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【日々の、えりどめ】第15回 スカイレイ ――ある秋の挿話―― (一)

 これは去年の秋の話である。十月五日。時刻は、四時半。

 わたしはその日、関内駅前にいた。お世話になっている先輩から、プロ野球の観戦にお誘いいただいていたのであった。先輩もわたしも、横浜の贔屓であった。
 物心がつく頃には、わたしはこの球団を愛顧するようになっていた。父親も、姉も、兄も、そして親類も、どういうわけかみなこの球団を応援していたからである。テレビゲームでも、自分の使う球団は横浜一択であった。

 あるいは九八年の優勝の記憶が、いまだにわたしの子ども心を抑え込んでいるらしい。
 十月八日。甲子園。阪神戦。九回裏。二死フルカウント。佐々木主浩のフォークボールがストライクゾーンを掠めながらストンと落ちて、谷繁元信のミットに収まる。新庄剛志のバットは空を切る。そのとたん、ベンチから瑠璃色の戦士たちがマウンドめがけて溢れてくる。――その映像は、いまでもたまにわたしの中で点りだす。懐かしいアナログ放送の荒々しくも生々しい微動とともに。
 それからというものこの球団はじゅうぶんな暗闇をくぐり抜けることにもなるから、よってその映像もまた鮮明に感じられるのかもしれない。あの秋の一夜の色づき。当時、わたしは八歳ということになる。

 その日も、阪神戦であった。試合開始は、五時四十五分。
 わたしは、早めに関内駅に着いた。そして作業ができるような場所を探した。というのも、やるべき仕事が溜まっていたのであった。どこかでそれらを終わらせてから球場に向かおうと、朝から画策していたのであった。先輩からはいつでもお好きな時間にと、優しいお言葉をいただいていたので、焦りもなかった。(ドイツ語にはFeierabendbier〈仕事終わりの祝杯〉という表現があるらしいが、そういう感覚。)
 そしてわたしが見つけたのは、旧横浜市庁舎の影に隠れたような路地にある、「スカイレイ」という一軒の古い喫茶店であった。

 旧市庁舎という言葉は、文学的な香りがする言葉であると、わたしは思う。きっといたずらに広げたケルンやミュンヘンの地図でふと発見して、それが欧州の古色の旧市街を想起させる語彙として自分の中に整理されてしまったからだろうと思う。
 その喫茶店は、関内駅前第一ビルという建物の一階にあった。その建築が、実にまた良かった。名の通りの、何の特徴も装飾もない、経年の埃っぽい懐かしさを纏った、灰色の、鉄骨の巣である。それは隣り合う旧市庁舎と比べると、もちろんその村野藤吾設計の名建築には到底及ばないけれども、根本は同じ趣であった。あるいはそれよりももっとチープで、安易で、何の変哲もないふた昔も前のこのオフィスビルの存在感は、かえって身近で愛しいものであった。
 一時代を築いた、関内駅前の、兄と弟――そんな気がした。どうやらこのビルにも、市役所の一部の部署が入居していたようである。

 そして真砂町という地名が、わたしによりざらついた懐旧の念を起こさせた。あるいはその少し前に、川上澄生の『横浜懐古』という版画集をぱらぱらとめくってみた頃であったから、そんな思いもしたのかもしれない。もちろんその本に収録されていたような文明開化期や異国情緒とはまったく違う時代なのだが、それでもじゅうぶんに古き佳き横浜の甃の馬蹄の音が、自動車や革靴の音にも勘違いされてこの足元に伝わりくるようなのであった。

 その喫茶店の内装も、いわゆる純喫茶とも違う、地方都市にあるような、あるいは寂れた港町にでもありそうな、そういう風情であったために、わたしは余計この時の船に深々と搭乗する気分であった。時計印の大きな卓上マッチ箱が各テーブルに置かれて、壁は茶色で煤っぽく、机には往年の独特のつやがあった。「スカイレイ」という名前も意味こそわからなかったが、まさしくそれが相応しいものにさえ感じられた。
 タイムトラベルという言葉は用いたくないが、また他に言い換えようもなかった。小倉トーストとホットコーヒーを注文して、しばらくその空間の歪みに浸っていた。
 店内には、わたしひとりであった。

 そうしているうちに、ひとりの男性が来客して、いつもの席なのだろう、わりと広い店内の中でも、女性ひとりで切り盛りしているらしいカウンター近くの椅子に座った。その男性は、もう七十代だろうか。古いロングコートを着て、茶色のハットをかぶっていた。その様子がまるでさすらいの風来坊のようで、わたしは不意を突かれた気がした。それはわたしが内心ひそかに期待しながら待ち侘びていた、昭和の路地裏からひょっこりやってきたような、ひとりの影であった。(蕎麦屋に伊達風の浪人が飛び込んでくる、落語の「中村仲蔵」の一場面を、わたしは思い出していた。)

 その男性客はカウンターに向かって、ぽつりぽつりと昔ばなしをはじめた。景気の良かった頃の話である。おそらく、もとは市の職員なのだろう。自分が採用した子はかわいくてね、いまでもたまに会うんだよ。むかしは研修費が使い放題でね、いい時代だった。――そのようなことをこぼしていた。それからはずっと沈黙であった。女性は煙草を吹かしながら、静かに相槌を打っていた。

 店内は三人きりであったから、わたしにもその会話に切り込める間はたっぷりとあった。わたしはともすればはじめての店でもマスターなどに例えば店名の由来などを訊ねてしまうような見境のない人間なのだが、しかし、その日はどういうわけか、口籠ってしまった。隣は何をする人ぞ――というような漫ろ心が、胸中に湧いては消えていくのを感じた。あるいはこの自然の会話を、この円環を、崩したくなかった自分がいたのだろうと思う。そして季節の物語を失い、まるで蔑ろになってしまったような当時の自分自身の日常のためにも、何か頼れるような風景を見つけてみたいというような思いも、あったのだろうと思う。

 わたしは息をひそめながら、自分の体を透明にしながら、しばしこの二人の会話を眺めていた。この街角の、ちいさな小説を。在りし日の、「スカイレイ」を。


【プロフィール】
林家彦三(はやしや・ひこざ)
1990年7月7日福島県生まれ。
早稲田大学ドイツ文学科卒業。
2015年林家正雀に入門。現在、二ツ目。
若手の落語家として日々を送りながら、
文筆活動も続けている。本名は齋藤圭介。

著書『汀日記 若手はなしかの思索ノート』(書肆侃侃房)
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