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【日々の、えりどめ】第11回 富津の魚の像

 ふとカフェで知り合った方に、富津市まで車で連れて行ってもらったことがある。

 この方は快闊な方で、いつも笑顔で、親切で、この辺りの地域の顔も広い、人気者である。もともとは会社を経営するほどの凄腕だったらしいが、いまは退職なされていて、それでも人の笑顔を見るのが何よりの楽しみという性格だから地元の老後施設で運転手のアルバイトをしているという、そういう奇特なお方である。男性で、年齢は六十代後半。

 わたしがこのお方に富津へのドライブを誘われたのは、はじめてお会いしたその日であった。それを即座に受け入れたわたしもわたしで、見境がない。

 当日はこのお父さんよりも年上の妙齢のお姉さん方と、四人連れであった。こういう最中だから遠出もできない。しかし富津市くらいならばすぐに行って帰って来られるから、静かに海でも見て帰ってきましょうという、そういう粋な計らいであった。
 富津市は、そのお父さんの故郷なのである。これからは軽井沢や鎌倉よりも、富津こそいちばんの別荘地になるでしょうと誇らし気に仰っていた。

 懐かしい昭和歌謡を年代順に流しながら、車内でも運転手は始終愉快に、様々なお話をしてくださった。二人のお姉さんも、まるで少女のように喜んでいた。わたしは一応は芸人だけれども、これほどサーヴィス精神のあるお方にお会いしたことは、それほどない。わたしももちろん楽しかったが、それよりも自分自身が恥ずかしくなるような気がした。

 わたしは一緒になって笑いながらも、たまに自分の素地が垣間見える様な気がして、それが嫌だったのである。もちろんその意識の中には、若手特有の恐縮のようなものもあった。

 芸人に向いている人は、こういう人だと思った。そのお父さんが、たまに爽やかな翳りのある横顔を見せる点においても。――人に歴史ありというけれど、まさしくそのような時代の風の音を感じながら、わたしは心地よく微動するトヨタクラウンの車窓から見える近代都市を時折眺めていた。
 その風景は、そのお父さんの往年の物語のためか、あるいは地理的な俯瞰を感じさせる東京湾付近の風土の影響か、やけに新鮮に、そしてやや感傷的に見えた。

 金谷港の海沿いに、お土産が買えたり、軽食を出したりしているガラス張りの吹き抜けの建物があって、そこで四人で珈琲を飲んだ。夕日の名所のようで、ちょうど日の暮れ方であった。それは頭の中の日々のいざこざを寸時忘却させるくらい、綺麗であった。

 窓際の席であった。防波堤はすぐ目の前にあって、そこにひとつのモニュメントがあった。それは大きな鰭を持つ魚の像のようなもので、その魚を空中に持ち上げている鉄製の棒には方位を示すN極S極があしらわれていて、いかにも港風であった。魚の像は海を見ていて、しかもその目はしっかりと見開かれていた。わたしはこの像が、どうも気にかかった。

 わたしは、どうも表現をしたがる。言葉にしたがる。それはたしかに気楽なひとときではあったが、わたしは心のどこかで、表現を、探していたのであった。
 それはわたしからすれば年齢が倍以上の方々との旅路ということもあったかもしれないが、しかし、わたしはいつでもそうなのである。打ち解けられないのではない。打ち解けたうえで、自分の中でつねにわたしがわたしに耳打ちするのである。
 こういう性格は、自身の煮え切らない現状の起因でもあるだろうと思う。何かをやりながら、何かを考えている。それは手招きをする。音を立てる。そして文字を呼ぶ。そしてとうとう、こうして記録されるにも至る。

 そんなことを考えている間も、その魚の像はじっと入日を眺めていた。錆びつきながら――という表現もおかしいが、その目は涙も流せないのに、むしろ一見して、その魚の口角は上がっているようにさえ見える造りであったのにもかかわらず、わたしにはそれが泣いているようにさえ見えたのは、夕影の演出があったからだろうか。あるいは、謙遜。――それがもっとも相応しい言葉だと思った。

 歌は世に連れ世は歌に連れ。行きの車中から続く昭和歌謡史が、時代が下って少しずつ耳なじみのある歌になってきた帰りの車の中でも、わたしはこの魚の像のことばかり考えていた。車内には相変わらず笑いが絶えなかった。
 その日は満月であった。あまりにも明るい満月だったので、わたしにはそれが人生行路の照らしながら車を先導する松明のようにも感じた。旅は道連れ。そしてささやかな歓談はより大きな円居となって夜の中をすべっていく。それはまさしく人間風景のももっとも肯定すべき、一枚の影絵であった。わたしはその絵の只中にいながら、そう感じた。

 しかしそれよりも、やはりわたしはこのいまもじっと動かず海を眺めているだろう、そしてこれからも眺め続けるだろう、あの魚の像のことを思っていた。それしかできないがそれだけは間違いなく誠実にやり続けるであろう、ひとつの存在のことを。

 遠くなっていく、その憧れを。そして愚直を。


【プロフィール】
林家彦三(はやしや・ひこざ)
平成2年7月7日。福島県生まれ。
早稲田大学ドイツ文学科卒業。
二ツ目の若手噺家。本名は齋藤圭介。

在学中に同人誌『新奇蹟』を創刊。
「案山子」で、第一回文芸思潮新人賞佳作。

若手の落語家として日々を送りながら、文芸表現の活動も続けている。

主な著作
『猫橋』(ぶなのもり)2021年
『言葉の砌』(虹色社)2021年

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