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【1D1C】#2 『推し、燃ゆ』と IZ*ONE。 推しに出会えたことと、推しを失うことのあいだで。

第163回の芥川賞を受賞した『推し、燃ゆ』(宇佐見りん)は、周囲に馴染めず、ある男性アイドルを推しつづけることでギリギリ自分を保ちつづけている女子高生が主人公だ。たたみかけられる短文のリズムが今風だが、大学生作家としては実に端正な日本語を駆使し、主人公のヒリヒリとした心的描写をしっかりと描いている。

何かを推す、何かにハマる、ということを、この10年ほどの私は明らかに軽視していた。
もともと何かに、誰かにハマりにくい性質があるのかもしれないが、「他のものを推すなら、自分を推せ、自分と向き合え」と考えていた。

そう、昨年の秋までは。


2020年は、コロナのせいで、徒歩通勤が増えた年だった。
自宅から職場までは、電車を使って30分ほどだが、歩いても40分弱という恵まれた環境なので、これまでも時折歩いてはいた。

ただ、こういうご時世になると、朝の満員電車を避けたくなる気持ちがむくむくと湧いてきた。換気しているからリスクは少ないとはいうけれど、もともとあの寿司詰めは心地よくはないし、今は特にパーソナルスペースが、どうしても一定程度欲しくなる。衛生面ATフィールドみたいなものがあったらなあ、と思ったりする。

それにジムもやめてしまったから、ウォーキングは立派なエクセサイズの一貫にもなっていたりする。
また、道中は途中で神社に寄ったり、コンビニやドラッグストアに寄ったりと、ちょっとした愉しみも組み込みやすい。企画や考えごとをを整理したり、なにかと活用しがいのある時間にもなる。いわば散歩的通勤。少しだけ早起きが必要だし、40分も歩けばじんわり汗もかくのだが、徒歩通勤、なかなかよいではないか。

その道中、かなりの割合で、Spotifyを聴いていた。シャッフル再生がちょうどよかった。徒歩通勤同様、偶然の出会いがあるからだ。

そして昨年秋、こちらが流れてきた。


ビジュアルやアーティスト名は何も知らないまま、音声のみのファーストコンタクト。
ブラスシンセの不穏な響きの中毒性、サビへのビルドアップの巧妙さなど、重厚すぎるほど作り込みがされたサウンドに、びっくりするほどカラフルで、女性らしさと力強さが伺える、安定したボーカル。王道的コード進行をほんの少しずらすことで成立する気持ちよさ。

ん? なんだこれ? 
慌ててスマートフォンの画面を見て、アーティストを確認した。
オフィスについてから、Youtubeを再生する。
曲を、彼女たちの鮮やかな、力強く美しいダンスとともに。
何度も、何度も。
そして、別の曲へ、また別の曲へ……。
彼女たちの作り上げたキラキラとした世界へと、自分の両足がズブズブと沈んでいく感覚を覚えながら。

年甲斐もなく、というのは、こういうことを指すのだろう。
50歳のおっさんど真ん中が、なぜこんな沼にはまることになってしまったのか。
と、嘆くふりをするのはやめます。
後悔はみじんもない。
むしろ、よく見つけたなお前、と褒めてあげたい。
おっさん、GJである。

とはいえ、これは決して偶然の出会いではなかった。
音楽ストリーミングのシャッフル機能は、聴き手の嗜好に応じてリコメンド曲が変わっていく。
その意味で、昨年の夏あたりから、リコメンド曲にK−POPが紛れ込んでくるようになっていた。

呼び水となったのは、ごぞんじNijiプロジェクトである。
正式デビュー前に紅白出場を決めた、韓国発のグローバルアイドルグループ・NiziUを生んだオーディション番組だ。

