新鋭短歌シリーズを読む 第三回 手塚美楽「時間の共有」
2013年から今を詠う歌人のエッセンスを届けてきた新鋭短歌シリーズ。最新刊『君が走っていったんだろう』『エモーショナルきりん大全』『ねむりたりない』が刊行され、盛り上がりを見せています。本連載「新鋭短歌シリーズを読む」では、新鋭短歌シリーズから歌集を上梓した歌人たちが、同シリーズの歌集を読み繋いでいきます。
第三回は『ロマンチック・ラブ・イデオロギー』の手塚美楽さんが、笹川諒さんの『水の聖歌隊』を読みます。どうぞおたのしみください!
*****
笹川諒さんの短歌を読むと、それまで自覚してこなかった日常が手に触れられるようになる。世界の解像度が上がる。道にある生垣の、木の実が見えるようになる。いつも行くコンビニの店員さんと目を合わせることができたような感覚を得ることができるのだ。
音声が急に途切れる 耳鳴りの音はたまごっちが死ぬ音だ
あなたはたまごっちが死ぬ音を聞いたことがありますか。私はありません。だが、たまごっちのお腹が空いて、6歳の私を呼ぶ音は聞いたことがある。私の人生のいつかの時間を思い起こさせてくれる。小学校に言っている間たまごっちの面倒を見させられていた、ボタンを押す、母の指先のセルフネイルを、今思い出した。耳鳴りをたまごっちの音だと思う笹川さんの記憶を見せてもらいたい。
繁茂するイルミネーション 僕たちはカタカナの水草で寄り添う
イルミネーション、たしかに少し水草っぽい気がする。あの光は生きていて、町中に伸びていく。隣の家のベランダから代々木公園まで。水草と言われると夏を連想してしまうけれど、冬にも水草は生きている。私たちが知らないだけで。水草の中で寄り添うふたりは、魚ではない別の生き物であるから寄り添えるのだと思う。
くまモンのポーチを買った 人が人を産むことがとてもこわいと思う
未知に対する恐怖を「くまモン」のポーチの俗っぽさが薄めている。「人が人を産む」ことが怖いという感覚が男の人にもあるのだと驚いたが、それはよく考えたら当たり前かもしれない。私はある意味で選択によっては自分から何かが出てきてしまう可能性があることを受け入れている。けれど、経験できなくてわからない方が怖い。怖さの中にくまモンがいてくれることで安心することができる。
リョウちゃん、と渚カヲルの声で聞くさらば全てのエヴァンゲリオン/笹川諒
上記は笹川諒さんが所属している短歌誌の『西瓜』創刊号「春霖」に掲載されている短歌である。
笹川さんの固有名詞の使い方は、読み手に空間ではなく時間を共有させてくれる。人が集まった一瞬だけではなくその人が過ごしてきた今までが見える、と私は思うのだ。「リョウちゃん」と呼ばれるのではなくそう言われたように聞こえる。そこに笹川さんの情熱がこもっている。短歌にしてしまうほど思い入れのある作品がある、ということが羨ましい。
*****
手塚美楽(てづか・みら)
2000年生まれ。武蔵野美術大学造形学部芸術文化学科在学中。美学校「現代アートの勝手口」修了。
2021年『ロマンチック・ラブ・イデオロギー』を書肆侃々房より刊行。
短歌ZINE「怠惰ふつつか排他的」「Blue Summer Nights」を自主制作、配布中。Twitter @TANEofKAKI
新鋭短歌シリーズ51『ロマンチック・ラブ・イデオロギー』
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?