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続・Buen Camino 2023 あなたも巡礼に出かけてみませんか? ⑬(最終回)

13)スペイン最終日、帰国

アルベルゲの前で

 6/12(月)
 早朝、巡礼たちが次々に宿を出発する姿を見送りながら、私は今日、ブルゴスからマドリードに列車で向かう。アルベルゲの受付でタクシーを呼んでもらって、Renfeの駅に向かった。
 列車の中では殆ど眠っていたようだ。マドリードの駅に着いて、人波に流されて外に出たが、馴染んでいるアトーチャと雰囲気が違う。マドリードでは出発と到着の駅が違うようだ。しかし、この雰囲気には憶えがあった。それは前年に来た時に降りた駅Madrid Chamartinだと気がついた。
 その時は、ハンバーガーショップに入ったなあと見渡すと、バーガーキングの店があった。注文はカウンター方式ではなく、機械で受け付けるので、嫌だなあと思ったが、自分の番になったのでやってみたら、すべてうまく行った。前回は近くにいる人に聞いたのだが。スペインに自分が馴染んできているのが分かった。

スペイン最後のハンバーガー

 マドリードは3回目である。腹も満たされて時間があったので、駅から歩いて宿に向かうことにした。途中、木陰で休み、レアルマドリードの競技場の横を通った。

サッカー場が街の真ん中にあった

Googleマップにも慣れてきた。宿で少し休んで、スーパーでスパイス類を土産に買い、そのビルの最上階の食堂フロアーで夕食を食べた。例のタイ料理はパスし、隣のステーキ屋でスペイン最後の食事を取った。これは美味かった。

一人で祝杯

 宿に戻って、アルコールが抜けるのを待って、昨年訪れたプラド美術館に向かった。夕方から無料になるので、ピカソの「ゲルニカ」を見るためであるが、場所が違っていた。そこで、ようやくReina Sofia美術館を探し当てたが、そこには長い列ができていた。自分も並んだが、チケットがいるとのことで、別の列のようだ。しかし、並び直すとWiFiのバッテリーが切れており、マップが使えないので、帰れなくなる恐れがあったので、諦めて宿に戻った。翌朝、早起きして開館の1時間前に行ったが、何と休館だった。残念ながら「ゲルニカ」とは縁がなかったようだ。

再び来ることはあるのだろうか?
マドリードの起点の駅

 その足でアトーチャから空港に向かい、マドリードから7時間でドバイに着いた。ここで乗り換えるが、日本人と思われる人が増えて、いよいよ帰るのだと実感した。

いよいよ帰国

 最後に。
巡礼路は何本もあるので、またスペインに来る機会があるかも知れない。しかし、私の年齢では時間とお金の問題はクリアできても、体力、何よりも健康が伴うかが微妙だ。さらには、何十日間も一人で孤独な旅に耐えるには大変な精神力がいる。新たな経験や面倒くさいことを嫌う老人には向いていない。それでも、これは楽しむ旅だと思う。異郷に身をおくことで改めて自分を見つめる旅だ。そういう意味で、74歳にはふさわしかった。
 これが若ければ、異国の強烈な文化に耐えられなかったのではないか。17世紀はじめに、仙台藩の伊達政宗の命を受けた支倉常長の慶長遣欧使節では、多くの若者がスペインに残ったという。今もハポン(日本)姓が多く住む地域があるようだ。集団的な日本で育った彼らの個は未成熟であり、アイデンティティが未形成であったと思われる。そして、彼らの孤独を異郷の魅惑的な女性たちが慰めたのであろう。旅はそういう自分をさらけ出し、自分の中の空虚と向き合う。宿にいた若者たちが明け方まで騒いでいたが、彼らはそうやって自分の孤独を埋めようとしたのではないだろうか。それが若者というものである。

さて、このブログはこれで終了です。1回目は40日間、2回目は2週間と長い巡礼の旅にお付き合いをいただき有難うございました。

「あなたも巡礼に出かけてみませんか?」

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