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【お砂糖とスパイスと爆発的な何か】博士、空から女の子が!~『赤ちゃん教育』と『教授と美女』における、うっかり博士とマニック・ピクシー・ドリーム・ガール(北村紗衣)

『赤ちゃん教育』より

 この連載では、いろいろな女性のステレオタイプについて触れてきました。もちろん男性にもステレオタイプは存在します。この記事では男女両方のステレオタイプを用いている……というか、むしろ特定の類型を開発した
映画を分析したいと思います。今回とりあげるのは、ハワード・ホークス監督のスクリューボールコメディ、『赤ちゃん教育』(Bringing UpBaby、1938)と『教授と美女』(Ball of Fire、1941)です。
 
 この2本をとりあげるのは、両方とも学者(男性)と女性が登場する作品だからです。本連載を読んでいる皆さんは既にお気づきだと思いますが、私は学者で、女性です。この2作はどちらもある意味ではステレオタイプな表現を用いていると言えるのですが、それを超える革新性とインパクトのある作品として高く評価されており、今でも人気があります。困ったことに、この2本は学者で女性である私が見ていると、ステレオタイプとか以前に自分の経験に照らしてけっこう共感できるところがあり、あまり冷静に学者らしく分析ができません。それでもなんとか、この2本について論じていきたいと思います。

◆映画史上最もとんでもないヒロインとメガネっ子博士が戦う『赤ちゃん教育』

 『赤ちゃん教育』は、おそらく私が今まで見た中でも最も異常なハイテンションが持続する映画です。主人公は博物館で働いており、同僚アリスとの結婚を数時間後に控えたメガネの古生物学者のデイヴィッド(ケイリー・グラント)と、富豪令嬢スーザン(キャサリン・ヘプバーン)です。ひょんなことから出会い、ぶっ飛んだスーザンにデイヴィッドが振り回されまくった後、結ばれる……という話なのですが、ふつうのロマンティックコメディに比べると、ヒロインの変人ぶりと、それによって起こる事件の内容が尋常ではありません。

 お金持ちの家でわがままに育ったせいか、スーザンはとにかく気ままで、世間の常識とか道徳をほぼ気にしません。登場してすぐ他人の車を盗み、数々の違法行為を行った後、ペットのヒョウの世話をデイヴィッドに無理矢理手伝わせようとします。デイヴィッドに夢中になったスーザンは彼の結婚を阻止すべく、シャワーを浴びているデイヴィッドの服を盗んで彼の帰宅を妨害します。そのせいでデイヴィドはスーザンのふわっふわの女物ガウンを着て屋敷をうろつくハメになります。
 
 まったくこんなひどい女いないだろというようなヒロインなのですが、問題は、このスーザンが信じられないほど魅力的なことです。これだけ行動がおかしいと、ふつう映画ではおバカキャラか悪役として描かれそうなものですが、どちらでもありません。スーザンは知的で洗練された演技派女優として名高いキャサリン・ヘプバーンが演じており、とにかく可愛くて、強烈で、口を開けばものすごく気の利いた面白いことを言うので、否応なく惹かれてしまいます。

 一方、デイヴィッドはいわゆる「うっかり博士」(absent-minded professor)のステレオタイプにあてはまる学者です。うっかり博士というのはコメディなどによく出てくる類型で、専門的な研究以外のことをよく知らない浮き世離れした学者キャラです。デイヴィッドは恐竜の研究に身を捧げていて、スーザンよりは常識人ですが、ちょっとぼーっとしたところがあり、仕事のひとつである博物館のパトロンから寄付を募る営業活動などは苦手です。
 
 ところが、デイヴィッドが単なる真面目ちゃんでないことは、映画の冒頭でさりげなく示されています。婚約者で同僚であるアリスはデイヴィッドに輪をかけて真面目です。結婚はふたりで研究に専心するためだと豪語し、学問のため全てを犠牲にするつもりです。デイヴィッドは新婚旅行を楽しんで、のちのち子供も欲しいと思っているのですが、アリスは興味を示しません。アリスに説得されて新婚旅行をやめることにしたデイヴィッドはちょっと寂しそうな顔をします。つまり、デイヴィッドは真面目な学者である一方、多少は日常を離れて楽しみたいと思っているわけです。
 
