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【お砂糖とスパイスと爆発的な何か】知られざるプレコード映画の世界(3)セクハラ女社長が逃げおおせる『フィメール』(Female)(北村紗衣)

Ruth Chatterton in Female (1933) publicity still.( wikipedia commons より)

 ヘイズ・コード特集の3回目でとりあげるのは、1933年の映画『フィメール』(Female)です。
 
 最初はウィリアム・ディターレやウィリアム・ウェルマンが監督をつとめていましたが、その後に監督が交代し、のちに『カサブランカ』を作るマイケル・カーティスが監督をつとめました。プレコード・ハリウッドの時代のスターであり、飛行家でもあったルース・チャタートンが主演した女性映画
です。この作品は日本公開されておらず、ソフトも英語版だけで日本語タイトルも一定していませんが、なかなかとんでもない内容です。

◆部下にセクハラしまくる女社長

 ヒロインであるアリソン・ドレイク(ルース・チャタートン)は自動車会社の敏腕女社長です。アリソンは仕事に励むかたわら、若くてハンサムな男性部下を次々と誘惑し、相手が煙たくなればモントリオール支社に飛ばすということを繰り返していました。
 
 ところが、ある日アリソンが遊技場で出会い、その後に部下だということがわかったジム(ジョージ・ブレント)は全くアリソンになびきません。アリソンはアシスタントのペティグルー(フェルディナンド・ゴットシャルク)から助言を受け、自分はこう見えてもか弱い女性で助けが必要だというフリをしてジムの気をひきます。ジムはこの策略にまんまと引っかかりますが、急に結婚を迫ってきたジムに対してアリソンは逆に怖じ気づきます。
 
 アリソンの会社に資金繰りの問題が発生し、困り果てたアリソンは自分がジムを本当に愛していることに気付いて、出て行ったジムの後を追います。ジムを見つけたアリソンは、結婚して会社をジムに譲り、自分は子どもを産んで母親になると宣言します。
 
 現代の感覚で見ると、この映画はとんでもない内容です。アリソンは部下と性的関係を持っては邪魔になると支社に飛ばすということを繰り返しており、あからさまな強要はしていないようですが、それでもどう見ても社長としての権力を乱用して公私混同をしているセクハラ常習犯です。お屋敷で部下を誘惑する時は使用人にウォッカを運ばせるのがいつもの作戦で、酒を飲ませてセックスするというのは現代の感覚で見ているとずいぶん悪質です。終盤でジムを追いかけ回すところなど、あまりにもしつこくて現在なら訴えられるレベルだろうと思います。
 
 さらに、このセクハラ上司であるアリソンが最後に罰されることもなく、結婚すればこれまでの悪行がチャラ……みたいな結末になっているところは時代を感じさせます。

◆性役割の裏返し

 一方で、この映画は男女のステレオタイプを意図的に裏返した、いわば性役割をパロディ化した作品として見ることもできます。アリソンがやっていることは企業社会で男性のリーダーがしばしばやっていることであり、アリソンはそうした男性中心的なスタンダードを素直に内面化して実行しているだけだと言えます。
 
 この映画では、アリソンは徹底的に「男性並み」に働く女性として描かれており、他の女性を雇って出世させるというようなこともしていません。観客はそのあり方に違和感を覚えることで、実は男性中心の企業社会でトップの男性がとっている態度というのもちょっとおかしいのでは……というふうに性役割や男性の特権を問い直すことができるかもしれません。
 
 近年の映画では、これまでは女性に割り振られがちだったような役割を男性に割り振ることでなんとなく観客に「これまでがヘンだったのかな?」というようなことを感じさせるということをしているものがあります。
 
 昔なら金髪美女が演じていたような「何も考えていない魅力的なアシスタント」の役を男性のクリス・ヘムズワースが演じる『ゴーストバスターズ』(2016)や、ティモシー・シャラメがまるで「運命の女」ならぬ「運命の男」のような役柄で出てくる『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語
』(2019)などはそうした例と言えると思います。おそらく『フィメール』は、1930年代初頭のやり方でこれに似た試みをしていると言えるでしょう。
 
 さらに、この映画はアリソンを通して、女性に性欲があるということを当たり前のように描いています。強い性欲のある女性というのは魅力のない化け物のように描かれたり、何も考えていない知性に欠けた女性として描かれたりすることもありますが、この映画に出てくるアリソンはどちらでもなく、性的魅力のある大人の女性で、さらに企業のトップとしても有能です。ところがこの映画に出てくる男たちはあまり女性にも性欲があるということを理解しておらず、一度性的関係を持っただけでアリソンを自分のものだと思い込みます。

