロディ)の操作を担当し、結局バニーたちの妨害にあって出ていってしまうワリナーは女性です。ワリナーは気の毒な役どころですが、コンピュータのハードウェアを開発するのが男性で、助手クラスで働いているのが女性というのは非常に時代背景にあった描き方です。たぶん、当時のコンピュータ業界ではこういう性別役割分業がよくあったのでしょう。
 
 『デスク・セット』の注目すべきところは、『ドリーム』のドロシーと違って、女性司書たちが自分たちのポテンシャルに気付いていないらしいフシがあるところです。
 
 ドロシーは先を見越してコンピュータのことを学ぼうとしますが、バニーたちはそういうことに思い至らず、クビに怯えます。バニーくらい優秀で勤勉であれば、レファレンス用のコンピュータ開発に司書として研究協力することもできそうだと思うのですが、自分の仕事が奪われるのではと怯えた司書たちはそういう発想の転換がなかなかできません。
 
 上で述べたように、司書は女性が専門知を使って働ける数少ない分野だったので、バニーたちはどうしても防衛的になってしまうのです。一見、怪しいコンサル風のリチャードのほうが、実は人力検索のポテンシャルをよく理解していて、コンピュータと人間の専門知を組み合わせる意欲があった、ということになります。
 
 史実では、『デスク・セット』が作られた数年後にはドロシー・ヴォーンのような先見の明のある女性たちが自らコンピュータに取り組もうとしはじめていた……というのは、とても興味深く、面白いことだと思います。
 
 『デスク・セット』に出てくる女性たちはみんなとてもカッコよく、自分の仕事に誇りを持っています。しかし、同じ時代を生きていた現実の女性たちはさらに一歩、先を見据えて行動していました。
 
 『ドリーム』が2016年の視点からコンピュータと女性の歴史を描いた作品である一方、『デスク・セット』は1957年の人々がコンピュータをどうとらえていたかがわかる作品です。どちらも女性とSTEMのかかわりを描いた楽しい作品なので、とてもオススメです。

参考文献
Nathan Ensmenger, “Making Programming Masculine,” in Gender Codes: WhyWomen Are Leaving Computing, ed. Thomas Misa (Hoboken: Wiley, 2010), 115–152.
Jennifer S. Light, “When Computers Were Women”, Technology and Culture, 40.3(1999): 455–483.
マーゴット・リー・シェタリー『ドリーム――NASAを支えた名もなき計算手たち』山北めぐみ訳(ハーパーコリンズ・ジャパン、2017)。

初出:wezzy(株式会社サイゾー)

プロフィール
北村紗衣(きたむら・さえ)

北海道士別市出身。東京大学で学士号・修士号取得後、キングズ・カレッジ・ロンドンでPhDを取得。武蔵大学人文学部英語英米文化学科教授。専門はシェイクスピア・舞台芸術史・フェミニスト批評。
twitter:@Cristoforou
ブログ:Commentarius Saevus

著書『お砂糖とスパイスと爆発的な何か 不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門(書肆侃侃房)

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