頓珍漢な詭弁に終始する三浦瑠麗氏

事件から2か月。安倍ショックからまだ立ち直れていない保守思想家は多い。引用は、頓珍漢な感情論で異見者を批判する三浦瑠麗氏。


>「個人的には、お弔いにも出ないというのは冠婚葬祭からすら関係を切ろうとする『村八分』の論理のように思いますが」

言わんとすることは分かるが、実際には「葬式と火事だけは無視しないのが村八分」なので意味が真逆、譬えとして的外れだ。
大喪の礼を「たいものれい」と読むくらいだから、あまり国語が得意ではないのだろう。或いは、気に入らない野党を村八分したい自身を、野党に投影しているのかも知れない。

>「客観的にはむしろ警備費用は少なすぎるくらいだし、『在任期間等の具体的基準が示されない』という論理だけで欠席するのは、あまりに評判を落とす気がします」

「少なすぎる」が根拠不明。「主観的には」が正しい。欠席の理由はその理論「だけ」ではないし、「評判を落とす」云々も自己肥大化した希望的観測の域を出ない。
このように相手を小さく自分を大きく見せようとする言動は、情緒不安の表れだ。彼女が現在置かれている立場(自分が支持し依拠してきた保守思想の矛盾が次々露呈している現状)を鑑みれば、余裕がなくなるのも仕方がないことかも知れない。
だがこうした客観性に乏しい批評は、自身の未熟さを公言するようなものだ。この姿勢が続くようなら、他の某保守論客同様、今後ますます偏向的な保守系メディアからしかお呼びが掛からなくなるだろう。

>「あと、個々の議員が自分宛の招待状の写真をアップして欠席を表明するのは、はしたなく見えるのでやめた方がいいと思いますよ。余計なお世話ですが。ほんとにそんなことしても票は増えませんよ」

欠席の表明が「はしたない」なら、出席なら「はしたなくない」のだろうか。というツッコミはさておき、こうした批判の為の批判も、はしたなく見えるので止めた方が良い。そんなことをしても評論家としての支持は(ネトウヨ以外には)広がらない。余計なお世話だが。

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