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【お砂糖とスパイスと爆発的な何か】知られざるプレコード映画の世界(6)ヒロインが他人の結婚をぶち壊し、人を殺しかける『赤毛の女』(RedHeaded Woman)(北村紗衣)

「Promotional Photo of Jean Harlow in Red-Headed (1932)」 wikipedia commons より

 英語圏では、赤毛は偏見や差別の対象になることがあります。イエスを裏切ったイスカリオテのユダが赤毛だったなどという伝承があり、またヴァイキングが赤毛だったという伝承もあるので、ユダヤ系の人や、ヴァイキングの血を引くと言われているアイルランド・スコットランド系の人々に対する偏見とも結びついていました。赤毛の人はカッとなりやすい暴力的な性格だとか、性欲旺盛だというような根拠の無いステレオタイプも存在します。
 
 白黒映画の時代に髪の色なんてわからないだろう……と思うかもしれませんが、プレコード映画でも髪の色はけっこう注目される要素でした。当時の大スターでセックスシンボルと言われたジーン・ハーロウはプラチナ・ブロンドと呼ばれる白っぽい金髪が売りでした(ハーロウの髪はもともとブロンドでしたがプラチナ・ブロンドではなく、脱色をしていたそうです)。ハーロウはそのものずばり『プラチナ・ブロンド』(1931)というプレコード映画にも出演しています。
 
 そんなハーロウが赤毛のかつらをつけて出演したプレコード映画の問題作が『赤毛の女』(Red Headed Woman、1932)です。

◆転んでもただでは起きないヒロイン

 『赤毛の女』は、理容椅子に横になったジーン・ハーロウ演じるヒロインのリルが「ま、紳士は金髪が好きなんでしょ?」というところから始まります。美容師(あとで親友のサリーだとわかります)に言っているという設定ですが、脚本を書いたのが『紳士は金髪がお好き』(1925、マリリン・モンローとジェーン・ラッセル主演の映画版が有名です)の著者アニタ・ルースなので、それに関する楽屋落ちジョークと言えるでしょう。美容のケアも終わってキラキラと自信がありそうなリルに、金髪に負ける気はありません。貧しい生まれですが、お金持ちの男をつかまえて出世する気満々です。
 
 リルは会社のボスであるビル(チェスター・モリス)に狙いを定めます。相手が既婚者であるにもかかわらず、妻の留守中にリルは強引にビルに迫ります。ビルは妻を愛していると言ってリルに抗いますが、ビルに夢中であるふりをするリルの手管に屈してしまいます。ところが不倫が妻アイリーン(リーラ・ハイアムズ)にバレて、ビルは迷いますが結局離婚となります。リルはあの手この手でビルを誘惑し、結婚に持ち込みます。
 
 ところが、貧しい生まれで他人の家庭を破壊した女という扱いのリルは社交界に入れません。出世のためにビルと結婚したのですから、これでは目的が達成できません。リルは炭鉱王である大物チャーリー(ヘンリー・スティーヴンソン)を誘惑し、自宅を訪問させます。チャーリーの顔を立てるため、リルの家で行われたパーティに社交界のお歴々がやっていきますが、このお客たちは早めにパーティを辞してアイリーンを訪問します。このことをサリー(ユーナ・マーケル)から知らされたリルは人前で怒りをぶちまけ、しばらくニューヨークに行くことにします。
 
 ニューヨークでリルはチャーリーにこれまた強引に迫り、愛人の座におさまります。ところがリルはフランス人の運転手のアルバート(シャルル・ボワイエ)ともデキてしまいます。チャーリーの妻になるつもりだったリルですが、三股をかけていたことが夫のビルと愛人のチャーリー両方にバレ、離婚となります。アイリーンとよりを戻したビルをリルはカッとなって銃で撃ちます。ところがビルはスキャンダルを怖れてリルを訴えません。2年後、パリに逃げたリルは年上のフランス人の男と一緒になり、相変わらずアルバートを運転手として抱えているところを目撃されます。
 
