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【試し読み】『韓国映画から見る、激動の韓国近現代史』崔盛旭より(「『キングメーカー 大統領を作った男』選挙の負のレガシーを作った男たち 「カルラチギ」の起源をたどる)

『キングメーカー 大統領を作った男』
選挙の負のレガシーを作った男たち 「カルラチギ」の起源をたどる

◎物語

世の中を変えたい一心で選挙に挑み続けるも、落選続きでなかなか前に進めない政治家キム・ウンボム(ソル・ギョング)のもとに、彼と志を共にしようとする男、ソ・チャンデ(イ・ソンギュン)が現れる。選挙参謀になったチャンデは、正当な戦法を求めるキム・ウンボムの意に反して狡猾な戦略を編み出し、劣勢の状況にもかかわらず次々と当選させていく。

ついに、キム・ウンボムは党を代表して大統領選挙に出馬する候補にまで選出されるが、本格的な選挙戦が始まる中、自宅で予期せぬ爆破事件が発生。容疑者としてソ・チャンデが浮上したことで、2人の関係は揺らぎ始める……。

原題:킹메이커 
製作:2021年(日本公開:2022年) 韓国/カラー/123分
監督・脚本:ピョン・ソンヒョン 撮影:チョ・ヒョンレ 
出演:ソル・ギョング、イ・ソンギュン、ユ・ジェミョン、チョ・ウジン、パク・イナン、イ・ヘヨン、キム・ソンオ、チョン・ベス、ソ・ウンス、ペ・ジョンオク、キム・ジョンス、ユン・ギョンホ


 韓国のニュースや新聞には、「갈라치기(カルラチギ)」という言葉がたびたび登場する。囲碁の「割り打ち(相手が隣り合う隅を占めた時に、相手の勢力圏を分割するために中間に打つ手)」に由来するとされるこの言葉は、相対する集団や主張に亀裂を入れ、分裂を煽り、弱体化させる戦法を指して使われる。

 共産主義に対する弾圧が激しかった時代は、「アカ」のレッテルを貼ることで人々の分断を促し、近年では女性差別撤廃を訴えるフェミニズム運動において、男性と女性が互いに憎み合うよう仕向ける行為がまさに「カルラチギ」である。社会の分裂や格差をもたらす政治的な扇動、誹謗中傷は今や韓国社会の至るところに蔓延し、深刻な社会問題となっているが、カルラチギがもっとも露骨に横行するのは「選挙」である。

 政策や公約を提示し徹底的に議論する姿は、今の韓国ではもはや見られない。相手の弱みをしつこく攻撃し合う(時には弱み自体を作り上げる)ネガティブキャンペーンばかりが飛び交う昨今の選挙は、まさにカルラチギの見本市のようだ。保守派と進歩派が互いに「土着倭寇(保守派の原点は親日派である、という主張から派生した保守派を揶揄する言葉)」と「従北勢力(北朝鮮に対する進歩派の穏健な態度を見下す言葉で、〈アカ〉の代わりにも用いられる)」と罵り合い、「慶尚道(キョンサンド)(=保守派)」と「全羅道(チョルラド)(=進歩派)」のように東西の地域が対立し合うのも、選挙の時期ならではである。

 2022年に行われた大統領選挙では、「이대남(イデナム)(反フェミニズム・保守的傾向の20代男性)」と「이대녀(イデニョ)(進歩的傾向の20代女性)」がそれぞれ支持する候補をめぐって衝突し、カルラチギを繰り広げたことも記憶に新しいが、国土も小さく人口もたいして多くない韓国において、カルラチギの風潮はいつから始まったのだろうか? 韓国現代史を振り返ってみると、その起源は李承晩(イ・スンマン)政権時代に遡ることができるが、本格化したのは、権力維持のためには手段を選ばなかった朴正煕(パク・チョンヒ)軍事独裁政権時代である。中でも、金大中(キム・デジュン)(のちに大統領となるが当時は国会議員)との選挙戦が熾烈にして最悪なものだったことはよく知られている。だが朴正煕側の数々の不正に対し、金大中側がどう立ち向かったかはこれまであまり語られてこなかった。

 そんな中で公開された『キングメーカー 大統領を作った男』は、まさに金大中側の視点から選挙戦での内部事情に迫った作品だ。当時、選挙で落選を繰り返していた金大中がある人物との出会いをきっかけに立て続けに当選を果たし、やがて党の大統領候補に選ばれるまでの様子が描かれている。本作は実在の人物名を使わず、あくまでも、歴史的事実に映画的想像力でフィクションを混ぜた「ファクション(fact+fiction)」と位置付けているが、劇中で描かれることのほとんどが実際に起きた出来事である。

 本作が韓国で公開されたのは、2022年3月9日の大統領選挙投票を2ヶ月後に控え、国中が選挙で熱くなっていた1月だ。選挙に対する国民の関心の高まりに合わせて公開することで興行的に有利になると考えるのは当然だが、カルラチギの応酬に対して一石を投じる目的もあったかもしれない。だが結果は、映画が提起する問題意識を受け止めるコメントが散見された一方で、映画そのものを「アカの扇動映画」だと警戒し、罵倒する声も少なくなかった。現在もなお反共精神が韓国に深く根づいていること、そして想像を遥かに超えてカルラチギが韓国社会に浸透していることに驚きを禁じ得ないが、どうしてここまで反共精神が国民の意識に深く刻み込まれてしまったのだろうか?