 この逃避願望がクセモノです。デイヴィッドはスーザンの破天荒な行動のせいで始終迷惑そうにしていますが、それとはうらはらに、一晩付き合わされて大冒険をした後、スーザンに面と向かって「まあ何も起こってない時にはミョーに君に惹かれちゃうとこもあるんだけど、でも何も起こってない時なんてなかったからね!」と、好意をうっかり口にしています。デイヴィッドは、自分を静かな研究生活から連れ出してくれるスーザンに抗い難い魅力を感じているのです。ふつうに考えれば、入浴中に服を盗まれるなんていう極悪非道なことをされれば相手が嫌いになりますが、デイヴィッドはスーザンが提供してくれるワクワクに幻惑されています。

◆マニック・ピクシー・ドリーム・ガール

 『赤ちゃん教育』のスーザンはロマンティックコメディ史上、最も個性的なヒロインのひとりとして愛されていますが、一方で「マニック・ピクシー・ドリーム・ガール」(MPDG)というステレオタイプを作り出した初期の例ではないかと言われています。
 
 マニック・ピクシー・ドリーム・ガールは映画批評家のネイサン・ラビンが『エリザベスタウン』(2005)をレビューした時に初めて使った言葉で、「陰鬱で感情的な若い男に、人生とその無限の謎や冒険を愛しむことを教えるため」だけに出てくるような女性キャラを指します。つまり、平凡で憂鬱な男の人生に突然、ちょっとクレイジーでステキな女性が現れ、それによって彼は冒険をし、人生を学ぶ……という決まったタイプのお話があり、そこで出てくるようなヒロインをマニック・ピクシー・ドリーム・ガールと呼ぶのです。『エリザベスタウン』でキアステン・ダンストが演じたクレアや、『バッファロー66』でクリスティーナ・リッチが演じたレイラがこの典型例です。
 
 これはおそらく日本語で言うと、「空から女の子が降ってくる話」の類型をキャラクター視点で説明したものです。『天空の城ラピュタ』をパズー視点で見ると、シータはマニック・ピクシー・ドリーム・ガールです。空から降ってくるのではありませんが、涼宮ハルヒシリーズのハルヒもキョン視点で見るとそうなります。以前、プリンセスに関する記事で『天空の城ラピュタ』と『ローマの休日』は似た話だと指摘したことがありますが、オードリー・ヘプバーンが演じたアン王女も、ジョー視点だとマニック・ピクシー・ドリーム・ガールです。これは男性にばかり都合の良い女性像になりがちなので、よく批判されていますし、一方でスーザンみたいにはっきりした自分の欲望を持っていて、性役割を転覆させるキャラにこの言葉をあてはめるのはどうなのか、という考えもあります。

◆バーレスクの女王が白雪姫になる『教授と美女』

 ハワード・ホークスが脚本に喜劇の名手ビリー・ワイルダーを迎えて作った『教授と美女』も、学者が男性主人公で、マニック・ピクシー・ドリーム・ガール的ヒロインが登場します。
 
 主人公ポッツ(ゲイリー・クーパー)は7人の研究仲間と百科事典の編纂のため、研究基地であるお屋敷にこもって毎日仕事に励んでいます。言語学者のポッツは用例収集のため街に出かけ、スラングをまじえて生き生きと話すバーレスクの女王シュガーパス(バーバラ・スタンウィック)と出会い、研究協力をお願いします。最初は興味がなかったシュガーパスですが、彼氏でギャングのジョーが起こした事件に巻き込まれないよう、隠れることになり、教授たちの家に転がり込みます。魅力的なシュガーパスのせいでお屋敷は急に明るくなり、ポッツとシュガーパスは恋に落ちます。
 
 シュガーパスはタフで機転の利くセクシーなワーキングクラスの女性です。お金持ちで世間知らずのスーザンに比べると見かけ上はだいぶ常識がありますが、よく考えると実は同じくらいヤバい女です。何しろ人を殺しているらしい職業犯罪者との結婚を夢見ていて、警察から逃げるためにポッツたちを騙そうとしているというわけで、道徳的にまずいことをしている点ではスーザン以上です。ところがそんなシュガーパスがポッツに出会い、いかにもロクでもなさそうな犯罪者よりは、真面目で自分を尊敬してくれる男のほうがいいんじゃないかと思い始める……という展開です。このお話は『白雪姫』をヒントにしていて、シュガーパスが白雪姫、ポッツが王子様、7人の教授がこびとたちにあたります。
 