 この映画の面白さは、ヒロインがかなり悪いことをしているのにほとんど罰を受けず、成長もしないところにあります。リルは不倫の末に夫を殺しかけるのですが、刑務所にも入らなければお金に困ることもなく、最後はパリで悠々自適の生活をしています。社交界に入るという目的を達することはできませんでしたが、金持ちのパトロンも恋人もおり、全く不幸とは言えません。前に紹介した『紅唇罪あり』では、ヒロインのリリーは最後に愛を見つけますが、この映画のリルはそういう精神的な成長も一切、経験しません。最初から最後まで自分の欲望のためだけに生きる女性なのです。

◆『赤毛の女』と『紅唇罪あり』

 『赤毛の女』のリルは、プレコード映画によく見られる「ゴールド・ディガー」というキャラクターです。「ゴールド・ディガー」というのはお金目当てに男性と付き合う人のことです。女性に対して使われることが多く、だいたいはミソジニーを含んだ言葉です。ところが、大恐慌の時代にはこうした「ゴールド・ディガー」は、ある意味ではお客さんの共感を呼ぶことができる人物像でした。お金持ちの男を狙って努力する貧しい女性たちは、不況の時代の不平等な階級秩序をひっくり返す、面白くてパワフルなキャラクターと見なされたのです。
 
 リルは典型的なゴールド・ディガーなのですが、ポイントは全然悲壮感がないことです。『赤毛の女』のリルは、後発の作品である『紅唇罪あり』のリリーに似ていますが、決定的に違うのはそのあっけらかんとした明るさです。リリーは虐待を受けていた複雑で悲壮な過去があり、その点では観客も同情しやすいキャラクターです。ところがリルにはそういう壮絶な背景が一切なく、単純な出世欲だけに突き動かされています。
 
 頭脳派で策略をめぐらすのが得意な『紅唇罪あり』のリリーに比べると、リルは暴力的と言っていいくらい強引です。この映画でリルが男性に迫るやり方は、肉体をばんばん押し出して露骨なお色気で相手を困らせるというものです。
 
 以前に紹介した『フィメール』もそうですが、この時代の映画では女性が男性に強引に迫るのはあまり深刻なセクハラと見なされていなかったため、現在の視点では「これは部下が上司に対してやってもまずクビだろう……」と思うような強引な行為をリルは平気でやります。一度など、部屋に鍵をかけて迫られたビルが逃げようとしてリルを殴るのですが、リルは全くひるまず、身体的接触が発生したのをいいことに「もう一回やってよ。いいじゃない」と言って強引にビルにキスします。ここは男女間の力関係をパロディのように逆転させた場面と言えるでしょう。
 
 リルは自分の欲望に正直です。愛人も作らず、真面目に男性を誘惑するリリーとは違い、リルはイケメンのアルバートを会ってすぐ愛人にし、パリでも付き合い続けています。リルは愛人業と恋愛は全く別だと割り切り、明るく前向きにゴールド・ディガーをやっています。
 
 プレコード映画の面白さとして、こういうゴールド・ディガーにもちゃんと女友達がいるというところがあります。『紅唇罪あり』のリリーにはチコがいましたが、この映画のリルにもサリーがいて、けっこう終盤まで補佐してくれます。同じくプレコード期の作品を原作とする『紳士は金髪がお好き』(1953)や『百万長者と結婚する方法』(1953)にもゴールド・ディガーに女友達がいます。どうもこの頃のハリウッド映画では「モテ女は女同士で足を引っ張り合うものだ」というようなステレオタイプはあまりなかったことがうかがえ、貧しい女性同士でお互いの出世を助けるような描写がけっこう見られます。これは大恐慌の時代を生き抜くためにはそうした助け合いが現実的だったからかもしれません。また、成功したゴールド・ディガーというのは同性からも尊敬されるガッツのある女性と見なされた可能性もあります。

