差別を批判する人ほど差別している3

 上野千鶴子氏の主張に論理的矛盾があったので、一部に反論した。
 以下、引用は記事中の上野氏の発言より抜粋。

>すでに『ブス』という言葉がタブーになりましたから、その対極にある『美人』も言っちゃダメというのは、論理的にも当然

 この主張が正しいなら、すでに「殺人」はタブーなのでその対極にある「出産」「救命」もタブー、「バカ」がNGになれば「天才」と褒めるのもアウト、「狂人」「ハゲ」「美白」「死ね」がダメなので「常人」「フサフサ」「美黒」「生きろ」も使えない。最終的には「クソババア、生きてるか」と「母上様、お元気ですか」も対消滅するのだろう。
 論理的には、これは二元論に依拠した単なる言葉狩り・表現狩りである。

>不愉快ですよね。男というのは、そうやって女をランキングする権力が自分にあると無邪気にかつ傲慢に信じているのです。

 それは権力ではなく自由。無邪気で節操のない男の愚かしい批評でしかないのだから、聞き流せば良い。スルー能力のない己の無能・器量の狭さを、男へ責任転嫁・自己投影しているだけだ。単なる個人的見解を真に受けて自己評価を(その男の価値観通りに)下げようとするから、不快に感じる。
 そもそも言葉の解釈やその結果生じる不快感の原因は発言者にはないし、言葉狩り・表現狩りでは問題解決にならない(論拠詳細は他記事や幣サイト感情自己責任論を参照)。相手に自由を与えないから、自らも不自由を感じる。自業自得。相手を批判する前に、相手の価値基準にそのまま依存している自身の精神的脆弱性・主体性の無さに気付くべきだろう。

>女の場合は一元尺度でランクオーダーされるのに対して、男は多元尺度なんです。(略)男の尺度の中で一番強力なのは金力(稼得力)

 これはつまり、上野氏自身がその苔の生えた社会通念に屈して「大衆又は男社会の価値観への迎合・女性蔑視」を持っている、ということに他ならない。「多数がそういう見方をしているから正しい」というのであれば、それは単なる多数論証だ。客観は共有された主観に過ぎない。
 評価も評価者の主観なので、基準次第で女性も多元的になる。「真面目」「料理が上手い」「心優しい」「学歴がある」「よく働く」「子育て上手」「体が丈夫」「社会的地位がある」「歌が上手い」「知識・経験が豊富」「お金がある」「ユーモアがある」「節約上手」等、いずれも男性と共通するが、どの要素にどれほど重きを置くかも評価者の選択の結果で決まる。
 上野氏がどうしてもこのように多元的に考えられないとすれば、差別主義を批判する彼女自身が「女性の価値は外見だけで決まる」というルッキズムに毒され縛られている証拠。ミイラ取りがミイラ、ブーメランの典型例である。

>美人というのは一元的な尺度だけどチャーミングという表現には多様性があります

 ならば今後は「ブス」のように男にも「美人」を使用し、性別を明確にしたい場合のみ美男・美女で分ければ良い。「他人が一元的に使うから」と言って、自分たちが多元的に使ってはならない決まりはない。


 端的には、上野氏が「誹謗中傷や揶揄も表現の自由の範疇」と捉えられるようになればその言説に矛盾はなくなると思われるが、その為にはまず「不快感の原因を他者に見る」ことの矛盾から見直す必要があるだろう。
 彼女のような反差別主義者がしばしば自身の差別主義に無自覚なのは、受けた義務教育の質に拠る所が大きい。彼女らもまた低水準教育の犠牲者だ。義務教育で哲学・心理学を教えないから、想像力・自制心・倫理観・論理的思考力・メディアリテラシー・問題解決力が低くなる。高水準教育≠高学歴。低水準教育下では幾ら高学歴・高IQでも情報分析力・批判的思考力・柔軟性・先見力・適応力は育たない。


以下、感情自己責任論より抜粋

他者の身体的自由を侵害しない限り、差別や罵倒・中傷も言論自由の範疇。無教養者・精神異常者・人格障害者にも言論の自由はある。
他者に不自由を与えるから自らも不自由を得る。己の解釈の結果(不満・不安・不快・不信・不可解)を他者のせいにするのは筋違い。
自由には責任が伴う。自由概念の乏しい者ほど「他人の表現の自由と責任」ばかりを論い「己の解釈の自由と責任」は棚上げする。
言葉狩り表現狩り等の言論規制は差別を潜在化・陰湿化させ根本解決にならない。為すべきは自由保障と未熟者の早期発見と更生教育。

如何なる役職も、性別・年齢・出自・人種や障害の有無に関わらず、本人の希望・意欲・技能・人柄等に応じて採用するのが公平。
不合理な一律年齢制限やアファーマティブ・アクションやクォータ制は逆差別・偽善。追求すべきは結果の平等ではなく機会の平等。
例えば「外で仕事する女性を増やしたがる」の背景には「外で仕事をする方が幸福・偉い」という職業差別がある。職業に貴賤なし。
或いは「収入の格差を気にする人」は潜在的に「より多く稼ぐ人の方が尊い・幸福」という拝金主義・営利主義に侵されている。
「女性の役員や政治家を増やしたがる」のは「男性は女性を幸福にする実行力がない、役員や政治家は偉い・尊い」という差別。
男女の数や人種比、障害者の割合、学歴等が気になるのは区別している証拠。同じ人間なのだからそもそも区別しなくて良い。
同じ言動でもイケメンならセクハラにならないのは、自称被害者によるブサメン差別の裏返し。平等主義の裏に潜む差別の典型例。
自称反差別主義者や自称愛国者が差別や自虐史観を声高に非難する理由は、自身の心底に潜在する劣等感・情緒不安の払拭。
己の差別心や自虐的国家観を敵対者に自己投影して同属嫌悪する偽善者ほど、自身の平等主義や自慰史観に心酔し正義面する。

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