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【試し読み】ソン・ウォンピョン「アリアドネーの庭園」(『私のおばあちゃんへ』より)

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ソン・ウォンピョン「アリアドネーの庭園」冒頭部分より(韓国女性文学シリーズ10『私のおばあちゃんへ』橋本智保訳 収録作品)

年老いた女になるつもりはなかった。その日その日を生きているうちに、いまにたどり着いただけだ。ミナは時折、自分が二十代だった頃を思い出してみる。その頃に読んだ小説、映画、ドラマに出てきた元気いっぱいの主人公たちとおなじ年頃だったとき。誰が見てもミナが、ミナの世代が、この世界の主人公だった。今日の翌日は、わくわくする未知の明日だった。ましてや老年なんて、想像もつかなかった。ミナが思い描く遠い未来は、ほどよい騒音が聞こえてくるのどかな海辺と似ていた。そのなかでミナは、若さゆえの生気は失ってはいるものの、相も変わらぬ美しい顔で、誰かと仲睦まじく、しわだらけの手を取り合って、水平線の彼方を見つめている。
だから、いまという日は、自分とはまったく関係のない他人のものでなければならなかった。

自動音声が淡々と健康指標を読みあげた。ビタミンDが不足しているというまとめのアドバイスが終わると、カーテンが開き、強い陽ざしが部屋のなかを埋めた。これらはかつて映画でしか見られなかった未来の風景だが、いまではもうひと昔前の技術だ。突然の光の噴射に、床も、壁も、ひと月に一回洗う白いシーツもまぶしく光る。
ミナはゆっくりと起き上がった。体を動かすたびに、この重くて硬い感じがいつから肉体を支配するようになったのだろうと考えてみるのだが、思い出せない。土に還れと手招きする重力に逆らう節々のあがきがむなしい。そうして今日も彼女は壁の鏡に映った自分の顔と向き合う。こんなになるとは予想もしなかった年老いた顔で、ゼエゼエと息を吐き出す。これほど明るい陽ざしですら、鏡に映ったミナのしわと、弾力のない肌を漂白することはできない。その点では人工の陽ざしもまた、現実に近い鮮鋭度だといえるだろう。
部屋の隅の方からモーツァルトの旋律が朗々と響いた。食事の時間を知らせるチャイムだ。その音楽を聴くと、ミナの体のなかで小さな反応が起きる。その昔、学校で休み時間を知らせるチャイムもこの曲だったような。それとも宅配便がどんと玄関口に置かれたあと、小さなアパートのなかに響き渡ったインターフォンがこれだったか。ウィーンに旅行に行ったとき、シェーンブルン宮殿での夏の音楽会で見た、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団のアンコール舞台もこの曲だったような気がする。その頃は何もかもが飛ぶように速かった。歩くのも、呼吸も、友達に呼ばれてさっと振り返る動作ですらも。いまではすっかり錆びついてしまった。それでも生きているがゆえの本能には勝てない。いまでは学校や宅配やシェーンブルン宮殿などは隅に押しやられ、モーツァルトの旋律が聞こえてくるとミナの口のなかには唾がたまり、空腹が襲ってくる。恐ろしい本能だ。
毛羽立ったスリッパが床をずるずる擦っていく。ミナの足取りは重いが、遅くはない。食事の時間を守らなければご飯は食べられない。それがミナの住んでいるユニットDの原則だ。ユニットA、B、Cとおなじく、ユニットDもまた各地域に点在する。高齢者の人口が全体の絶対多数を占める現代社会において、ユニットはなくてはならない存在だ。ミナの暮らすユニットDの正式名称は「アリアドネーの庭園」だ。それぞれのユニットにはさまざまな名前がつけられており、誰も露骨にA、B、C、Dなどとランク付けをして呼ぶことはなかった。だがその昔、公共賃貸マンションがそうだったように、アリアドネーの庭園と聞いた瞬間、Dランクのイメージが記憶に刻まれるのだった。かつてミナは婚活市場で最上位に属する会員だった。ところがいまは、最下位のFランクをかろうじて免れたユニットDの一員でしかない。いつのまにか歳を取ってしまったように、人生の指標とランクも長い歳月を経てそうなった。
ただ、今日のミナの気分はさほど悪くない。彼女には楽しみにしていることがあるのだ。

