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【お砂糖とスパイスと爆発的な何か】クリスマス物語をジェンダー視点で読むと…O・ヘンリー「賢者の贈り物」(北村紗衣)

『 オー・ヘンリー傑作集 1 賢者の贈り物 』(KADOKAWA)

 O・ヘンリーの「賢者の贈り物」は1905年に初めて刊行された短編で、クリスマスの物語としてとてもよく知られています。短くてあまり英語も難しくないので、学校で教材として読んだという人もいるかもしれません。
 
 この作品は貧しい若夫婦が主人公で、お互いにクリスマスのプレゼントをするため必死にお金を作ろうとするというお話です。妻であるデラは自慢の髪を売って夫であるジムの金時計の鎖を買いますが、一方でジムはなんと金時計を売ってデラの髪に飾る櫛を買っていました。結局、どちらも用途の無いプレゼントを買ってしまったことになりますが、お互いを思いやる2人の愛は素晴らしい……というのがこのお話の結末です。
 
 「賢者の贈り物」は心温まるクリスマスのいい話とされています。しかしながら、私は子どもの頃にこの作品を読んで以来、なんとなくひっかかるものを感じていました。今回の記事では、このひっかかりをジェンダーの観点から読み解いていきたいと思います。

◆非対称な贈り物

 私が子どもの時にこの話を読んで最初に疑問に思ったのは、ジムは家宝の大事な金時計を売ってしまい、おそらく品物は手元に戻ってこないのに、なんでいつかは伸びるデラの髪が同じくらい価値のあるものとして描かれているんだろう?ということです。

 ジムははっきり時計を「売ってしまった」(原著p. 11)と言っており、質入れなど後で取り戻せるかもしれないようなやり方でお金を作ったわけではありません。大人になった今考えると、当時の私は贈り物の価値が非対称なのになんとなく違和感を抱いていたのですが、それをうまく言語化できなかったのだろうと思います。
 
 私はかなり髪が長いのですが、短い状態からでも2~3年で髪は伸びます。デラの髪は光沢のある茶色で、切る前の時点では「膝下まである」(原著p. 8)くらい長かったということです(正直、そこまで長いとかなり日常生活で煩わしいこともありそうだと思います。私も寝る時に枕に髪が巻き込まれてしまったり、ラーメンを食べる時にほつれた髪がどんぶりに入ってしまったりすることがあります)。そこまで伸ばすのは相当に大変でわりと挫折する人もいると思うので、髪を切ってしまったデラがジムの前で言う「私の髪ってすごく早く伸びるの、ジム!」(原著p. 10)という強がりは実は本当なのかもしれません。おそらくデラの髪は飾り櫛をつけられるくらいまでなら数年で回復すると思います。すぐ買い戻さないと二度と戻ってこないかもしれないジムの時計とはだいぶ違います。
 
 この作品はデラの髪をジムの金時計と等価のものとして描いています。「ジェイムズ・ディリンガム・ヤング夫妻が両人とも非常に誇りに思っている持ち物がふたつあった」(原著p. 8)という説明で、ジムが祖父、父と代々受け継いだ金時計と、デラの髪の毛が並べて語られています。デラは、きちんとした鎖を金時計につけられればジムは「どんな人たちと一緒にいる時でも立派な様子で時間を確かめることができる」(原著p. 9)だろうと考えていますが、ジムの金時計は一人前の大人の男性が人前で見せびらかすことのできるある種の男性らしさの象徴として描かれています。一方でデラの髪の毛も同様に人前で見せることのできる女性らしさの象徴です。
 
 ここにはかなりはっきりしたジェンダーによる差異が見受けられます。ジムの男性らしさを示しているのは時計という売り買いできる財産ですが、デラの場合は髪の毛という容姿が女性らしさの決め手となっているのです。
 
 作品の冒頭ではデラがお店で代金を値切って貯めたわずかなお金を前に泣く様子が描写されています(原著p. 7)。基本的にデラは主婦で、外で仕事をしていないようです。経済的に自立しておらず、自分の自由になるお金もないし、世帯収入が低くてヤング夫妻も困窮気味ということになるのでしょう。お金を稼ぐ手段のないデラにとっては、ジムと違ってアイデンティティは財産ではなく、生まれ持った美しさ、つまり豊かな髪の毛ということになります。女性であるデラは自分の仕事や稼ぎで得た成果ではなく、容姿を誇りの源泉とせざるを得ないのです。

◆デラの心配

 さらにデラは、髪を切ったことで夫のジムが自分の容姿を低く評価するのではないかということをひどく心配しています。20世紀初めくらいまでの西洋の女性は髪が長いのがふつうではありましたが、女優や芸術家、ファッションにうるさいお洒落な女性などは髪を短くすることもありました。
 