 本作の主役は「キム・ウンボム」と「ソ・チャンデ」という二人の男である。先述したように実在の人物の名前ではないが、キム・ウンボムは金大中元大統領をモデルにしている。映画の冒頭で描かれるように、1961年、江原道(カンウォンド)の北部にある麟蹄郡(インジェグン)の補欠選挙で金は初めて当選し、国会議員として政界に足を踏み入れた。そして彼は、朴正煕から全斗煥(チョン・ドファン)、盧泰愚(ノ・テウ)まで30年余り続いていく軍事独裁政権と命をかけて闘い、民主化の実現に多大な貢献をする。日韓の外交問題にまで飛び火した「金大中拉致事件」(1973年)、大統領になって積極的に推し進めた「日本大衆文化開放政策」(1998年)、初の南北首脳会談(2000年)の実現などに関わったこともあり、金は日本でも非常によく知られている大統領だが、1971年の大統領選で朴に肉薄した後、実際に大統領になる1997年まで26年もかかっていることを考えると、苦労の絶えない政治家人生を送ってきたと言えよう。

 そしてもう一人の主役「ソ・チャンデ」こそ、本作の実質的な主人公の「キングメーカー」である。モデルになったのはオム・チャンロクという実在の人物で、それまで「アカ」のレッテルを貼られ、ネガティブキャンペーンの犠牲となって落選が続いていた金のブレーンとして彼を初当選させ、政治家としての土台を作ったとされている。当時、ずる賢い人を指す「狐」を用いて「選挙の狐」と呼ばれたオムは、選挙では奇抜でずば抜けた戦略を打ち出したと同時に、対抗する朴正煕も真っ青になるほどの汚い手を躊躇なく使った。だが金の出世に多大な貢献をしたにもかかわらず、政治の表舞台に出ることなく、資料もろくに残っていないオムに光を当てたことが、この映画のすぐれた点だろう。

 オム・チャンロクは、現在の北朝鮮にあたる咸鏡北道(ハムギョンブクド)出身とされている。高校生の時に朝鮮戦争が勃発、朝鮮人民軍に徴集されるのが嫌で山に入り、反共遊撃隊として活動し、そこで進撃してきた韓国軍に同行して米軍部隊でも働いたが、負傷して除隊した。その後、江原道・麟蹄郡で知人の漢方薬屋の手伝いをしていたところに、金大中の補欠選挙が重なり、不正にまみれた当時の政治を打破しようと訴える理念に共感して近づいていったのが、まさに映画の冒頭で描かれた場面である。

オム・チャンロクの手腕が発揮されるのは、出馬する地域を金自身の出身地、木浦(モッポ)に移して挑んだ1967年の総選挙からだ。その頃、朴正煕独裁政権は国務会議(大統領が主宰する閣僚会議)を木浦で行うなど、全国のどの選挙区よりも木浦に力を注ぎ、カネと力を総動員して不正で卑劣な選挙戦を展開した。独裁に徹底抗戦の姿勢を曲げない金は朴にとって、文字通り「目の上の瘤」だったからだ。朴は金を落選させるため莫大な資金を投入し、情報機関「大韓民国中央情報部(KCIA)」も動員して選挙工作に打って出た。一方の金は、いかに絶体絶命の危機であろうと自分は汚い手を使うべきではない、「正義こそが正しい秩序だ」と主張したが、オムは「正しい目的のためなら手段は不問」と、不正には不正で対抗すべきだと説得した。

 その結果、金陣営は姑息な作戦を開始。朴陣営の共和党が有権者にばらまいた衣服などの贈り物を、金陣営の民主党は共和党に成りすまして有権者から回収し、同様に共和党のフリをして有権者に接近すると、相手に安いタバコを与えた目の前で自分は高価なタバコを吸って有権者たちが共和党に不満を持つように仕向けた。こうした場面は劇中でコミカルに描かれているが、全て実話である。オム・チャンロクが考案したこれらの戦略はマニュアル化されて党員たちに配られ、講演会まで行われたそうだ。映画では描かれなかったが、支持者の家と不支持者の家を見分けるために、共和党がこっそり家々の壁に「○、△、×」とマーキングしていたのを、民主党が書き換えたり、△を消して混乱させたこともあった。

