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【お砂糖とスパイスと爆発的な何か】夫がカルトを始めたら?~キャサリン・ヘップバーン&スペンサー・トレイシーの異色作『火の女』(北村紗衣)

キャサリーン・ヘップバーン( wikipedia より)

 7月10日の安倍晋三元首相殺害事件以来、旧統一教会(現世界平和統一家庭連合)が連日、ニュースを騒がせています。
 
 旧統一教会のみならず、神道政治連盟や天照皇大神宮教(私とそっくりな名前の教祖が始めたところがビックリですが、親戚ではありません)など、右派的な宗教団体と政治のつながりが注目を浴びています(これは事件以前から、文化人類学者である山口智美モンタナ州立大学准教授をはじめとして、さまざまな専門家が指摘していたことです)。カルトが日本のマスコミでこれほど注目を浴びるのは1995年にオウム真理教メンバーが起こした地下鉄サリン事件以来のことかもしれません。
 
 カルトに関する映画はたくさん作られており、ポール・トーマス・アンダーソン監督が2012年に作った『ザ・マスター』や、日本でもヒットしたアリ・アスター監督による2019年の『ミッドサマー』など、著名な作品もたくさんあります。しかしながら今回の記事では、知名度は低いですが21世紀におけるカルトと政治の関係を予告するような内容と言えるジョージ・キューカー監督の『火の女』(1942、Keeper of the Flame)をとりあげ、ジェンダー
の視点から見ていきたいと思います。
 
 本作はアメリカ映画のベストカップルと言われたキャサリン・ヘップバーンとスペンサー・トレイシーの共演作です(2人の共演作については既にこの連載で『デスク・セット』を取り上げています)。残念ながら日本ではソフト化されていません。あまり知られていない作品なので、ネタバレを盛り込みつつ、分析をしていきたいと思います。

◆ナショナルヒーローの突然死

 映画はアメリカで国民的な人気を誇る第一次世界大戦の英雄ロバート・フォレストが、雨の日に車で通りかかった橋の崩落により、突然亡くなるところから始まります。
 
 ヨーロッパでファシズムと戦争に関する報道をしてアメリカに帰ってきたばかりのスティーヴン・オマリー(スペンサー・トレイシー)はロバートを尊敬していたため、業績や人柄についての本格的な取材に着手します。スティーヴンは亡きロバートの妻クリスティン(キャサリン・ヘップバーン)に取材を試みますが、クリスティンはどうも隠し事があるような様子で、スティーヴンはフォレスト家の身辺に怪しいものを感じます。スティーヴンはクリスティンと、どうも振る舞いが不審ないとこのジェフリー(フォレスト・タッカー)が共謀していたのではないかと疑います。
 
 ここまでのあらすじからすると、一体どこがカルトの話なのか……と思うでしょうが、終盤に物語は大転換します。実はロバートはファシズムに傾倒しており、アメリカの伝統的な価値観を装ってこっそりファシズムを広めるべく、自分に対する個人崇拝を利用して子どもたちのクラブを作ったり、アメリカ人の間で分断を煽るような政治工作を画策したりしていました。
 
 ジェフリーの振る舞いは、実は長年の恋人がロバートの下で仕事をするようになってから、ロバートに対する個人崇拝のあまり結婚の約束そっちのけで働き、ついには心身を病んでしまったことが原因でした。夫が企む陰謀に気付いたクリスティンは、事故の日に橋に問題があるのを知っていましたが、あえて夫に伝えませんでした。ここで夫が事故死すれば、ファシズムカルトの伸長を防げられると思ったからです。しかしながらクリスティンは、ロバートの忠実な部下でもみ消しをはかるカーンドン(リチャード・ウォーフ)に殺されてしまいます。
 
 カルトというと宗教を思い浮かべる人も多いと思いますが、政治や思想で結びついた集団もカルトになることがあります。元左翼政治カルト集団のメンバーで、現在はカルト研究の専門家であるヤンヤ・ラリッチ博士が説明しているように、カルトはカリスマ的リーダーと狂信的フォロワーによって生まれます。ほとんどの人は自分がカルトに入っているということに気付きませんし、世の中の役に立ちたいとか、自分を向上させたいとか、悩みを解決したいというようなどこにでもある理由で知らないうちにカルトに近づいていきます。
 
 『火の女』を最後まで見ると、前半部分がいろいろ終盤の急展開の準備をしていたことがわかります。
 
 周囲の人々がロバートに対して抱いていた敬意は異常で、とくに子どもたちはロバートを神のようにあがめています。これはカリスマ的リーダーが自分の影響力を使いやすい年少者をとくにターゲットとしていたことを示唆するものです。ジェフリーの振る舞いがおかしかったのも、カルトのせいで自分の家庭生活がめちゃめちゃにされそうだという不安に押しひしがれていたからということで説明がつきます。
 
 カルトはメンバーをそれまでの家族や友人から引き離そうとする傾向がありますが、ロバートの周りに集まる人々が過去の人間関係を軽視するようになるのはカルトらしい特徴です。『火の女』は、「カルト」という言葉を使わずに政治的カルトの成立と浸透を描いた恐ろしい映画と言えます。

