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【お砂糖とスパイスと爆発的な何か】知られざるプレコード映画の世界(10):嘘っぽい芸術と真摯な芸術~『奇蹟の処女』(The Miracle Woman)(北村紗衣)

 フランク・キャプラといえば、最後のプレコード映画のうちの1本であり、スクリューボールコメディが流行るきっかけとなった『或る夜の出来事』(It Happened One Night、1934)を撮った監督として有名です。今回の連載では、キャプラの非常にプレコード的な作品を紹介しようと思います。アメリカにおけるラジオ伝道とメガチャーチを批判したバーバラ・スタンウィック主演の『奇蹟の処女』(The Miracle Woman、1931)です。

◆プレコード宗教映画

 ヒロインであるフローレンス・ファロン(バーバラ・スタンウィック)はプロテスタントの牧師の娘ですが、父親は長年教会に尽くしたにもかかわらず、若い牧師を求める教区から無一文で追い出されることになり、失意のうちに死んでしまいます。フローレンスは教会で教区民の偽善を糾弾する演説をします。それをたまたま見ていたホーンズビー(サム・ハーディ)はフローレンスの聖書の知識や話のうまさに目を付け、伝道師として売りだそうとします。教会に幻滅したフローレンスはこれに同意します。
 
 フローレンスは伝道師シスター・ファロンとしてデビューし、「幸福の礼拝所」という大きな天幕に多数の信徒を集めるカリスマ説教師としてアメリカを巡業します。いろいろなインチキを使って盛り上げる伝道集会は大人気で、ラジオでも説教が放送されます。
 
 ところがフローレンスは伝道集会にやってきた、戦争で視力を失った音楽家ジョン(デイヴィッド・マナーズ)と恋に落ち、自らの行為に疑問を抱くようになります。こうしたフローレンスの態度に不安を抱いたホーンズビーは全てをバラし、さらには最近不審死した伝道関係者殺しの罪をフローレンスになすりつけてやると脅迫します。
 
 フローレンスは全てを打ち明け、ジョンはそれを受け入れます。フローレンスは信仰を取り戻し、集会で真実を話そうとしますが、ホーンズビーがこれを止めようと慌てて電気を落としたところ天幕が火事になります。フローレンスは燃えさかる火の中で聴衆を勇気づけながら倒れますが、ジョンに救出され、2人とも病院に運ばれます。最後の場面では、救世軍に入ったフローレンスが長期入院していたジョンから退院と結婚準備の知らせを受け取ります。この映画は全体的に非常にプレコードらしい作品だと言えます。既に解説したように、ヘイズ・コードは宗教をバカにすることに対しては厳格でした。コード関係者の多くがカトリックだったことを考えると、プロテスタントの腐敗を描いた本作は1934年以降でも全く作れないということはなかったかもしれませんが(Dick, 49)、それでもだいぶトーンダウンさせられたでしょう。また、途中で登場人物のひとりが中指立てをする場面があり、これはヘイズ・コード厳密施行以降だとまず見かけない動作です。

◆ラジオ伝道とメガチャーチ

 この映画は実在のラジオ伝道師であるエイミー・センプル・マクファーソンをヒントにした、ロバート・リスキンとジョン・ミーハンによる戯曲Bless You, Sisterに基づいています。マクファーソンは1920年代のカリスマ説教師で、ラジオを使った画期的な伝道活動で多数の信徒を集めましたが、1926年に失踪しました。
 
 後に発見され、自分は誘拐されたと述べていましたが、不倫旅行をしていたのではないかという疑いがかけられていました。伝道師として有名になったヒロインが姿を消して恋人と一緒になろうとする『奇蹟の処女』は、かなり時事ネタを想起させる作品だと言えます。
 
 放送を使った伝道活動は現在も盛んで、最近も女性のテレビ伝道師として有名なタミー・フェイの伝記映画である『タミー・フェイの瞳』(2021)がジェシカ・チャステイン主演で作られています。

 こうした大規模な伝道活動には、週末に数千人もの信徒を集めて礼拝を行う所謂メガチャーチが伴うこともあります。オーストラリア発祥のメガチャーチであるヒルソング教会はジャスティン・ビーバーなどのセレブリティが礼拝に出席していたことで有名ですが、性的マイノリティに対する差別的な教えや、関係者の不倫スキャンダル性的虐待隠蔽疑惑などで批判されています。
 
 信仰が巨大ビジネスになることのうさんくささを痛烈に批判しているという点で、『奇蹟の処女』は今でも通用する問題を扱っていると言えます。

◆「堕落した女」の復活

 『奇蹟の処女』は現代風のビジネス宗教を痛烈に皮肉っている作品ではありますが、信仰じたいを否定する無神論的な映画ではありません。
 
 序盤でフローレンスの父が所属していた伝統的な教会が批判され、さらに当時としては新しい動きであったラジオ伝道も批判されていますが、最後にフローレンスが信仰を取り戻して救世軍の一員として活動するのは批判されていません。

