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【日々の、えりどめ】第13回 採光のための三つの作文

天窓

 息つぎなしのクロール。あれに、似ている。
 水中で、側面に手がつく、あの感覚。夜更かしではない、それはむしろ、到達にちかい。
 深夜三時は、夜更かしである。四時ならば大変な夜更かしである。しかし五時になると、やや、ちがう。言葉が、ひるがえる。
 こんな文章を書いている。朝五時である。わたしの部屋は日当たりが悪いので、大きな天窓がふたつある。
 わたしの天窓は考える。あらゆるむずかしい問題に閉じ込められた場合には、それが何かの救いの窓のようにも思えてくる。
 朝五時。天窓は、徐々に天窓らしくなる。わたしはわたしなりの天窓的な思考を、わたし自身の天窓に、朝五時に、書きつけている。
 こんな文章もいつかは救われることを願っている。


スイミングスクール

 郊外のキヨスクにある板チョコレートや煙草のラベルやお馴染みの文具たち。あるいは大型ホームセンターの消費商品風景。それらのひとつひとつには蜘蛛の糸のように透明なものが纏わりついていて、張り巡らされていると思う。
 それらを捉まえて、あるいはそれらに捉まえられて、円滑にも雁字搦めにもするすると降りていって、かつて生きていた領分の内でも未踏のものとさえ思われる、健忘の光にこそ爪先をつけようとする。それらの糸はそういうもの映し出す装置に繫がれたケーブルのようなものだとして、その到達点に到着したとてちゃぽんと音が鳴るわけでもないのだが、記憶はたしかに波打っているので脆いものである。
 触れたとたんにプラスチック製であることには気がつくのではあるが、降下していくぶんにはそれだけでもうじゅうぶんなしろものであることも、わかる。この糸は透明ながらも、ひとひとりぶんを運ぶにはきっと朝飯前の屈強さなのである。
 しかし油断して柔らかい手で直に触れると、余りにも細くて、余りにも科学的であるために、皮膚を損傷しかねない。それでもその現代的な痛みに耐えることは、〈記憶の保障されなかった場所〉に到達するためには免れえないことである。
 しかしまた、それほど問題でもないのだ。その傷や痛みは、跡が残るようなものではないのであるから。それよりも重要なことは、その出来事がいかにも咄嗟で不用意なことである。
 そんなもののひとつが、舎人駅前のスイミングスクールの看板であった。あるいはその駐車場に停めてある、東京スイミングの赤いバスであった。
 幼少の頃、わたしは親の教育で週に一度だけ隣町のスイミングスクールまでバスで通っていた。平常の学区外であったために、周りに友だちはひとりもいなかった。
 そしてわたしは、はじめは二十五メートルプールさえも泳げなかった。途中で足をつかなければ、どうしても人生が寂しかったのである。光をじゅうぶんに乱反射しながら行先を満たしていた水のたゆたいが、知っているどのような視界よりも広く果てなく思うこともあった。そして水中のあの原初的な音。生温いガラス張りの空気。耳栓をしたような気圧と湿気。勿体ないような日曜日の太陽光線。神話としての人魚というよりはより人間的な水生の輪郭を描きながら、まるで海獺の毛のように渇ききらないポリウレタン合成繊維の競泳水着を着た若い女性指導者の余りにもかけ離れたその存在感。沈黙のバスの揺らぎと車酔いを体の芯に冷たく残しつつ、いくぶんの塩素水とともに自然味のない言葉を飲み込みながら幼い頭皮と水泳帽を濡らしていたわたし。――むかしの、あの孤独を、もう一度感じさせるために、お前たちはいまこんな郊外で燦々と照らされているのか。


遠投

 できるだけ遠くに投げようとする投げ方しか、わたしにはできなかった。
 むかしからそうである。少年野球の頃、わたしは肩が弱くて、そのくせ身のこなしも硬かったために、体を強張らせて、そのために必要のないところに力が入って全体の力も分散してしまい、うまく白球に思いを伝えられなかった。同様にして速い球も、ただただ速く投げようとした。
 言葉もそうだ。ただ大声を出していた。それがもちろん、われわれの世界の習わしだったこともある。しかしその中でもわたしは、地声が細く、さらに自分の感情を前に押し出すということさえもかなり苦手な方であった。いまでもそうである。
 赤裸々にいうと、ある方から、下手だと言われた。当たり前は、当たり前である。漫画的に、演劇的にやる。きみにはそれができない。そう言われた。こういう指摘は、もちろん有り難いものである。
 それからも、その前にも、意識をしてみたことはある。それでも生来の不調法者であるわたしには、その術はどうやら使いこなせないのであった。無理に体を使うと、肩を痛める。指を痛める。柔軟性のないわたしの感情表現は、時として悲鳴をあげる。やはり向いてないのではないか。そういう後ろ向きの結論になる日もある。
 わたしにはどうやら表現の基礎体力がないらしい。それならば、つけるまでだ――そういう決意はたびたび湧いてくるけれども、わたしの体にはいまもあの頃の少年がいて、どうやら自分のやり方で数センチでも遠投の記録を伸ばそうと不器用にもがいているらしいのであった。体の節々に怪我の可能性を蓄積しながら、痛みを承知で、それでも継続だけを信心して。
 そんな日々の中で、わたしは今日も舎人公園に来ている。向こうの野原では、ひとりの幼子が駄菓子屋ででも買ったのであろう、ビニール製のボールを体全体を使って前方の保護者へと放り投げている。それは教育のためにいじらしい距離にされているからもちろん届かないのであるが、その全体が光の中の映像だったので、わたしにはいかにも希望的な風景に見えた。
 天上からの光で満たされた野原の中に放たれたボールは逆光によって色味を失くしながら常に悔しいと思われるところで勢いをなくして落下したが、それでも小さな遠投の記録保持者は、その思いが落ちるにも先がけて次の投球のための一歩を、もう既に踏み出していた。――そこには、言葉すらなかった。


【プロフィール】
林家彦三(はやしや・ひこざ)
平成2年7月7日。福島県生まれ。
早稲田大学ドイツ文学科卒業。
二ツ目の若手噺家。本名は齋藤圭介。

在学中に同人誌『新奇蹟』を創刊。
「案山子」で、第一回文芸思潮新人賞佳作。

若手の落語家として日々を送りながら、文芸表現の活動も続けている。

主な著作
『猫橋』(ぶなのもり)2021年
『言葉の砌』(虹色社)2021年


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