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【日々の、えりどめ】第16回 スカイレイ ――ある秋の挿話―― (二)

 それから、どうしただろう。わたしは、結局、仕事をしなかったらしい。そういう気分になれなかったのである。

 その日鞄には、岩波文庫の『中勘助随筆集』と新潮文庫の森田たま『もめん随筆』の二冊が入っていた。それらをざっと読んだりした。(中勘助の「秋草」という小品だけが、どういうわけかいまでも忘れがたい。細かくは覚えていないが、美しい人が星降る夜に花を摘みながら染め上げたらしい数々の秋草の汁の沁みついたリボン、そのいくすじかのそれぞれの花の痕跡から、かつての美しい一夜一夜を思い出す、というような話である。)

 しかしそれから本を読むのさえも飽きてしまって、わたしは天井の突き当りの隅に設えてあった小型テレビに目をやった。夕方の報道番組であった。
その頃は、ちょうど新内閣が誕生した頃であった。新しい首相が、就任の感想を「プレイボール直後の緊張感」と野球に例えて述べていた。それから地方のニュースに引き継がれた。コロナ禍の話題が多かった。わたしはアナログ放送を思わせる画質のその懐かしいような映像を、遠くから茫然と眺めていた。

 喫茶店の時計を見ると、本日のプレイボールもすでに宣告されていた時刻であった。しかしわたしはうわの空のまま、依然として「スカイレイ」の座席にいた。
 自分は何をしているのだろう。そう思った。果たして自分は、いつまでこうしているのだろう。そうも思った。

 首位争いをしていた阪神からすれば、負けられない一戦であった。しかしわが球団はもう下位であることは決定していたし、何より相手の先発が青柳晃洋ということもあったので、もちろん消化試合とまではいかないが、それほど緊張感はなかったわけである。
 こんなことを言うと語弊があるが、もっとも、わたしがこの球団を好きな理由と根拠は、勝つことに対しての強さにあるというよりは、負けるということに対しての強さにこそあるのであった。それは決して負けても平気という意味ではない。むしろ負けるということに対しての平然を意味するもの――それは砂浜の足取りにも似た前向きな我慢強さと、星のように静かな明るさである。(言葉を飾りながらも言葉足らずだが、もしも同胞がいらっしゃるのならば、共感していただけるのではないかと思う。)

 もちろんあの九八年の一夜の色めきを夢見ることもあるが、それはそうなる日のためのものであって、そうはならない多くの年は、それはそれで(きっと)わたし(たち)はある程度満足なのである。(色めく――という語彙には、敗北の兆しというような意味合いもあるらしい。今年も桜と共に野球が開幕したが、勝っても負けても、どのみちまた色めき立つらしい一つの季節に向けて、わたしはいまから楽観と悲観が入り混じっているような感情でいる。)

 よって、その日もわたしは、負け惜しみによって喫茶店で暇つぶしをしていたわけではなかったのであった。というのも、「スカイレイ」の扉を開けて戸外へ出たわたしには、ひそかな、星屑ほどの勝算があったのである。
 そしてその静かに煌びやかな勝算は、自分の期待を驚くほど大きく裏切りながら、釣瓶落としの街を浪漫的に染め上げていったのであった。それは嬉しい誤算であった――そこはかとない無気力とノスタルジアによって一度は色味を失くしていた港湾都市であったが、ごく安直な加工だとしてもそのセピア調が全体を一時的に経年させることによって、それによってかえってわたしには真砂町の、関内駅前の、横浜公園周辺の風景が、悉く澄み切って見えたのであった。それら彩りの境界線は多色摺りのように鮮明でありながら、全体としての印象はまさしく秋一色というものであった。

 まるで秋の野原が当たり前のように秋草色であるように。それはさながら季節自体の敗北であり、自然そのものであった。――そのとき、わたしには、横浜旧市庁舎の杳として光を吸い込む黒いガラス窓も、空に洩れるように発光するスタジアムの玲瓏たる巨大照明も、その坩堝から控えめにこだましてくる歓声の波も、かすかに聞こえてくるバッター登場の放送音も、駅前から垣間見える京浜東北線の空色も、その通過音も、改札口から聞こえてくる崎陽軒の売り子の売り声も、並木道の街灯の下に吹き溜まる落ち葉も、路上で政治のビラを配る人も、そのビラをベンチに座って読む人も、その格好も、風采も――わたしにはその全てが――〈秋〉そのものに見えたのであった。

 わたしはどうやらあえて時間に負けてみることで、年中行事さえも忘れかけていたこのコロナの最中において、不意に、そして図らずも、一時の昔馴染みの季節感を取り戻したのであった。
 わたしのこころは、たしかに祝祭的であった。わたしは人生における野球というものを物語るための、匿名的な、ひとりの影であった。
 そしてわたしはまた「スカイレイ」のことを想った。あの物語の色めきを灯篭のように透明になっていた身躯に三度灯しながら、わたしは野球を観るひとりの人間となって横浜公園の入口へ向かった。

 以上、スカイレイ。ひとつの、秋の挿話である。それだけの、秋の小噺である。
 しかし、この短文が野球観戦記として起筆された以上、わたしにはその日の試合結果まで伝える義務があると思う。阪神及び横浜の贔屓筋のためにも。

 わたしが球場についたのは、四回の表であった。
 スコアは、すでに五対〇であった。

 わたしは先輩に遅刻のお詫びをした。先輩は優しく、気にする素振りもなくそれまでの展開を教えてくださった。
 わたしは先輩が買ってくださったノンアルコール・ビールを飲みながら、それからもしばらく戦況談義をした。阪神の新人、佐藤輝明の連続打席無安打が止まったということだけがとりあえずの話の肴であったと記憶するから、そのくらい横浜の好機がなかったらしい。
 先発の坂本裕哉が初回から阪神打線につかまり、四失点。その後ソロホームランを浴びて、早々に交代。打線も沈黙。
 それからとんとんと試合は進み、横浜は五回の裏に二点返すのが精一杯であった。

 ライト側の上段から眺める擂鉢型の球場全体とグラウンドが、その日はやけに可愛らしく色づいて見えたのを覚えている。
 時節柄もあっただろう、始終静かな秋の球場であった。八回裏。一本出れば同点の場面で、楠本泰史がセンターへの大きな当たりを打ち上げたときにだけ、まるで球場が漣のように沸き立ち、それが捕球されたとたんに、その歓声がまた漣のように消えていった。

 試合結果は、五対二であった。
 わたしは球場を出るときに、もう一度、遠くの電光掲示板を眺めた。――そしてそのスコアさえも、わたしにはいかにも色めいて感じられた。
 この上ない、秋の数字だと思った。

【プロフィール】
林家彦三(はやしや・ひこざ)
1990年7月7日福島県生まれ。
早稲田大学ドイツ文学科卒業。
2015年林家正雀に入門。現在、二ツ目。
若手の落語家として日々を送りながら、
文筆活動も続けている。本名は齋藤圭介。

著書『汀日記 若手はなしかの思索ノート』(書肆侃侃房)
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