 幼稚にも見えるこれらのやり方が功を奏し共和党の印象は悪化、世論は一気に民主党の金大中に傾き、絶対的に不利だった激しい選挙戦に見事勝利した金は、次の目標を大統領選挙への出馬に定めた。そして1970年、大統領候補を選出する民主党の全党大会では、オムの戦略のもと党員の家を直接訪問して支持を訴える作戦と、党内の力関係を巧みに利用した水面下での交渉の末、少数派で不利な状況だったにもかかわらず、金は見事候補に選出された。だが、ここから二人は決別へと向かうことになる。選挙戦真っ只中の1971年1月、金の自宅で爆破事件が起きたのだ。世論を考えると、大統領候補者の家で起きた爆破は敵対する朴政権にとっても問題である。しかし大々的な捜査の過程で有力な容疑者として浮かび上がったのは、オム・チャンロクであった。

 映画で描かれたように、KCIAの仕業ではないかとの疑いも出て、最終的に金の甥が「真犯人」とされたものの、真相はいまだ謎である。朴陣営は、「選挙の狐」であるオムが世論の同情を買って支持率を上げようとした「自作自演」だと主張した。本来なら金はそれを真っ向から否定するはずだが、それまでのオムのやり方を思うと金陣営も「自作自演」の疑いを消し去ることができなくなってしまったのである。KCIAの取り調べを受けた直後、オムは忽然と姿を消した。その背景にはいくつかの説があるが、かねてからオムの手腕を買っていたKCIAが、莫大な礼金を払って彼を朴正煕側に寝返らせたというのが定説になっている。また、いずれは自分も政治の表舞台へと野心を抱いていたオムが、比例代表の優先順位と幹事長のポストを金大中に要求して拒否され、爆破事件の犯人と疑われたのも重なって寝返ったという説もある。

 いずれにしても、オム・チャンロクを欠いた状態での選挙戦は急速に流れを変えていく。映画の終盤で描かれる、朴正煕の出身地「慶尚道」と、金大中の出身地「全羅道」の「地域間対決」というカルラチギが、一気に選挙戦の前面に現れたのだ。1980年に起こった「光州事件」で、なぜ光州が狙われたのかについて、その背景には光州が属する全羅道への根強い地域差別があったことは、私自身「全羅道の人と付き合ってはいけない」と親に叱られるなど、国民に深く浸透していた事実である。その決定的な要因となったのが、まさに1971年の大統領選挙戦で煽られた「地域間対決」であった。オム・チャンロクが金と決別して陣営から姿を消した直後に、このようなカルラチギが現れたものの、映画にあるようにこれがオムのアイデアだったかどうかは定かではない。だが彼が得意としたカルラチギがこうして使われ、それによって金を「アカ」とするネガティブキャンペーンがさらに膨れ上がることとなったのは紛れもない事実である。

 結局、1971年の大統領選挙では朴正煕が勝利を収めたが、その差が僅差だったことからも、金大中がいかに朴にとって脅威であったかがわかる。朴はその後、「金大中殺し」と呼ばれる弾圧を繰り返し、金は交通事故を装った暗殺未遂や拉致事件に巻き込まれたばかりか、政府転覆を図ったとして死刑宣告まで受けることとなる。一方、朴独裁政権は「死ぬまで大統領」が可能となる「維新憲法」への改憲を実現させるなど、さらに激しい暴走を繰り広げていく。

 このようにオム・チャンロクという存在は、韓国にとって「諸刃の剣」にほかならない。金大中の側に立ち独裁の横暴に立ち向かう剣になったかと思えば、朴正煕側に立つと独裁の横暴を許す剣にもなってしまう。そしてその核にあるのがまさに「カルラチギ」である。ある新聞は韓国におけるカルラチギの蔓延について、「イナゴの額のように小さく狭い国が、なぜこれほどまでに分裂しているのか」と嘆いた。カルラチギという諸刃の剣によって犠牲となるのは、結局は「国民」自身なのである。

(つづきは本編で)

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『韓国映画から見る、激動の韓国近現代史』
歴史のダイナミズム、その光と影
崔盛旭
http://www.kankanbou.com/books/essay/0624

四六判、並製、368ページ
定価:本体2,200円+税
ISBN978-4-86385-624-0 C0074

デザイン 戸塚泰雄(nu)

【著者プロフィール】

崔盛旭(チェ・ソンウク)

1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。明治学院大学、東京工業大学、名古屋大学、武蔵大学、フェリス女学院大学で非常勤講師として、韓国を含む東アジア映画、韓国近現代史、韓国語などを教えている。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)、『韓国女性映画 わたしたちの物語』(河出書房新社)など。日韓の映画を中心に映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

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