 アリソンのセクハラ三昧は全く褒められたものではありませんが、作中でアシスタントのペティグルーが、こうしたアリソンの行動をジェンダー差の中で相対化するような発言をしています。ペティグルーによると、アリソンは偽善的なところのない正直な女性で、それゆえペティグルーの尊敬を勝ち得ています。ペティグルーいわく、アリソンに寄ってくる男たちはだいたい財産に目がくらんでおり、アリソンはそれを知っているので、こうした男たちが騙されてもあまり同情の余地がないそうです。ペティグルーはアリソンをナポレオンにたとえていますが、これは男女の役割をわざと逆転させているこの映画のコンセプトをよく示しているセリフです。アリソンはリーダーシップがある男性ならやって当然とされていることをしているにすぎないのです。

◆保守的な結末

 しかしながら、いくらなんでもこうした主人公が改心も何もせずに最後までいられるわけはありません。主人公の性別がどうだろうが、こんなセクハラ三昧の横暴な行動が許されたまま映画が終わったら観客はイラっとするでしょう。現代の観客ならアリソンが部下に訴えられて全てを失うくらいでないと納得しないかもしれませんが、そこは1930年代の映画で、女性から男性に対するセクハラに対しては甘いところがあり、そもそもセクハラという概念じたいがなかったので、そうはなりません。結局、アリソンはなかなかうまく誘惑することができなかったジムに心から恋をし、結婚して会社をやめて母親になると決めます。
 
 この終わり方はジェンダーの点からすると非常に問題含みです。ここまでこの映画はいろいろと既存の性役割を逆転してパロディ化するようなことをしてきましたが、結局は女性には企業で働くことは向いておらず、仕事をやめて結婚し、家庭に入るのが正しいのだという価値観を強化してしまっています。あれだけ仕事に自信を持っていたアリソンが急にやめると言い出すのは、展開としてはわりと不自然です。おそらく主人公が男性であればこういう展開にはならず、改心して家庭人らしく振る舞うようになって終わりで、仕事はやめないでしょう。
 
 このオチは若干、不気味でもあります。アリソンはわざとジムに頼ってみせるという演技で相手の気を惹き、自分を愛させることに成功しましたが、その手練手管については全く反省しないまま結婚生活に入るわけです。アリソンがジムを引っかけるのに使った技巧は、それ以前にアリソンが部下たちを誘惑するのに使った技巧と実際はそんなに変わってはおらず、欺瞞と計算に基づいています。一見、幸せな結婚生活の始まりのように見えるこのオチですが、結局アリソンは欲しいものを手に入れるためなら何でもする野心的な性格を保ったままです。アリソンが妻となって家庭に入るのは「本来の自分に戻る」というような文脈ではなく、欲しいもの、野心の対象が変わったからです。

◆その後のアメリカ映画

 現在の感覚だと、面白いところはあってもだいぶ奇妙で昔風なオチがつく『フィメール』ですが、その後に作られる女性と仕事に関するさまざまな映画を予見する作品ではありました。
 
 職場で有能な女性が急に夫のために仕事をやめると言い出す話はジョージ・スティーヴンズ監督、キャサリン・ヘプバーンとスペンサー・トレイシー主演の『女性No. 1』(1942)でも展開されていますが、こちらの作品ではやっぱりそういうふうに働いていた女性が急に家庭に入るというのは無理だろう……というバランス感覚が示されています。
 
 女性上司が男性部下にセクハラをする話はバリー・レヴィンソン監督が60年以上後に撮ったデミ・ムーアとマイケル・ダグラス主演の『ディスクロージャー』(1994)が有名です。この作品は女性が男性の上に立って働くことへの恐怖心が前面に出ている作品で、パロディ的な要素があった『フィメール』よりもむしろミソジニーがあからさまになっているとも言えます。
 
 手段を選ばず仕事をし、恋愛はしないが性欲はあるやり手の女性を描いた映画としてはジョン・マッデン監督、ジェシカ・チャステイン主演の『女神の見えざる手』(2016)がありますが、この作品ではヒロインはセクハラはせず、男性のセックスワーカーを雇っています。こうした映画をまとめて見てみると、ハリウッドが仕事とジェンダーをどう描いてきたかの変遷がなんとなくわかってくるかもしれません。

参考文献
Mick Lasalle, Complicated Women: Sex and Power in Pre-Code Hollywood, St.
Martins Press, 2000.
Scott O’Brien, Ruth Chatterton, Actress, Aviator, Author, BearManor Media, 2013.
Alan K. Rode, Michael Curtiz: A Life in Film, University Press of Kentucky, 2017.
Ana Salzberg, Produced by Irving Thalberg: Theory of Studio-Era Filmmaking,
Edinburgh University Press, 2020.

初出:wezzy(株式会社サイゾー)

プロフィール
北村紗衣(きたむら・さえ)

北海道士別市出身。東京大学で学士号・修士号取得後、キングズ・カレッジ・ロンドンでPhDを取得。武蔵大学人文学部英語英米文化学科教授。専門はシェイクスピア・舞台芸術史・フェミニスト批評。
twitter:@Cristoforou
ブログ:Commentarius Saevus

著書『お砂糖とスパイスと爆発的な何か 不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門(書肆侃侃房)


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