 たとえば1892年にアーサー・コナン・ドイルが刊行した「ぶな屋敷」では、シャーロック・ホームズの依頼人であるヴァイオレット・ハンターが雇い主に髪を短くするよう言われたという場面があります。長い髪が自慢のヴァイオレットは、迷った末、短髪の女性も今はわりといるからと思って仕事を受けるのですが、どうも髪を切った女性もこの当時からある程度いたらしいことがわかります。デラの短髪は少し目立つかもしれませんが、そこまで奇抜というわけではなかったはずです。
 
 デラは短くした髪をこてでカールさせており、「ジムがよく見もせずに私を殺すなんてことはないにしても(中略) コニーアイランドのコーラスガールみたいに見えるとかなんとか言うかも」(原著p. 9)と考えています。これは女優やショーガールなどが髪を短くしていたことへの言及で、コニーアイランドが庶民向けの行楽地であることを考えると、安っぽく見えるということを言いたいのだと思われます(デラにはちょっとコーラスガールへの偏見があるようです)。その後もデラは「神様お願いします。私がまだ可愛いとジムに思わせてください」(原著p. 9)とお祈りし、ジムが帰ってくると必死で言い訳をします。
 
 ジムは結局、デラが髪を切った程度でとやかく言うような男性では全くないことがわかり、デラの心配は杞憂に終わります。ここで注目すべきなのは、デラが自分は美しく髪が豊かなままでないと夫に好いてもらえないのではないか、と大きな不安を抱えていたということです。デラが髪を切ったのはお金を作るという仕方ない理由があってのことですし、髪型を変えた程度で怒るような夫がいるとしたら、そもそも夫婦関係に問題があるはずです。しかしながらデラは冗談であっても「ジムがよく見もせずに私を殺すなんてことはないにしても」などとやたら心配をしています(※1)。デラは髪の毛を切っただけで女性としてのアイデンティティが揺らぎ、夫の愛を失うのではと怯えてしまうくらい自信がありません。

※1 追記:読者からのご指摘を受け、 以下のように修正しました。修正前:しかしながらデラは冗談であっても「もしジムが私を殺さないとしても」などとやたら心配をしています 修正後: しかしながらデラは冗談であっても「ジムがよく見もせずに私を殺すなんてことはないにしても」などとやたら心配をしています。

◆髪に意味を持たせすぎ

 全体的に「賢者の贈り物」は、やたらと女性の髪の毛に大きな価値を置いていると言えます。伸びて回復するはずの女性の髪の毛が、もう戻ってこない金時計と同じくらい価値のある財産として描かれています。さらに髪の毛は女性の自信の根源のように描かれており、デラは髪を切っただけで夫の愛を失うのではと自信をなくしてしまいます。
 
 髪の毛が自慢だという女性は実際にいるでしょうし、そうした女性が貧困
ゆえに髪の毛を売らないといけないとか、病気などで髪を切らないといけないいうことになれば大変つらいでしょう。そういう感情は尊重しないといけませんし、この批評はそうした現実に起きる出来事を否定するものではありません。
 
 しかしながらフィクションの作品として見た時、「賢者の贈り物」の語り口は女性の髪の毛にある種の財産としての過剰な価値を付与しすぎていると言えるでしょう。女性は髪の長さや豊かさといった容姿だけで評価される存在ではありませんが、本作においてデラはやたらと自分の髪にこだわっていて、そうした態度が女性らしさとして肯定されています。クリスマスのハートウォーミングなお話にも意外とジェンダーに基づくバイアスが隠れているものなのです。

参考文献
※「賢者の贈り物」原著からの引用は全てO. Henry, The Complete Works of O. Henry,vol. 1 (Doubleday, 1953)のpp. 7–11に収録されている‘The Gift of the Magi’に拠ります。日本語訳はオー・ヘンリー『オー・ヘンリー傑作集1――賢者の贈り物』越前敏弥訳、角川文庫、pp. 21–33に収録されている「賢者の贈り物」を参考にした拙訳です。この他アーサー・コナン・ドイル『シャーロック・ホームズ全集』第11巻、斎藤重信、高田寛訳(東京図書、1982)も参照しています。

初出:wezzy(株式会社サイゾー)

プロフィール
北村紗衣(きたむら・さえ)

北海道士別市出身。東京大学で学士号・修士号取得後、キングズ・カレッジ・ロンドンでPhDを取得。武蔵大学人文学部英語英米文化学科教授。専門はシェイクスピア・舞台芸術史・フェミニスト批評。
twitter:@Cristoforou
ブログ:Commentarius Saevus

著書『お砂糖とスパイスと爆発的な何か 不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門(書肆侃侃房)

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