眩しいショービズの舞台に憧れ、夢に向かってひたむきに課題に打ち込む十代の少女たち。
プロデューサー=うさんくさ! という固定観念を鮮やかに裏切ったJ.Y.Parkの言葉の力と、おっさんとして共感を抱けるビジュアルの誠実さ。
序盤は練習生あがりの候補者のクオリティの高さに目を見張り、中盤以降はプロのサポートと本人の懸命な努力とで回を追うごとに洗練されていく、当初はお遊戯+αレベルだったメンバーの伸びっぷりに目を細める。作り手の目論見通りのはまりっぷり。

もっとも、こうなったのは私だけではないはずだ。
世のおっさん方で、突然9名の遠い親戚ができたような思いに駆られて、「ミイヒちゃんは紅白出れるのかなあ」とふと呟いてしまった経験のある人は少なからずいるはずだ。

そして、候補者がそれぞれにグループを組んで取り組んだ課題曲にも、ハマった。
たとえば、これ。

サビの英語以外意味はわからない。でも、その上質なポップソングとしての曲調と、日本のアイドルグループのそれとは明らかに違う、正面からの絵柄を念頭に計算しつくされたシャープなダンスに心を奪われた。
そして、本家本元を見ると、候補生との違いにも、気づく。


ダンス一つ一つの、指先やつま先に感じられる細かなニュアンスだったり、ひとつひとつの表情だったり、プロとアマの彼我の差が明らかに見て取れる。

そうやって、TWICEの曲に触れていく中で、私は明らかに「推し」といえる存在、「IZ*ONE」に出会ってしまったのだ。

12人のビジュアルはもちろんのこと、それぞれの声質を生かした歌割り、それぞれの個性を生かしたフォーメーションダンスに、感じるものがあった。すべてに制作陣の彼女たちへの愛が詰め込まれていた(日本での活動や日本でのシングル曲については、稿を改める)。そしてその愛に、12名が全身で応え、輝いている。

その姿に、完全にまいってしまったのだ。


その昔、高校生の時に、南野陽子という二代目スケバン刑事あがりのアイドルが「推し」だったことがある。ファンクラブに入り、週に一度の『落書きだらけのクロッキーブック』というラジオ番組をエアチェックして、彼女が好きなNobodyというロックバンドのアルバムを無理やり聴いて(好みではなかった)、ひとり悦に入っていた。

何を言いたいのか、というと、その頃、南野陽子に接する手段は、テレビの音楽番組と、ラジオ、アイドル雑誌(momocoとか?)、せいぜいそのくらいだったのだ。

でも今は、YouTubeの中にIZ*ONEの映像が、それこそ星の数ほどある。
韓国の音楽番組での出演から、日本のバラエティ番組に出た時の映像、その舞台裏の映像。そもそも彼女たちは「PRODUCE48」というオーディション番組で勝ち残った12人なので、それをニコ動で見返せば、12人それぞれの“Nijiプロジェクト”的なストーリーも共有することができる。
それも、すべて無料で。

さらに運営側からは、課金が必要だが『プライベートメール(プラメ)』という形で、推しメンバーから、その近況が綴られたメールが届く、という仕掛けだってある。

とにかくいたれりつくせり、なのである。
私は、あっというまに、目の中に入れても全く痛くない、と思えるほどの、12人の遠い親戚(姪っ子?)を持つことになった。そして今、スマホには、4つの韓国語独習アプリが入っている。ハングル、実に面白いのである。

ところが。

IZ*ONEというグループは、オーディションの時から決められていたことだが、期間限定のグループであった。
そして、2年半という当初の予定通り、今月いっぱいで活動期間を終えてしまうのだ。

12人の推しを発見し、全力で推しはじめた、追いはじめた、その途端に、その推しを失ってしまう、という……。

今、なかなか複雑な、稀有な思いの中にある。

個人的に、人生でも最も波乱に満ちた半年を過ごした、そのタイミングでの出会いなので、それこそ小説にしたいくらいいろいろな思いがあるのだけれど、あまりにも長くなりそうなので、ここで一旦終えることにする。

ひとつ確実にいえることは、私はWIZ*ONEであり、たとえ活動が終了したとしても、WIZ*ONEでありつづけるだろう、ということだ。

私とIZ*ONEのFIESTAは、これからも続くのである。


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