不幸者の心理を理解できない幸福者

引用は、上記記事より若狭氏の発言。


>どうして安倍さんにシフトしたのかっていうところが1番大事

山上容疑者の「敵の味方は敵」という拡大解釈が主因だろう。
母親を憎み切れず、その代償として憎悪の対象が関係他者に変わった。末端の教団関係者も教団上層部に洗脳された被害者と見做すようになり、より教団に影響力を持ち且つ襲いやすい人物に標的が移ったと推測される。

さて、問題は若狭氏の以下の発言だ。

>ネット上では安倍さんに対して“いなくなった方がいい”とかいうような記事も投稿されてると。そういうのを見て、彼は自分の中で安倍さんを襲撃する犯行の正当化理由をどんどん高めていったんじゃないか
>逆を言うとネットで“安倍さんっていうのは、日本にとってなくてはならない政治家、素晴らしい政治家”っていうような投稿がいっぱいだったら多分こういうような犯行にならない可能性もあった

何とも浅はかで単純なお花畑理論だ。
もし容疑者が若狭氏の言う通りネット情報に左右され易い人物ならば、安倍氏やカルト教団に対する批判的意見に触れることで逆に留飲を下げたり社会改善を期待できたりするので、鬱憤や敵愾心は寧ろ薄まっていた筈である。
実際には、安倍氏の教団に対する協賛的な姿勢が「何もしなければ今後も教団の欺瞞と悪行は変わりなく続く」という絶望を呼び起こし復讐心を駆り立てた。人は自身の危機感や無力感に苛まれれば苛まれる程、攻撃的・他罰的になり自殺や他殺に至る。
銃撃の瞬間、容疑者はこう思った筈だ。「やっと統一教会への積年の恨みが晴らせた」「これで少しは社会も良くなる」「2世、3世信者の境遇も改善する」


平和ボケも度が過ぎると、若狭氏のように世の理を見誤る。残念ながら、彼と同様に現実を真逆に捉えたまま思考停止している大人は少なくない。こうした認知の歪みは、彼らが「犯罪を犯すほどの不幸な目に遭ったことのない温室育ちの幸せ者」であることの証左でもある。
幸福者が増えるのは良い事だが、それによって不幸者の心理を理解できなくなるのは決して喜ばしい事ではない。

犯罪は社会の鏡。不幸者の立場や身上に関心を示さず非難や排除を繰り返す偽善者が多い社会ほど、犯罪は発生し易くなる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?