絵に描いたような同属嫌悪

>神戸市会議員の岡田ゆうじ氏は「<1>故人の名前を覚えてもいない <2>『居場所ないと呟いてた』という未確認情報を吹聴 <3>『苦しかったんでしょうね』と想像で脚色 <4>『社会が~』と早速政治利用」と指摘した上で、「…絵に描いたような死体蹴り」と非難した。

<1>ミスや勘違いは人間誰しもある。
<2>記事の通り、増田氏の発言は事実。未確認だったのは岡田氏自身。
<3>想像を述べることは表現・言論の自由。そもそも”脚色”には「事実をおもしろく伝えるための誇張・粉飾」という意味があるが、仮に岡田氏が増田氏の個人的感想(≠事実だが)を”面白い”と感じたのであれば、それはそれで事が事だけに不謹慎ではないだろうか。
<4>岡田氏もまたこのツイートで政治利用している。
<5>増田氏はryuchell氏と戦ってもいないし憎んでもいないので、死体蹴りに喩えるのは的外れ。寧ろ死体蹴りをしているのは増田氏のミスをここぞとばかりに叩いている岡田氏自身。

絵に描いたような同属嫌悪でツッコミどころ満載だったので指摘してみた。
こういう岡田氏のスタンス・不寛容さは同時に、誹謗中傷者やその批判者とも被る。
故に彼は、誹謗中傷者に対しても痛烈に批判している事だろう。それが自己投影による同属嫌悪であり偽善的自己欺瞞であるという自覚もなく。

上記が同じ様に不寛容な人々の自己客観視能力を高め気付きになることを祈るばかりだが、悲しい哉、大概の人は自己矛盾を指摘されると防衛本能が働いてこう反応するのだ。→「何か訳分からない屁理屈が書いてある。こんなのはまともに読まなくて良い」

以下、弊サイトより抜粋。
自由度多様性の高さは精神成熟の証。最大限保障し問題の早期発見等に活用が吉。民度の低い集団ほど不都合な存在を嫌悪排除。
どんな情報もその取捨対処は受信者の自由。解釈の自由にも責任が伴う。解釈の結果(誤解不快等)の原因は発信者にはない。
未熟な解釈者ほど己の選択結果を表現者に責任転嫁。他者に不自由(規制等)を与えるから自らも不自由(怒り等)を得る。
人格障害者にも言論自由はある。物理的に自由侵害しない限り罵倒も表現自由。言葉狩りは却って「それで罵倒可」の価値観を蔓延化。

相手の主張を都合良く曲解するストローマンは一種の現実逃避。「無知な相手」は「相手の知識量に無知な己」の投影。
感情的批判・感情論は全てブーメランになる。無責任な解釈者ほど己の選択結果を表現者に転嫁。人は鏡。

あらゆる社会問題に共通する根本原因は無知思い込み勘違い誤解視野狭窄。解決に必要なのは適切十分な高水準教育(≠高学歴)。
義務教育で哲学や心理学を教えないから、先見力協調性適応力自制心倫理観論理力EQ各種リテラシー問題解決力等が低くなる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?