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新鋭短歌シリーズを読む 第九回  櫻井朋子「まばゆさの所以」

2013年から今を詠う歌人のエッセンスを届けてきた新鋭短歌シリーズ。今年二月にシリーズ第五期第四弾『ショート・ショート・ヘアー』『老人ホームで死ぬほどモテたい』『イマジナシオン』の刊行が決定し、盛り上がりを見せています。(http://www.kankanbou.com/books/tanka/shinei/
本連載「新鋭短歌シリーズを読む」では、新鋭短歌シリーズから歌集を上梓した歌人たちが、同シリーズの歌集を読み繋いでいきます。
第九回は『ねむりたりない』櫻井朋子さんが、木下侑介さん『君が走っていったんだろう』を読みます。どうぞおたのしみください!

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  目を閉じた人から順に夏になる光の中で君に出会った

 穂村弘『短歌という爆弾』(小学館文庫)に収録されたこの歌を初めて目にしたとき、突然カメラのフラッシュを浴びせられたような心地がした。深く印象に残っている一首だ。

  ただ君と空を見ていた 前略も追伸も無い渡り廊下で

 これも、歌集に収録される前から好きだった歌。
 刻々と表情を変える空を見上げながら、前置きも補足もできない「いまこの瞬間」に存在する二人を鮮烈に捉えている。

 その後も様々な投稿欄で木下さんの歌に接し、そのたびに感じたのは、木下さんの歌が持つ「まばゆさ」は「あかるさ」とは決定的に違う、ということだった。

 でも、そんなことを思っておきながら、わたしはその二つの違いを明確に言語化できなかった。
 どうして「あかるい」ではなく「まばゆい」と感じるのだろう?

 新鋭短歌シリーズ五期のラインナップ発表でお名前を見つけたとき、木下さんの短歌を歌集単位で摂取することによって、そのまばゆさの所以について知ることができるかもしれない、知りたい、とまず思った。
 そして、実際に『君が走っていったんだろう』を読み込んでいくうち、自分なりの答えにたどり着けた気がしている。

  夏の朝 体育館のキュッキュッが小さな鳥になるまで君と
  「走ったら笑っちゃうかも」何でって、聞く前に僕も笑ってたんだ

 一目惚れや告白の瞬間、大事な試合の勝ち負けなど、青春を詠むにあたって甘酸っぱさや清涼感を醸しやすい設定はたくさんあるけれど、木下さんの短歌はそういったシチュエーションに依存していない。
 一首目は、夏休み中の部活の朝練習だろうか。ある程度ルーティン化した練習メニューやその準備時間も、「君」がいることで特別になる。体育館の床と運動靴が擦れる音の一つ一つが鳥になって羽ばたきだすほどの高揚感を主体に与えている。
 二首目も、本当に他愛のない会話から切り出されたものだ。「走ったら」の主語や目的語を明示しないことで想像の余地が広がり、二人が過ごしている日々の尊さが浮き彫りになってくる。
 このように木下さんの歌は、普通ならスルーしてしまうような言動や風景の中から光源を汲みあげるように作られているものが多い。
 それらはさりげないからこそ、どんな思春期を経験した人の心にもあまねく染み渡り、同時に目を細めたくなるようなまぶしさを帯びるのだと思う。

 そしてもう一つ、『君が走っていったんだろう』には夜や暗所を詠んだ歌、死を想起させる歌も多く収録されている。

  冷蔵庫を開ければ光が欲しかった夜が静かに息継ぎをする
  空っぽの水族館は八月の脳ミソそこで「ごめん」って言う
  たくさんの遺影で出来ている青い青い青い空を見上げる

 一首目は、真っ暗なキッチンで冷蔵庫を開けた時に溢れ出す深夜特有の光や、ジーっという機械音までを鮮やかに想起させる。また、無生物であるはずの冷蔵庫に「光が欲しかった」という意思を与えることで、この歌の主体が感じている息苦しさや閉塞感も間接的に伝わってくる。
 二首目を読んで気がついたのは、水族館は大部分が実は「暗闇」であるということ。灯りのない体内にぷかりと浮いている脳みそと、暗い館内に浮かび上がる魚たちの水槽のイメージが響き合い、深読みを誘う「ごめん」も相俟って幻想的な世界を浮き上がらせる。
 三首目。ポジティブな方向に詠まれることが多い青空に遺影というモチーフを当てることによって、森羅万象の裏側に必ず存在する犠牲や苦悩、そして死を匂わせる。

 これらの歌は、いずれもベースとなる部分の明度が著しく低い。
 けれど、その暗がりの中に「息継ぎ」「八月の脳ミソ」「青い青い青い空」という象徴的な単語やフレーズを配置することで、一首の中に強烈なコントラストが生まれる。そのコントラストに触れるたび、わたしは「まばゆい」と感じていたのだ。

 その上で、もう一度この歌を引きたい。

  目を閉じた人から順に夏になる光の中で君に出会った

 歌集を読み終えて改めてこの歌を目にしたとき、ようやく気がついた。この歌の主体は、眼裏で「君」に出会うのだ。目を瞑った暗闇の中に現れるからこそ、「君」がカメラのフラッシュのように読者の内側で閃く。

 また、本書は章立ても非常に工夫されている。
 終盤、一首だけの章が連続していくパートは、そういった暗がりの中から閃光を一つ一つ心に刻み付けられていくようで、読み進めながら胸がいっぱいになった。

  いっせいに飛び立った鳥 あの夏の君が走っていったんだろう

 歌集のタイトルにもなっている一首。
 「君」が走っていく先も、「君」を失った主体のこれからの日々も明るいものではないかもしれないけれど、この歌はただ「君」を思い出しているこの瞬間だけにスポットライトを当てている。とても切なく、それでいて爽快な歌である。

 一般的な「青春詠」にはとてもカテゴライズしきれない、鮮やかな情感と深みを持ち合わせた木下さんの歌の世界に、ぜひ浸ってみてほしい。

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【執筆者プロフィール】
櫻井朋子(さくらい・ともこ)
一九九二年生まれ。
二〇一七年より新聞歌壇を中心に投稿を始める。同年、東京歌壇(東直子選歌欄)年間賞。
第一歌集『ねむりたりない』(新鋭短歌シリーズ57)

新鋭短歌シリーズ57『ねむりたりない』

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