 ポッツ視点で見ると、これは比喩的な意味で、空から女の子が降ってくる話です。うっかり博士ポッツのところに、突然ワイルドでキレッキレの美女がやってきて、ポッツを冒険に巻き込みます。いくらなんでも自分を騙していた女性を愛し続けるのは難しいのでは……と思うところもありますが、『赤ちゃん教育』同様、最初にポッツが単なる真面目ちゃんではないことを示す伏線があります。
 
 冒頭で教授たちは、パトロンである財団の女相続人ミス・トッテンの来訪に備えて、資金援助の説得のためポッツを魅力的に見せようとします(ホークスは学者が資金獲得に困っているという設定が好きなようです)。実はミス・トッテンはちょっとポッツに気があります。最初はイヤそうにしていたポッツですが、説得のためミス・トッテンにできるだけカッコよく振る舞おうとして、けっこう成功します。つまり、ポッツ自身が目的のためには自分の色気を使うようなこともするタイプなのです。主人公の2人の間には意外と共通点があることが、初めからほのめかされているのです。

◆学者はキレッキレの女に生活をめちゃくちゃにされるべきなのか

 『赤ちゃん教育』と『教授と美女』は、どちらも男性キャラ視点ではマニック・ピクシー・ドリーム・ガール的と言われうるキャラクターを登場させています。しかしながら、私はこの2作がステレオタイプだと言って批判するつもりはあまりありません。2人とも、女性キャラとしてはかなりちゃんと掘り下げられており、男性主人公から独立した情熱とか目的を持っています。むしろ私がこれらの作品で注目すべきなのではないかと思うのは、相手が学者だということです。
 
 学者というのは研究以外のことについてはとんと疎くてぼんやりしている、というのが一般のイメージです。ハワード・ホークスは学者をはじめとして、知識とか専門に情熱を傾けているキャラクターを好んで登場させます。デイヴィッドやポッツはそうした人物ですが、ホークス作品において専門家の知性は好ましいものである一方、外の世界となんらかの形で接続されなければならないものとして扱われています。

 しかしながら、シャイな男性であるうっかり博士たちはあまりにもボンクラなので、まともに外とつながれません。そのため、こうした男たちはとにかくワイルドでキレッキレで男性視点だとマニック・ピクシー・ドリーム・ガールっぽく見える女に人生を一度メチャクチャにされる必要があります。服を盗まれるとか、犯罪に巻き込まれるとか、そのレベルで美女に苛められないと人生の意味を知ることができないくらい、ぼんやりしているのです。こう考えると、『赤ちゃん教育』や『教授と美女』は、けっこうマゾヒスティックに男性の欲望を描いた映画です。

 ここで学者としての私が考えるのは、「そうかも」ということです。ステレオタイプは良くないし、学者でも世間慣れしていたり、広報とか営業がうまかったりする人はもちろんたくさんいます。でも、私は今まで10年くらい学問の世界で生きてきて、あまりにも世間と学問との接点に無頓着でちょっとヤバいのでは、と思うような人もけっこう見かけました。うっかり博士は単なるステレオタイプではなく、学者の中に確かに存在する、良くない傲りを如実に描いているのかもしれません。そして、それは私自身にも適用される反省です。そう考えると、デイヴィッドやポッツはむしろ学者としては好意的に奥行きのある人間として描かれているほうだし、またひょっとすると我々はみんな、スーザンやシュガーパスに人生を一度メチャクチャにされるべきなのかもしれません。

※この記事にあわせて、[[マニック・ピクシー・ドリーム・ガール]]と[[ホークス的女性像]]の記事を日本語版ウィキペディアに作りましたので、よかったら読んでみてください。

参考文献
モリー・ハスケル『崇拝からレイプへ――映画の女性史』海野弘訳、平凡社、1992。
ハワード・ホークス『監督ハワード・ホークス「映画」を語る』梅本洋一訳、青土社、1999。
ジャック・リヴェット「ハワード・ホークスの天才」『ユリイカ』21. 16、1989年12月号:50–58。
Robin Wood, Personal Views: Explorations in Film, Wayne State University Press,2006.

初出:wezzy(株式会社サイゾー)

プロフィール
北村紗衣(きたむら・さえ)

北海道士別市出身。東京大学で学士号・修士号取得後、キングズ・カレッジ・ロンドンでPhDを取得。武蔵大学人文学部英語英米文化学科教授。専門はシェイクスピア・舞台芸術史・フェミニスト批評。
twitter:@Cristoforou
ブログ:Commentarius Saevus

著書『お砂糖とスパイスと爆発的な何か 不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門(書肆侃侃房)

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