◆リルの子孫

 『赤毛の女』のリルのようなヒロインは、プレコード映画以降はあまり見られなくなります。『紳士は金髪がお好き』のローレライ(マリリン・モンロー)や『百万長者と結婚する方法』のヒロインたちは少々プレコード映画の名残がありますが、リルに比べると人が良すぎます。一方で「ゴールド・ディガー」はフィルム・ノワールのファム・ファタルにとってかわられるようになりますが、ファム・ファタルはおおむね真面目で、リルのようなあっけらかんとした明るく楽しいワルさはあまりありません。
 
 ところが最近、ようやくリルの孫娘と言えそうなキャラクターが大作映画に登場しました。『ハウス・オブ・グッチ』でレディ・ガガが演じていたパトリツィアはかなりリルに近いキャラクターです。パトリツィアはリルよりはだいぶ真面目で複雑ですが、美貌を武器にのしあがろうとし、最後は殺人未遂まで起こすものの、面白い女性として描かれています。
 
 他にリルの子孫と言えそうなのは、その後の映画やテレビドラマに登場するたくさんの赤毛の美女たちです。『赤毛の女』はスキャンダラスすぎて日本では一般公開できなかったのですが(内容もさることながら、ジーン・ハーロウの胸が一瞬見えそうになるなど、露出度の高い場面もたくさんあります)、既に1935年に日本の批評家である内田岐三雄がこの映画について「赤毛の女は放縱であるといふことを看板」(『欧米映画論』p. 215)にした映画だと言っているくらいで、この作品は赤毛の女性はセクシーで強烈だという偏見の強化に貢献してしまいました。よく知られているところだと、『ピーナッツ』のチャーリー・ブラウンは赤毛の女の子にぞっこんですし、元ホワイトストライプスのジャック・ホワイトはやたらと赤毛の女性に関する歌を作っており、赤毛の美女による誘惑というのはアメリカ文化にけっこう深く根ざした性的ファンタジーと言えます。
 
 このステレオタイプはあまり良いものではありませんが、中には『チャーリーズ・エンジェル』(2000)のディラン(ドルー・バリモア)のように、女性からポジティヴに受容されている赤毛のワイルドな女性キャラクターもいます。『リトル・マーメイド』(1989)のアリエルは、あまりぶっ飛んでいない赤毛のヒロインということでステレオタイプを打ち破るところがある女性像でしょう(実写リメイク版では黒人女性が演じるということで、赤毛の女性軽視だという意見がありますが、本人も赤毛であるソフィ・ウィルキンソンがこういう批判を、人種差別を覆い隠すものだと批判している上、予告からすると実写のアリエルも控えめな色ではありますが赤毛です)。近年は
毛がファッショナブル
だとされることもあり、髪の色に関する捉え方も変わってきているので、髪色に関するステレオタイプも改善していくかもしれません。

参考文献
内田岐三雄『欧米映画論』第二版、書林絢天洞、1935。
北村紗衣「チャーリー・ブラウンとジャック・ホワイト」『ピーナッツ全集
NEWS LETTER』10-1。
斎藤英治「プレ・コード期のハリウッドのしたたかな女たち」『明治大学教養論集』418(2007)、39–59。
ジャッキー・コリス・ハーヴィー『赤毛の文化史:マグダラのマリア、赤毛のアンからカンバーバッチまで』北田絵里子訳、原書房、2021。
Thomas Patrick Doherty, Pre-Code Hollywood: Sex, Immorality, and Insurrection inAmerican Cinema 1930–1934, Columbia University Press, 1999.
Clarence R. Slavens, The Gold Digger as Icon: Exposing Inequity in the GreatDepression, Studies in Popular Culture, 28.3, 2006, 71–92.

初出:wezzy(株式会社サイゾー)

プロフィール
北村紗衣(きたむら・さえ)

北海道士別市出身。東京大学で学士号・修士号取得後、キングズ・カレッジ・ロンドンでPhDを取得。武蔵大学人文学部英語英米文化学科教授。専門はシェイクスピア・舞台芸術史・フェミニスト批評。
twitter:@Cristoforou
ブログ:Commentarius Saevus

著書『お砂糖とスパイスと爆発的な何か 不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門(書肆侃侃房)


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