◆ファシズムカルトと女性抑圧

 この映画はファシズムと女性に対する抑圧を密接につながるものとして描いている点が特徴的です。ロバートはさまざまな報道機関にこっそり手を回し、ユダヤ人や黒人に対する差別や、地方の住民と都市住民の間にある反感、労働組合に対する敵意などを煽るような記事を出して社会を混乱させようと計画していました。
 
 一方でロバートはどんどん女性差別的になっていき、男の子を産めなかったクリスティンに対する軽蔑を露わにするようになります。クリスティンは「ドイツの女性たちが直面しているものがわかった」と言っていますが、これはこの映画の公開当時、ドイツを覆っていたナチズムの性差別的側面を指摘する台詞です。そんなロバートを恐れたクリスティンが、夫の支配と悲惨な結婚生活から逃れることに決めたのが、橋の一件だったというわけです。

 しかしながら、この作品のメインの主人公はクリスティンではなくスティーヴンです。ヨーロッパでファシズムの伸長を目の当たりにしてきたスティーヴンは、ロバートをヨーロッパで破壊されつつある「立派で正直なもの」(things that were decent and honest)の象徴として尊敬していました。ところがそれは全くの思い込みで、スティーヴンはヨーロッパでそれと気付かずファシズムに傾倒していった「立派で正直」な人々と同様、騙されていたのです。
 
 それをクリスティンから教えられたスティーヴンは大きなショックを受けるものの、事実を受け止めます。ただ、クリスティンに惹かれ始めていたスティーヴンは、ロバートに対する個人崇拝をそのまま亡くなったクリスティンにスライドさせ、クリスティンを救国の英雄として称える文章を公刊します。
 
 『火の女』はさまざまな点から男らしさを再考する作品だと言えます。
男性であるスティーヴンがやたらとクリスティンに積極的に働きかけるあたりは同じキューカー監督の『ガス燈』(1944)にも似ていますが、女性が明かした真実により男性の思い込みが崩壊してしまうという点で、『火の女』は『ガス燈』よりも1940年代アメリカにおける男らしさの問題に鋭く切り込んでいると言えるでしょう。本作において、ファシズムやカルトは現代風に言うならば「有害な男らしさ」の具現のように描かれています。一方でスティーヴンが象徴する、正直すぎるがゆえに自分を過信してしまう傾向も、ある種の男らしさの表れとして見ることができます。ファシズムに対する警戒を強めつつ、個人崇拝はやめることのできないスティーヴンを描く結末は、クリスティンの勇気を称える一方、スティーヴンの単純さを皮肉な形で示唆しているとも言えるかもしれません。

◆時代性と現代性

 『火の女』は時代に強く根ざした作品です。『カサブランカ』(1942)と同年に作られていることからもわかるように、第二次世界大戦中の反ファシズムプロパガンダ映画です。『カサブランカ』に比べるとペース配分などに難がありますが、ファシズムと性差別の結びつきを指摘し、アメリカ国内で「アメリカ的伝統」を装った形でファシズムが伸長する可能性を示唆している点では大胆で革新的だったと言えるでしょう。
 
 さらにこの映画が面白いのは、21世紀にも通用するような政治的問題を扱っていることです。私は高校生の時にはじめてWOWOW放送でこの映画を見て、ずいぶん荒唐無稽な話だ……と思ったのですが、今見ると、「アメリカ的伝統」を装った形で性差別や人種差別がはびこることを予想していた点ではトランプ政権を予想するような作品だと言えるでしょう。
 
 また、さすがにこの映画はあまりにも陰謀論的なのでちょっと現状からはかけ離れていますが、統一教会をはじめとする宗教右派が草の根運動を通じて「日本の伝統」を装いつつさまざまなレベルで政治に影響を及ぼそうとしていたことが注目されている昨今の日本の政治情勢を考えるにあたっても刺激的な映画です。日本語のソフトは出ていませんが、配信などで是非、見られるようになってほしいものです。

参考文献
Robert F. Kilker, ‘Melodramatic Masculinity: Object Relations Theory in GeorgeCukor’s Keeper of the Flame (1942)’, Journal of Popular Film and Television, 48.1(2020), 49–60.
Kevin Starr, Embattled Dreams: California in War and Peace, 1940–1950, OxfordUniversity Press, 2002.
上野千鶴子他編『バックラッシュ!――なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?』双風舎、2006。
塚田穂高編『徹底検証日本の右傾化』筑摩書房、2017。山口智美、斉藤正美、荻上チキ『社会運動の戸惑い――フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』勁草書房、2012。

初出:wezzy(株式会社サイゾー)

プロフィール
北村紗衣(きたむら・さえ)

北海道士別市出身。東京大学で学士号・修士号取得後、キングズ・カレッジ・ロンドンでPhDを取得。武蔵大学人文学部英語英米文化学科教授。専門はシェイクスピア・舞台芸術史・フェミニスト批評。
twitter:@Cristoforou
ブログ:Commentarius Saevus

著書『お砂糖とスパイスと爆発的な何か 不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門(書肆侃侃房)


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