年寄りばかりの食事の光景は、決して静かとはいえない。彼らの出す音は、活気ではなく騒音に近かった。まったく、歳を取ると行動に慎みがなくなる。かなりの集中力と自覚がなければ、静かに、敏捷に、動くことができなくなる。体が鈍るだけでなく、自分の出す音すらよく聞こえない。食器がガチャガチャぶつかる音、ご飯をくちゃくちゃ嚙む音、あちこちから体のなかに溜め込んだ痰や唾を吐き出す音が聞こえてくると、食欲もなくなりそうなものなのに、彼らは別に気にもせずに食べ続ける。ユニットAではこういうことはめったになかった。ユニットBに移ったときも少数の人にだけ見られた。ところがこの光景はユニットCから増えはじめ、ユニットDではごくふつうになる。ミナはもう、騒音のなかで毎日のように起こる幼稚な争い、偏った話、つまらない悪口と喧嘩の末に起こる暴力を目撃することに慣れてしまった。
食堂のテーブルの上には、すでに食事のトレーが並べられていた。料理の量によって区切られていたので、男女が自然と分かれた。ミナは一番奥のテーブルの方へいそいそ歩いていった。そこは〝本物の陽ざし〟を浴びることのできる数少ない場所だ。ところが、ミナが腰を下ろそうとしたとき、誰かが向かいの席にどっかり座って、陽ざしを半分ほどかっさらった。
「やかましい年寄りどもだこと……朝っぱらからイヤだねえ」
凛とした声でそう言うのはジユンだ。ジユンは向かい側の年寄りたちをじろりと見やると、薄くてしわだらけの唇をもぐもぐさせながら、彼らが争っているいきさつを詳しく説明しはじめた。彼女は何かと年寄りを悪く言うので、ひょっとしたら自分は若いつもりなのだろうかとミナは思うのだった。
ミナはジユンとおなじ階の、すぐ隣の部屋を使っている。ユニットDに来たばかりの頃は、知り合いができてよかったと思った。ふたりは同い年で、似た者同士だった。ミナがU2が来韓したときにコンサートに行ったと言うと、ジユンはイギリスでオアシスのコンサートに行ったことがあると言った。ふたりはおなじ地域の大学に通い、共通の文化と、最近の世紀末を経験した。そのせいか、ジユンと話しているとミナは心が安らいだ。ところがしばらくして、ミナはジユンがうっとうしくなった。ジユンに自分の好き嫌いや、過去を打ち明けたことも後悔した。共通点はそこまでだった。そのあと、つまり三十代の半ばから、ジユンとミナの人生はまったく異なる軌跡を描きながらどんどん遠くに離れていったかと思うと、あるとき、ここユニットDで奇妙な接点を見つけることになる。
ジユンとの会話はいつも過去ばかりを向いていて、自分のことを隠そうとしない彼女の優越感は想像を絶した。夫との恋愛話、満ち足りた結婚生活、労力を惜しまなかった子どもたちの私教育、不動産と株式によって増やした資産の話など、ミナとはまったく住む世界が違う、つまらない童話のような話だった。
ミナは結婚も出産もしなかった。それでも自負心を持って、まじめに会社勤めをした。会社はソウルの中心街にあったが、ワンルームマンションから始まったミナの住居はしだいにソウルから遠ざかり、定年まであとわずかという年、ようやく首都圏に小さな古いマンションを買った。早めに結婚し、借金をしてでも中心街に家を買っていたら、何かが違っていただろうか。ミナは歩めなかった人生の方が正しかったのではないかと思い、悔やんだ。ジユンに会えてよかったのは、人生に正解などないということがわかったからだ。ジユンには悪いけど、それでずいぶんほっとさせられた。誰もがうらやましがるような、そうありたいと願う人生を送ったジユンも、結局はユニットDにいるではないか。
両親が亡くなってから、ミナはひとりしかいないきょうだいとも疎遠になり、家族がいないも同然だった。定年退職後は小遣い稼ぎをして生計を維持したが、ミナの小さなマンションから支給される年金[高齢者が所有する住宅を担保に、国が一定の収入(年金)を保証する制度]は長い老後を保証するのに十分でなかった。ミナは自らの足でユニットに入った。初めはもちろんユニットAだった。ユニットAでの生活は快適で、入居者たちは最上位の富裕層とまではいかなくても、上品で教養のある人たちだった。政府から補助金も下りたが、自己負担も大きかった。ミナはせいぜいユニットBが人生の終着地になるだろうと思っていた。思った以上に長生きしてユニットDにまで来ることになるとは、まったく予想もしていなかった。そういう意味ではジユンの方がミナよりももっと絶望を味わっているはずだ。それでもジユンと一緒にいると、ミナは耐えがたい感情に襲われることが多かった。自分なんかに優越感を抱くジユンが不憫でもあり、うざったくもあった。

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Woman's Best 13 韓国女性文学シリーズ10​
『私のおばあちゃんへ』나의 할머니에게​

ユン・ソンヒ、ペク・スリン、カン・ファギル、ソン・ボミ、チェ・ウンミ、ソン・ウォンピョン 著​
橋本智保 訳

四六、並製、192ページ
定価:本体1,600円+税
ISBN978-4-86385-483-3 C0097

装幀 成原亜美(成原デザイン事務所)
装画 田中千智

【目次】
きのう見た夢 ユン・ソンヒ
黒糖キャンディー ペク・スリン
サンベッド カン・ファギル
偉大なる遺産 ソン・ボミ
十一月旅行 チェ・ウンミ
アリアドネーの庭園 ソン・ウォンピョン
訳者あとがき

<あらすじ>
いつかおばあちゃんになることを夢見ていたのに「きのう見た夢」(ユン・ソンヒ)。
残されたフランスでの日記を手掛かりに孫が想像で描いたおばあちゃんの最後の恋「黒糖キャンディー」(ペク・スリン『惨憺たる光』)。

認知症になったおばあちゃんが何度も繰り返し伝えたのはトラブルの多い孫の未来のためだった「サンベッド」(カン・ファギル『別の人』)。

厳しかったおばあちゃんから遺された屋敷を処分するために久しぶりに足を運んだ私は、取り返しのつかない過去に引き戻される「偉大なる遺産」(ソン・ボミ『ヒョンナムオッパヘ』収録「異邦人」)。

女三世代で行ったテンプルステイで母の意外な一面を知り、母にだんだんと似てくる自分に気づく、ある穏やかな秋の日「十一月旅行」(チェ・ウンミ『第九の波』)。

ひとりで堅実に生きてきたはずが、いつの間にか老人だけのユニットに暮らす羽目に。二十一世紀後半の近未来を描くディストピア小説「アリアドネーの庭園」(ソン・ウォンピョン『アーモンド』『三十の反撃』)。

ミステリー、SF、ロマンス、家族ドラマなど、老いを描いた6編
2021年9月上旬全国書店にて発売。

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