被害者にしか同情できない偽善者

全く同じ遺伝子を持ち同じ環境で育ち同じ経験を経れば、誰もが同じタイミングで同じ過ちを犯す。その想像力・共感力がない者ほど他者を非難する。
そのいい例が、記事中の三浦マイルド氏とフィフィ氏だ。

>マイルド:〈ホンマ狂っとるな〉と署名運動に反対の立場を取り、〈此奴は世間はおろか昭恵さんにも謝罪がないんだぞ。何が更生の余地だ。毎日昭恵さんが一人泣いてるのではないかと想うと胸が痛いわ〉

自分が理解できない相手を狂人と見做したがるのは、同属嫌悪の典型例だ。事件直後は謝罪がないのが寧ろ当たり前で、今の時点で早々に謝罪を期待するのは犯罪心理に疎い証拠。更生可能性は誰にも否定できない。
被害者には同情できるが加害者には同情できない、三浦マイルド氏。彼の心は、まだ名前ほどマイルドではないようだ。

>フィフィ:“減刑”って、司法の判断も出ていないのに感情だけ先走って動いてはいけない。あと不幸な境遇なら罪を犯すわけでもない。

いつどこで誰に減刑を訴えるも表現・言論の自由。彼女には「罪を犯すほどの不幸な境遇」に対する共感力・想像力が欠如している。

2人とも己の偽善を全く自覚していないどころか、寧ろ彼らの目には減刑を訴える人々こそ(自己投影により)「偽善者」に映っている。それほどに自己客観視能力がない理由は、彼ら自身もまた低水準教育の犠牲者だからだ。
義務教育で哲学・心理学を教えないから、想像力・自制心・倫理観・論理的思考力・メディアリテラシー・問題解決力が低くなる。低水準教育の犠牲者に必要なのは憎しみ(情報遮断・処罰・排除・放置)ではなく愛(情報共有・高水準教育・精神治療・救済)。
他罰的で排他的な偽善者の言葉を真に受けてはならない。彼らは自らの愛の欠如を誤魔化そうとしているのだ。

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