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新鋭短歌シリーズを読む 第六回 奥村知世「三十一文字の楽譜」

2013年から今を詠う歌人のエッセンスを届けてきた新鋭短歌シリーズ。10月に最新刊が刊行されたほか、『夜にあやまってくれ』『コンビニに生まれかわってしまっても』『エモーショナルきりん大全』の重版が決定するなど、盛り上がりを見せています。
本連載「新鋭短歌シリーズを読む」では、新鋭短歌シリーズから歌集を上梓した歌人たちが、同シリーズの歌集を読み繋いでいきます。
第六回は『工場』の奥村知世さんが、伊豆みつさんの『鍵盤のことば』を読みます。どうぞおたのしみください!

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 楽譜のような歌集である。楽譜を見て演奏される音楽のように、歌集を読んで響いてくる歌がある。

残雪を蹴る爪先のごとくしてコントラバスのGisの音入る
イヤホンのふいに外れてこの街にラフマニノフのみな雪となる
のんばーばる・はれるや こんな黄昏をふたたび浴びることもあるまい
からつぽの部屋をオルゴールと呼べばいちいちうつくしい雨である 
花の名を呼ぶかのやうに歌ふから耳がすつかり咲いてしまつた

 コントラバスが奏でる音は、「Gis」という記号から情景を持った音になる。イヤホンがふいに外れることで、作中主体に降る雪がラフマニノフの音楽として視覚、触覚に感知される。この歌を媒介にして、読者は自分だけの「雪になったラフマニノフ」の音楽を聴くことができる。「はれるや」はここでは讃美歌のことと読んだが、美しい黄昏を言語のない讃美歌として浴びている。
 部屋をオルゴールとすることで雨を音楽としているが、この歌からも、読者は自分だけの「雨が奏でるオルゴール」の音楽を響かせる。世界を音楽に結び付けていく作中主体の耳は、しかし逆に「すっかり咲いて」しまう。音楽で行き止まってしまうのではなく、音楽とそれ以外のものが境界なく行き来しているのだ。

灰色のスーツ(生まれつき胸ポケットがない)を纏へばわれは強しも
少数者つて言ふのに噛んでしゆうしゆうとそのうち静かになる曹達水
ラズベリーソースとつぷりかかれり 血、とはちがふ赤ちがふ速さに

 短調の旋律のように、生きづらさを詠んだ歌も歌集の重要なパートを成している。女性用スーツには胸ポケットがないが、それを「生まれつき」と強調し、男性の作った社会に入っていくという困難に対し「われは強し」と言う。はじめは勢いよくはじけていた曹達水がそのうち静かになるように、「少数者」に対する強い気持ち、おそらくは自分がマイノリティーでありそれによる理不尽さへの憤りが、だんだん静かになってしまう描写。
 ラズベリーソースと血の連想は珍しくないかもしれないが、「速さ」への丁寧な着目に驚いた。血とは粘度が異なるので濡れ広がる速さが違うのだ。血との差異を具体的に描写することで「血」のイメージがはっきりと浮かんでくる。

ふたりして大きなものに憧れるいつか金平糖にならうね
生活のなかにあなたが欲しいのだあなたの町で寄るブックオフ

 一方で、明るいメロディーもある。金平糖は砂糖の結晶がだんだんと成長するものだが、そうなりたいという憧れ。ブックオフは品ぞろえにその町の住人のカラーが色濃く出る。そこで買った本は生活の中に「あなた」をもたらしてくれるという気持ち。
 この歌集を読んで、それぞれの音楽を鳴らして欲しい。

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奥村知世(おくむら・ともよ)
2015年より短歌結社「心の花」に所属。第29回歌壇賞次席。第2回群黎賞受賞。
2021年、第一歌集『工場』(書肆侃侃房)を上梓。
Twitter @Leo_Tomoyo

新鋭短歌シリーズ54『工場』

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