先祖の数のパラドックス


 誰しも自分を生んだ両親は必ず2人存在する。遡っていくとn代前の祖先の数は2のn乗。平均して20歳で子供を産んで来たとすると30代(600年)前のご先祖の数は約10億人。明らかに当時の日本人口を上回る。中には浮気者や渡来人や近親相姦者もいただろうが、理論上は遡れば遡るほど祖先の数は倍々で増える一方、実際の推定人口数は逓減していく。
 このパラドックスは長い間、個人的に謎だったが「全ての人類が遠かれ近かれ近親相姦をやってきた」と考えることで自己解決した。殆どの時代を移動手段が限られた中で過ごしてきたのだから、血縁が近しい者同士で結ばれる確率は自ずと高くなる。地域ごとに特徴が似通って、モンゴロイドやコーカソイドなど人種間の相違が現時点で際立つのも自明の理。
 以前TVでアマゾン奥地の希少な部族の特集をしていたが、外界と長期間、接触がなかったために近親相姦が進み、不気味なほど部族全員がほぼ同じ顔をしていた。同様の事が、地球規模というやや広い範囲でも起きているだけのことだ。
 となると室町時代以前に日本に居たほぼ全員が、生粋の現生日本人全員の祖先だと考えて良いだろう。数十万年も遡れば全人類が、そしてもっと遡れば全生命体が、従妹(いとこ)同士と言える。我々は毎日、血を分けた従妹たちを殺し包丁で切り刻み火で炙り皿の上に並べて共食いしたり時には実験台にしたりして、その犠牲の上に生きているのだ。

 それでも例えばヒトと遺伝子を50%共有しているバナナという名の従兄弟を殺すことに罪悪感が殆どないのは、自分たちとはあまりに見た目が異なり過ぎるためだろう。仮にあたかもミニオンズが「コロサナイデー(இдஇ; )」と命乞いするかのような仕草をしたら、よほど飢えている人でもなければ食べようとしない。
 動物虐待を批判する人が植物虐待は批判しないのも、結局のところ「植物は自分たちのように苦痛を表現しない・意思疎通できない」ので「彼らに対して自己投影(共感)できない」だけではないか。だとするならば彼らの動物愛護も、裏を返せば「意思疎通できない者は生きる価値がない」と主張する某殺人犯と同根の植物差別に当たる。実際には植物人間状態であっても、意思がある可能性があることは証明されているのだが。
 人間の痛みを客観的に測る器械すら未開発なのに、何故ビーガンは「植物は苦痛を感じない」と断定できるのだろう。植物は植物なりの痛みを感じているのかも知れないのに。

 いずれにせよ、地球に誕生して約40億年間絶え間なく続いて来た生命現象を恣意的に区別し「人類皆兄弟」程度で思考停止しているようでは視野が狭い。そう考えると、下記のような人々の主張が益々滑稽に感じる。
 特定の生物種だけ摂食や搾取を禁じる、某団体や某宗教
 一部の種のみ保護しようとする、どこぞの環境テロリスト
 異人種間の結婚を禁止した、かつての米バージニア州
 高々2000年程度の男系のみの血統を過大評価する、某ネトウヨ文化人

 遺伝的多様性を目指すなら、できるだけ遠くに住む人と国際結婚をするのが正しいのかも知れない。よく似た者同士の結婚が繰り返されれば多様性は失われ、子孫もそれだけ病弱になり環境の変化に適応できなくなるだろう。

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