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Buen Camino 2022 あなたも巡礼に出かけてみませんか? ⑧

(8)「列車でブルゴスへ」

 8/22(月)第4日、曇り後晴れ。風が寒い。
 本日からK先生とは別行動になる。相談相手がいなくなるのは心細く、不安である。パンプローナの駅で、私はブルゴスまでの、K先生はサリアまでの切符を購入した。先生は日程の関係からサリアから115kmを、私はブルゴスから前の分を合わせると600km弱を歩くことになる。

 短縮した220kmに関しては、また、いつかスペインを訪れ、この残りを歩くという口実ができた。実際、ヨーロッパの人たちは、この巡礼路を区切って何回かに分けて歩いているようだ。(なお、2023年の5月末から2週間をかけて、この部分を歩く旅をした)

 長距離のスペインの国鉄Renfeは座席指定である。日本の「立ち席(自由席)」に当たるものはないので、座席数以上の切符を販売しないようだ。また列車の本数も少ない。だから、切符は事前に購入しておくに越したことはない。この日も午前中の便はあったが、私が乗れたのは午後の便であった。
 さらに、列車に乗る時にもテロ対策であろうか、空港同様の検査が行われる。X線による手荷物検査とパスポートの提示である。この辺りが日本の鉄道事情とは大きく異なる。運行する側の事情が優先されているような気がする。

 ブルゴス Burgosまでは2時間の移動であった。駅前にはバスが数台停まっていたが、どこで降りたらいいのかわからないので、タクシーを利用してアルベルゲにまで連れて行ってもらおうと考えた。運転手から「どこに行くのか?」と聞かれたので、「アルベルゲ」と答えたら、その名前を聞かれた。運転手はどこのアルベルゲに連れて行ったらいいのかと聞いたのであったが、私にはなんとも答えようがない。アルベルゲを予約していない私には、どこでも良かったのであるが・・・。

 私が巡礼路を歩いていたなら、こういう問題は起こらなかった。普通、アルベルゲは巡礼路に沿って在るので、容易に見つかったはずであるからだ。私が巡礼路から離れた位置にいたことが原因であった。運転手は親切に電話して探してくれた。私が案内されたのは公営の立派なアルベルゲであった。運転手には、謝礼を含めて多めの金額を支払った。

 アルベルゲは10€(1400円)で素泊まりであった。日本人かと聞かれた。珍しいのであろうか。案内された部屋に行くと、ここまで歩いてきた若者たちが、皮膚を真っ赤にして、死んだようにベッドで眠りこけている姿が目に飛び込んできた。それは、これから再開する旅の過酷さを告げているようであった。

聖堂を中心にして広がるブルゴスの町

 ブルゴスは大きな町で、いくつもの聖堂がそびえ、宿の裏手にある丘の上は要塞になっており、そこからは市内が一望できる。ブルゴスは当時イベリア半島に進出していたイスラム教徒から土地を奪い返すレコンキスタ(国土回復運動)の中心的な町であった。残念ながら見ることができなかった大聖堂(サンタ・マリーア大聖堂)は13世紀に着工し、16世紀に竣工した。ユネスコ世界遺産に登録され、中世の民族的英雄エル・シッドとその妻が埋葬されているという。大聖堂の前には、サンタ・マリーア広場(Plaza de Santa María)がある。
 なお、守護聖人とされたヤコブは、「ムーア人殺しのヤコブ」と呼ばれ、キリスト教徒の兵士たちは「サンチャゴ!」と叫んで敵に向かって突撃したと言われている。いやはや、何とも血生臭い話であり、本人の意思とは無関係に歴史が作られていく。ヤコブには迷惑な話である。

 その後、丘を下ったところにある祭壇画の博物館を見学(3€)した。

博物館の内部

 町に下ると、そこが城壁に囲まれて作られたのがよくわかる。そして門を出ると、アルランソン川が流れていて、この川の両側に町が発展したことがよくわかる。大勢の人々がそれぞれの形で楽しんでいた。私もその中に入って町を散策した。
 (鉄道での移動、14,490歩)

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