 この映画が批判しているのは教会の硬直したシステムや金儲け主義であり、ひとりひとりがキリスト教の教えと向き合って愛や献身を実践することは良いこととして描かれています。
 
 この映画はプレコード期の映画に頻繁に登場する「堕落した女」(fallen woman)の物語によく似ています(Dick, 49)。ふつう「堕落した女」の映画における「堕落」というのは、既に紹介した同じくバーバラ・スタンウィック主演の『紅唇罪あり』などのように性的不品行であることが多いのですが、『奇蹟の処女』のフローレンスは性的にはいたって謹厳です。
 
 フローレンスの「堕落」は神への信仰を失って詐欺的な宗教ビジネスに足を踏み入れたことであり、愛によってここから脱出し、真の信仰に至ることが救済への道となります。お金に困ったヒロインが妙なアドバイスにより自分にカリスマを使って生計を立てるようになり、けっこう大変なことをやらかすのに最後に素晴らしい男性との愛によってチャラになってしまう……という点では、『奇蹟の処女』は『紅唇罪あり』と同じような展開だと言えます。

◆嘘っぽいパフォーマンスと真実のパフォーマンス

 『奇蹟の処女』は、アメリカの宗教ビジネスをパフォーマンスアートとしてとらえて批判しています。この作品では、宗教ビジネスの場で行われる嘘っぽいパフォーマンスと、個人的な場所で行われる真摯なパフォーマンスが登場し、対比的に描かれています。
 
 フローレンスたちが天幕で行うパフォーマンスは嘘っぽく大げさです。フローレンスはライオンのいる檻に入ったり、サクラを使ったりして大がかりなショーのようなやり方で伝道を行っており、信徒は見世物気分で天幕にやって来ます。また、途中でホーンズビーたちがパーティを催し、そこで集まった人々がフローレンスの説教イベントを真似てグロテスクに冷やかすところがあります。これはフローレンスが行っている伝道が軽薄な見世物であることを示しています。
 
 「幸福の礼拝所」と呼ばれる天幕でフローレンスがするお説教には、「〇〇すると神の罰が下る」というようなネガティブで怖い雰囲気は一切ありません。フローレンスの説教は癒しや愛、理解、勇気を説くもので、常に信徒をハッピーにしています。フローレンスの説教は現在の自己啓発に近く、この点でも現代につながる点があると言えます。ここでは自分の気持ちに向き合わず、やたらとハッピーな感情をガンガン持ち上げるというある種の心の隠蔽が行われています。
 
 一方で最初にフローレンスが行う強烈な教会批判のスピーチや、ジョンがフローレンスと一緒にいる時にやっているアルという人形を使った腹話術や音楽は、自分の気持ちに向き合うことから生まれる真摯なパフォーマンスアートです。こうした真摯なパフォーマンスは嘘っぽい宗教パフォーマンスと違って個人的な気持ちから出てくることをそのまま映し出しており、ネガティブなことやつらいことのシェアを含んでいます。とくにジョンが自分の相棒のように扱っているアルは、ジョンが言いにくいことをフローレンスに話す時に大きな役割を果たします。アルを人間の友達のように扱うジョンの行動はかなり風変わりですが、この映画ではジョンの優しさやクリエイティヴィティを示すものとして肯定的に表現されています。

 この映画のポイントは、嘘っぽいパフォーマンスがはびこる社会の中で、本当に素晴らしいパフォーマンスアートを生むためには何をすべきなのか……ということなのかもしれません。映画はパフォーマンスアートのひとつですが、ハリウッド映画は常にビジネス上の配慮と芸術的な試みの間でバランスをとることを要求されています。商業的にはハッピーエンドが求めら
れることも多いのですが、いつもハッピーなことばかり描いていては人間の人生をリアルに描くことはできませんし、扱い方によっては非常に嘘っぽくなります。『奇蹟の処女』は宗教に関する辛辣な映画ですが、一方で芸術は何をすべきなのかというテーマを扱った作品であるとも言えるでしょう。

参考文献
Bernard F. Dick, The Merchant Prince of Poverty Row: Harry Cohn of Columbia
Pictures, University Press of Kentucky, 2021.
Thomas Patrick Doherty, Pre-Code Hollywood: Sex, Immorality, and Insurrection in American Cinema 1930–1934, Columbia University Press, 1999.
Anthony Burke Smith, The Look of Catholics: Portrayals in Popular Culture from the Great Depression to the Cold War, University Press of Kansas, 2010.

初出:wezzy(株式会社サイゾー)

プロフィール
北村紗衣(きたむら・さえ)

北海道士別市出身。東京大学で学士号・修士号取得後、キングズ・カレッジ・ロンドンでPhDを取得。武蔵大学人文学部英語英米文化学科教授。専門はシェイクスピア・舞台芸術史・フェミニスト批評。
twitter:@Cristoforou
ブログ:Commentarius Saevus

著書『お砂糖とスパイスと爆発的な何か 不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門(書肆侃侃房)


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